神槍
爆発の余波から、ジリアンがゆっくりと歩み寄る。その体の周囲には、先ほどまでとは異質な、青白く光るオーラが陽炎のように滲み出ていた。
パアン!
空間が爆ぜるような破裂音が響く。先に動いたのは魔神であった。
魔神は、無防備に歩くジリアンの横顔へ、目にも留まらぬスピードで肉薄し、その拳を叩きつけた。だが、ジリアンはその衝撃を顔面でまともに受け止めながらも、微動だにせずニヤリと笑う。
「……ッ!」
ジリアンは即座に魔神の腕を掴み取った。「フン!」という短い呼気と共に、下から突き上げるような拳を魔神の顎へと叩き込む。その一撃はクリーンヒットし、巨体の魔神を軽々と空中に放り上げた。
受け身すら取れぬまま宙に投げ出された魔神に対し、ジリアンはさらに同じ高さまで瞬時に跳躍。空中で渾身の回し蹴りを叩き込んだ。
ズ……パアン!
凄まじい衝撃音と共に、魔神は弾丸のごとく吹き飛ばされ、そのまま荒れ狂う海へと投げ出された。
甲板に着地したジリアンは、首をコキコキと鳴らしながら「はあ……、ダリぃ」と毒づく。そして、壁際に飛ばされていたダウラの方へ向き直った。
「おい、生きてるかあ?」
その問いかけに応じる声はなく、代わりに「ズブリ……」という鈍い音が響いた。
「ああ?」
ジリアンが視線を落とすと、自分の腹から鋭い槍のように変形した魔神の手が突き出していた。
「さすがに神力は痛いねえ。海に投げ出されなかったら危なかったよ」
真後ろから聞こえる声。ジリアンは痛みを堪え、瞬時に後ろへ殴りかかるが、魔神は刺していた手を引き抜き、軽やかに後方へ飛んでそれを避けた。
「てめえ、ピンピンしてんじゃねえか……」
ジリアンは腹の傷を押さえながら、苦々しく吐き捨てる。
「そんなことないよお。投げ飛ばされた時は体の半分以上が死んでいたからね。おかげで修復するのに半分以上のマナを消費したよ」
魔神は平然と言い放つが、その瞳には明確な殺意が宿っていた。
「じゃあ今度は本当に殺してやるよ」
「さすがに次は受けないよ。私も全力でやらないとやばそうだ」
魔神の体が不気味にボコボコと音を立てて変異を始める。
一瞬のうちに、無機質だった灰色は赤黒く染まり、その顔はタコのような醜悪な造形へと変わった。全身には吸盤のついた無数の小さい触手が蠢き、腕は八本へと増殖する。
「タコみてえだな」
ジリアンは笑って見せたが、その内心には焦りがあった。腹の傷口からは、雨に混じって血が止まることなく溢れ出している。
「じゃあ、俺もさっさと終わらせるかあ」
互いに死を覚悟した二人は、ジリジリと間合いを詰めていく。
そして、ある一定の距離に達した瞬間、二人の姿が消失した。
いや、消えたのではない。常人には視認できない超高速の領域で、殴り合いが始まったのだ。魔神は八本の腕を鞭のようにしならせて全方位から襲いかかり、ジリアンはそのすべてをいなしながら、急所へと的確に打撃を叩き込んでいく。
だが、その攻防の決着は一瞬であった。
ピタリ、とジリアンの腕が止まる。
魔神の触手のような腕の一本が、ジリアンの胸を深く貫いていた。
「あああ……くっそが……」
ジリアンは力なく後退し、そのまま甲板に崩れ落ちた。
「さすがに疲れたねえ。まさか私に『原化』をさせるなんて」
魔神は手についた血を払い、醜悪な顔を歪める。
「さて……。じゃあ残りの人間も殺しておこうかね」
魔神が歩き出そうとしたその時、背後から掠れた声が響いた。
「……待てよ」
魔神がパッと振り返ると、そこにはボロボロになりながらも、壁にもたれて立ち上がろうとするダウラの姿があった。
「あれ? 死んでなかったの?」
「俺は……お前ごときに殺されねえよ……」
「へえ。じゃあ……死んで?」
魔神は嘲笑うように、触手状の腕を高速で伸ばした。ダウラの喉笛を刺し貫こうとするその一撃。
ガキン!
硬質な金属音が響き、魔神の腕が弾かれた。
「ん?」
魔神が目を見開く。そこには、半分に折れたダウラの槍が、主の手を離れて宙に浮いたまま盾のように立ちはだかっていた。
ダウラの体からは、先ほどのジリアンと同様の青白いオーラが溢れ出している。
「まさか、ここにもいるとはね……」
魔神の口が驚愕に歪む。ダウラ自身、何が起きているのか理解できてはいなかった。ただ、溢れ出す奔流のような力を感じながら、無意識にその名を口にした。
「――神槍、グングニル」
一瞬の静寂。
折れた槍が意思を持つかのように独りでに舞い上がり、魔神を射程に捉える。
ダウラが技の名を呟いた、次の刹那。
槍は魔神の動体視力すら置き去りにし、その胴体を跡形もなく突き破っていた。
「あ……」
魔神は最期の言葉を発することすら許されなかった。その体は神力の奔流に飲み込まれ、チリとなって嵐の海へと霧散した。




