ユグドラシル
「お客さん、もうすぐですよ」
御者のその声で、荷台でまどろんでいた奏多はゆっくりと目を覚ました。隣を見ると、アリスとレトルはまだ幸せそうに夢の中だ。
奏多が身を乗り出して外の景色を眺めると、思わず「うお……」と感嘆の声が漏れた。
視界を埋め尽くす圧倒的な森林地帯。そして、その中心にそびえ立つ、常軌を逸したサイズの「巨木」。あまりに巨大すぎて、近くで見るともはや「壁」にしか見えない。幹の先は遥か上空、雲を突き抜けてその全貌を隠していた。
「ここがウォンドか……」
草原を走り抜けた昨日までとは打って変わり、今は神秘的な緑の静寂に包まれている。森林の入り口、巨大な門の前で荷馬車が止まった。
「案内はここまでです。この門の先が樹上都市ウォンド。お気をつけて」
「おう、ありがとう。……おい、起きろお前ら」
奏多に揺り起こされ、アリスが眠そうに目をこする。
「もう着いたんですか……?」
「ああ、外を見てみろ。驚くぞ」
言われるがままに外を覗き込んだアリスは、次の瞬間、その表情をパッと輝かせた。
「わあぁぁ……! すごい、綺麗……!」
幼い少女のように目を輝かせるアリスに続き、レトルも「なんだこれ、森そのものが町なのか……」と呆然と呟いた。
門の前には早朝から長蛇の列ができていた。だが、入る者よりも、家財道具を積んで町を出ていく者の方が多い。
「兄ちゃんらもサイクロプスロード関連でこの町に来たのか?」
前に並んでいた、いかにもベテラン風の男が話しかけてきた。
「ああ。あんたも討伐に?」
聞き返すと、男は「ぷっ!」と吹き出した。
「ガハハハ! サイクロプスロードを討伐だぁ!? 無理無理! 俺はロードに住処を追われて逃げ出してきた『雑魚狩り』に来ただけだよ。あんたらもそうだろ?」
「雑魚狩り?」
「おいおい、知らないのか? ロード級の魔物が動けば、その進路にいる弱い魔物たちがパニックを起こして逃げ出してくる。そいつらが人里に流れないよう間引くのが、俺たち下級冒険者の稼ぎ時よ」
男はさらにニヤリと笑い、真剣な顔で続けた。
「まさか……自分たちが『ロード討伐』のS級様だなんて言うわけねえよな?」
奏多が肯定しようとすると、男はすぐに「なわけねえか! ガハハ!」と自分で完結して前を向いた。
「なんだか、完全に雑魚だと思われてますね……」
アリスがこそっと耳打ちする。
「俺たち、これでもS級なのに」
レトルも苦笑いするが、奏多は「目立つよりはいいだろ」と受け流した。しかし、これだけ多くの人が逃げ出す現状に、事態の深刻さが伺えた。
ようやく奏多たちの番が来る。
「ようこそウォンドへ。今は緊急時だ、依頼を受けた冒険者以外は入域を制限している。ギルド証を見せてくれ」
門兵の言葉に、奏多は懐から「金色」に輝くプレートを提示した。
門兵の顔から、一瞬で血の気が引いた。
「え……S級!? し、失礼いたしました! パーティ名を……パーティ名を教えていただけますか!」
「『アリスティ』だ」
「アクエリアの……あの『女神アリスティ』ですね! どうぞお通りください! この先を真っ直ぐ行くと、一際大きな石造りの建物があります。S級の皆様はそちらへ集合をお願いします!」
門を抜け、樹木と石造りの建物が調和した美しい街並みを歩き出す。
「やっぱ便利ですね、それ」
「ああ、この金色のプレートだけで相当な融通が効くからな」
ちなみに、ギルド証はランクごとに白(F/E)、青(D/C)、緑(B)、赤(A)、そして頂点の金(S)と色分けされている。
「この町、なんだか懐かしい匂いがするな……」
レトルが鼻を鳴らす。
「ええ、私たちの故郷、エンシェントエルフの住処に雰囲気が似ています」
アリスが感動したように空気を吸い込むと、不意に横から声が響いた。
「そりゃあそうだ。ここはお前らの先祖が住んでいた場所なのだからな」
「オウ!」
いつの間にか現れた精霊王に、奏多が驚く。
「お前、アリスティア(島)はどうしたんだよ」
「あそこは今さら危険などない。奏多らの加護を受けたエルフ共がいれば、並の軍勢では上陸すらできん。それより、主らが懐かしの地に足を踏み入れたと聞いてな。ちょいと顔を出しに来た」
「オウちゃん、私たちが住んでいた場所って……?」
アリスの問いに、オウは遠くを見据えて語りだした。
「昔の話だ。統一戦争が起きる前、ここにはエルフの国があった。エンシェントエルフもダークエルフも人間も、共に暮らしていたのだ。そして、その国を統治していた『王』こそが、先代の魔王よ」
「先代魔王がここの王だったのか……」
奏多が呟くと、オウは町の中央にそびえるあの巨木を指差した。
「あれを見ろ。あれこそが『ユグドラシル』。元々は、女神イリスが己の分体を生み落とすための装置として作ったものだ」
「「「装置!?」」」
三人の声が重なる。
「ああ。今は動いておらんが、あいつがその気になれば再び分体を生み出すことも可能だろう。だが、人間にとっては女神の神秘を宿す聖なる木。無限に清浄なマナを供給し続けるこの木のおかげで、ここら一帯は精霊も魔物も人間も、非常に住み心地が良い土地になっているのだ」
アリスは改めて周囲のマナの濃さに感動し、深く頷いた。そんな話をしながら歩くうちに、目の前に重厚な洋風の建築物が現れた。
『ウォンド冒険者ギルド』
アクエリアの酒場のようなギルドとは一線を画す、まるで神殿のような威厳ある建物だ。
「ここだな。よし、行くか」
「我は少し森を見てくる。またな」
オウはそう言い残すと、陽炎のようにかき消えていった。
奏多たちは決意を新たに、最高難度の依頼が待ち受けるギルドの扉へと手をかけた。




