黒い勇者
「おらっ! おらっ!」
太一が裂帛の気合と共に大剣を振るう。その一撃一撃が嵐のような圧力を伴い、周囲にいたドワーフや獣人族の戦士たちを木の葉のように薙ぎ倒していく。剣聖の称号は伊達ではなく、彼が通った後には文字通り道ができていた。
「あの勇者の仲間、相当にやりおるのう……」
後方で戦況を見守っていたゲルドが、苦虫を噛み潰したような顔で呟く。
「私にやらせてください」
凛とした声が響いた。振り返ると、そこには獣人族の若きホープ、レトルが立っていた。
「おお、レトル! ずいぶん修行場に篭っておったようじゃが、準備はできとるのか?」
「はい。奏多さんのため、この島のため、必ず成果を上げてきます」
迷いのないレトルの瞳を見て、ゲルドが頷こうとした時、横からボンドが声を上げた。
「おい、獣人のルーキー! こいつも持ってけ!」
投げ渡されたのは、布に包まれた細長い槍だった。
「奏多殿から直々に頼まれていたのじゃ。『レトル専用の槍を作ってやってくれ』とな。魂込めて打った逸品だ、無様に折るんじゃねえぞ」
「奏多さんが……。ありがとうございます!」
レトルはその槍をぎゅっと握りしめると、太一が暴れ回る戦場へと弾丸のような速さで駆けていった。
「お前が自ら武器を打つなんて珍しいな」
ゲルドの言葉に、ボンドは照れ隠しに鼻を鳴らす。
「奏多殿の頼みだ、断れるわけなかろう。そんなことより、お前はさっさと戦ってこんかい!」
「ああ? お前こそ老体に鞭打って行ってこんかい!」
二人はいつものように言い合いを始めるが、その表情にはかつてない戦士としての熱が宿っていた。
「どうした? こんなもんかよ、異人共!」
太一は大剣を肩に担ぎ、鼻で笑った。足元には多くの戦士たちが倒れている。
「大将はあの塔の中だろ。うっし、広臣たちにゃあ悪いが、俺が先に首を獲りに行ってやるぜ」
太一が塔へと足を踏み出そうとした、その時だ。
「待て!」
鋭い声が戦場に響く。
「ああ? なんだぁ?」
太一が振り返ると、そこには一本の槍を正しく構えたレトルが立っていた。
「なんだ? 犬っころが何の用だ? 餌ならねえぞ」
「貴様を止める。それが俺の役目だ!」
「はあ……」
太一は隠そうともせず、深く、長いため息をついた。
「やってみろや、雑魚が!」
太一が地面を爆ぜさせながら突進する。
「オラァ!」
振り下ろされた大剣の重圧。だが、レトルは鋭い吐息と共に、ボンド特製の槍でその軌道を最小限の動きでいなした。
「チッ、まぐれかよ!」
太一は尚も剣を振り続ける。だが、何度打ち込んでも、レトルは岩のように冷静に、すべての攻撃を受け流し、時に鋭い突きで太一の体勢を崩していく。
数分後、戦場には異様な空気が流れていた。
額に滝のような汗を滲ませ、肩で激しく息を乱しているのは太一の方だった。
「ぜえ、ぜえ……ハア……。なんなんだ、てめえ……。何で一回も当たらねえんだよ……」
大剣を杖のように地面に突き刺し、太一は膝をつく。
「俺はレトル。アリスティアの守王に仕える戦士だ。人間の勇者というのは、この程度なのか?」
レトルは傷一つない涼しい顔で問い返す。
「くっ……フハハ! ああ、わかったよ。もう遊ばねえ」
太一がふらふらと立ち上がる。その瞳に冷酷な光が宿った。
「今日は使いすぎてたから魔王まで取っておこうと思ったが……。次で終わりにしてやる。行くぞォ!! 示現――」
太一が渾身のスキルを発動しようと、大剣を天に掲げた、その刹那。
レトルが太一の視界から消えた。
「なっ……」
気づいた時には、レトルは太一の懐に深く踏み込んでいた。槍の石突が太一の腕を叩き、振りかぶった姿勢のまま、自慢の大剣が宙を舞い、遠くの地面に突き刺さった。
「さっきクルス様から聞いていた通りだ。最強のスキルに頼り切り、己を磨くことを忘れた勇者がいるとな」
「くっ……クソおおおおお!!」
武器を失い、拳を地面に叩きつけて叫ぶ太一。
「広臣! 悪ぃ、あとは頼んだぞ!」
彼にできるのは、ただ親友の名を叫ぶことだけだった。
別の戦場では、大賢者・椎名萌が汗だくで地面に伏していた。
「ハア……ハア……もうっ! 最悪! なんなのよ、この島!」
「さすがにあれほどの多重詠唱を連発しては、魔力が持たぬじゃろ」
近づいてくるのは、傷一つないクルスだ。
「なんで……なんでアンタはそんな平気な顔をしてるのよ!」
萌の叫びに、クルスはにっこりと微笑んだ。
「わしは下級の魔法しか使っておらぬからのう。それに、ここはわしらの島じゃ。満ちているマナの密度が違いすぎる。……一言で言えば、経験の差じゃな」
「もうっ!」
萌は悔しげに唇を噛む。だが、すぐに広臣のいる方角を見上げた。
「……でも、いいわ。私たちには広臣がいる。広臣だけは、絶対に誰にも負けないんだから!」
その時だった。
――ドォォォォン!!
天地を揺るがすような爆音と共に、遠方で無数のドワーフや獣人族が空高く吹き飛ばされた。空を舞っていた鳥人族までもが、その余波でバランスを崩して落下していく。
「む!」
クルスが目を見開く。萌の顔がパッと明るくなった。
「広臣だわ! やっぱり、あいつなら……!」
爆炎と土煙の中から、一人の男が静かに歩いてくる。
勇者・甲斐広臣。
彼はこの世界に来る前から、すべてにおいて「完璧」な存在だった。家柄、容姿、才能。何をやらせても一番。苦労という言葉を知らずに生きてきた文武両道の天才。異世界に召喚された時も、彼は自分の運命を当然のものとして受け入れ、この世界を救うことを己の正義とした。
彼のユニークスキル【理想再現】。
それは、彼が思い描く「理想の自分」を現実にする、理不尽極まる力だ。ステータスも、魔法も、奇跡も、彼がそうあるべきだと望めば、世界が彼に従う。
「……え?」
だが、歩みを止めた広臣の視線は、なぜか虚空を彷徨っていた。
「僕……は……」
かろうじて言葉を零す。
「さすが勇者だな。クルスたちが自分たちだけでやるって言うから待機してたけど、流石にあれはやばそうだったからさ。俺が出てきたんだよ」
聞き覚えのある声に、広臣が何とか顔を上げた。
「君……は……そら、い……か……?」
「ああ。お前のクラスメイト、空井奏多だ。アインシアを追われた流刑者だよ」
「よか……った……。無事で……」
「いやいや、お前の方が無事じゃなさそうだぞ。その体でよく立ってられるな」
奏多の言葉に、広臣が自分の体を見下ろす。
その瞬間、彼の完璧な世界が崩壊した。
右腕が根元から消失し、胸から腹にかけて刻まれた巨大な傷口から、見たこともないほどの鮮血が溢れ出していた。
「う……うあああああ!!!」
絶叫。そして、本能的に叫ぶ。
「【理想再現】!!」
広臣の体が眩い光に包まれ、肉体が急速に再生していく。失われた腕が生え、傷跡が消える。
「ふう……ふう……」
荒い息をつきながら、広臣は震える足で立ち直った。
「さすがだな。まさに無敵のスキルだ」
奏多の感心したような声が、広臣のプライドを鋭く削る。
「き、君はなぜここに!? というか、なぜ僕は倒れていた!? 君が僕を傷つけたのか!?」
詰め寄る広臣に、奏多は少し視線を逸らしながら頭をかいた。
「あー……。流石に島のみんなが死にそうだったからさ。ちょっと本気で攻撃しちゃったんだよ」
「君が!? あの、無能だと言われていた君が!? ……いや、失礼だな。だが……あり得ない」
「いいんだ。それでな、甲斐。お前たちは今すぐ国へ帰れ。これ以上はやりたくない」
「国に帰るだと!? なら君も帰ろう! 僕が王に進言する、君は無実だと!」
「いや、俺はこの島を離れる気はないよ。俺が、ここの『魔王』だからな」
「え……? 君が……魔王……?」
広臣の思考が停止する。
「世界を滅ぼすのは、君なのか……?」
「滅ぼさないよ。そんな気はさらさらない。ただ、お前たちがこれからも侵略してくるなら、俺は容赦しない」
「容赦しない? なぜ……? 君が僕に手加減をしているというのか? この僕に……? あれ? そういえば、君が僕を倒したって言ったよな? あの無敵の、天才である、僕を……?」
広臣の瞳から、理性の光が消えていく。
「ありえない……ありえないんだ、そんなことは。僕が……誰かに負けるなんて。無能な空井に……負けるなんてぇぇぇ!!」
「なっ!? おい、しっかりしろ!」
奏多が声をかけるが、広臣は頭を抱えてフラフラと彷徨い始めた。
「奏多殿! 何が起きたのじゃ!?」
「わからない……。いきなり様子がおかしくなったんだ」
駆け寄ってきたクルスが、風魔法の縄で捕らえていた太一と萌を連れてくる。
「あ、あれ……広臣か? どうしちまったんだよ!」
太一が声を上げる。萌は広臣の無惨な姿と狂態を目の当たりにし、言葉を失って座り込んでいた。
「クルス! とにかくあいつも捕まえてくれ!」
「わ、わかったのじゃ。はっ!」
クルスが風の縄を放つ。だが――
パァァァン!!
魔法が触れる直前、見えない力によって弾き飛ばされた。
「アリエナイ……アリエナイアリエナイアリエナイッ!!」
広臣の叫びが不吉な重低音へと変わり、彼の体から赤黒い不気味なマナが噴き出し始める。その禍々しさに、戦っていたアインシア兵たちも動きを止め、恐怖に震えだした。
「マナが暴走しておるな」
不意に、奏多の隣にオウが現れた。
「オウ!?」
「あの小僧、体内に二種類のマナを宿しておる。一つは自身が培ったもの、もう一つは外から与えられた……主を殺すためだけのマナだ。今、絶望した小僧の心が隙を作り、その黒いマナが持ち主を喰らい始めた。スキルが、主を殺すための『最悪の理想』を形にしようとしておるぞ」
勇者のスキルによる「マナの暴走」。
漆黒の闇に包まれていく広臣を前に、奏多は守王としての真価を問われようとしていた。
結構長めにできた〜




