禁忌の代償
「くっ……リリスはまだなのか……」
クルスは荒い息を吐きながら膝をついた。いくら魔導に長けたエンシェントエルフといえど、魔力は無限ではない。彼女の周囲では、盾となっていた戦闘部隊のエルフたちが一人、また一人と力尽き倒れていく。
魔法を持たぬ肉弾戦で応戦していた他の三種族も、圧倒的な「数の暴力」の前に防戦一方となっていた。一人のドワーフ兵が力尽き、地面に伏そうとしたその時だった。
「待たせちまったな、同胞よ」
後ろから分厚い手がその肩を支えた。ボンドが、戦える職人たちを引き連れて戻ってきたのだ。さらにその脇からは、ゲルド率いる獣人族と、アルマが先導する鳥人族が次々と駆けつける。
「やっと避難民の誘導が終わったからな。動けるやつらを根こそぎ連れてきたぜ!」
得意げに吠えるゲルドに、アルマが呆れたようにツッコミを入れる。
「さっきまでビビってたくせに、何を言ってるんだい」
「お前たち……やっと来てくれたか……」
安堵からか、クルスの瞳にわずかに涙が浮かぶ。
「クルスさん、リリス様が『あともう少し』だと言っていました。だから、踏ん張りましょう!」
アルマの言葉に、クルスは力強く立ち上がった。
「なら、弱音を吐いてはいられないね。いくよ、みんな!」
【場面転換:リリス】
「ふぅ……あと少し……あと少しで、島のマナを繋ぎきれる……」
額ににじむ汗を拭い、リリスは極限の集中を続けていた。
魔王の末裔である彼女には、島そのものに宿るマナと住民から発せられるマナ、その二種類を一点に集束させる能力があった。それを練り上げ、巨大な「壁」を再構築することで、島のマナを持たぬ者を強制的に弾き出す――それが先代から伝わる禁術だった。
だが、この術は諸刃の剣だ。島全体のマナ濃度を一気に下げ、呪いとも言える「石化」を早める危険性がある。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
リリスは心の中で謝り続けていた。
感謝祭のために訪れていた他の異人たち。この術を使えば、彼らは慈悲もなく外海へと放り出され、海の藻屑となるだろう。そして、石化がどこまで進行し、住民にどれほどの苦痛を与えるかも未知数だった。
(だけど……このままでは全員殺されてしまう。人間たちは、この島を、魔王を恐れすぎている……)
「私が、みんなを守らなきゃ……!」
リリスはカッと目を見開き、両手を天へと突き上げた。
「――コラプス・アルス・ノヴァ!!」
その叫びに応じるように、島の上空に夜空を覆い尽くすほどの巨大な魔法陣が出現した。
「な、なんだ!? 何が起きてる!」
狼狽する人間の兵士たち。だが、クルスだけは空を見上げ、確信を持って呟いた。
「……きたか」
やがて、狂乱の声を上げていた兵士たちの姿が、蜃気楼のように希薄になっていく。
人間だけでなく、彼らの黒い軍艦も、観光客の異人たちも、その船までもが、まるで最初から存在しなかったかのように世界から「消去」されていく。
「こりゃあ、すげえ……」
ボンドが呆然と呟いた直後、大地が鳴動し、海がゴゴゴと唸りを上げた。
「ここは危険だ! 早く鉱山へ避難するぞ!」
クルスの号令で全員が駆け出す中、アルマだけは一度だけ海の方へと振り返った。
「ドラコ……」
その名を一度だけ口にすると、彼女もまた仲間たちの後を追った。
荒れ狂う海と共に、港は島が縮小していく過程で飲み込まれ、消えていった。
こうして人間たちの襲撃は、リリスの禁術によって幕を閉じたのである。
最強の竜人族は、島に一人も残っていなかった。おそらくドラコが全員を連れて、混乱に乗じて脱出したのだろう。
最善を尽くした結果ではあったが、代償はあまりに大きかった。島は小さく縮小し、多くの命が失われた。そして何より、この島は世界から完全に切り離された「石化の檻」となり、閉鎖的な歴史を歩み始めることになったのである。




