決戦の地へ
レグド大陸・中央の古城
レグド大陸の中央にひっそりと佇む、時を忘れたかのような古びた古城。
その薄暗い一室で、カオスは自身の両手を見つめながら、満足そうに口元を歪めていた。
「この体も、大分馴染んできたね」
カオスの独り言に答える者はいない。彼のすぐ横には、美しい青い髪をした少女が静かに佇んでいた。しかし、その瞳には光がなく、ただ黙ったまま、はるか遠くの景色を見つめている。
「せっかく僕が『魔神の女神』として生まれ変わらせてあげたのに、何も言わないなんてひどいなぁ」
カオスはおどけたように肩をすくめたが、少女はただ虚ろな表情のまま、どんよりとした空を見上げているだけだった。
「まあいいや。そろそろ全世界を掌握しにいこうか」
カオスは室内から、外へと繋がるバルコニーへとすたすたと歩き出す。
バルコニーの手すりに手をかけ、彼が見下ろした景色の先――そこには、地平線の彼方まで埋め尽くすように、黒く蠢く無数の魔物たちの姿があった。城を取り囲むその光景は、まさに世界の終わりを体現しているかのようだった。
「こんなにいらないんだけど……僕が生きてると、やっぱり無限に湧いてきちゃうね」
カオスが困ったように微笑んだ、その時だった。
隣にいた青髪の少女の身体が、ピクッと何かに反応して微かに震えた。
その変化を横目で捉えたカオスは、実に見事なものを見つけたと言わんばかりに、嬉しそうな声を上げた。
「――種が芽吹いたね」
次元の狭間
光が収まり、静寂が戻った空間で、愛多が恐る恐る声を漏らした。
「空井くん……その姿……」
「ごめんみんな、心配かけた。……ドラコ、ありがとうな」
奏多は背中の白い羽を少し動かしながら、満身創痍の友へと視線を向けた。
「ふんっ。面白かったから別に気にすんな」
ドラコはそっぽを向き、バツが悪そうに鼻を鳴らす。
「負担をかけたな、我が子供よ」
竜神がスッとドラコに手をかざすと、温かなマナが彼を包み込み、刻まれていた無数の傷が一瞬にして癒えていった。
「いいってことですぜ」
ドラコは元気よく立ち上がり、己の肉体の調子を確かめるように拳を握る。
その様子を見届けた広臣が、驚きを隠せない様子で竜神に尋ねた。
「空井は……竜人になったってことですか?」
「いいや、あれは竜化のその上……『竜神化』だ」
「竜神化!? ってことは、竜神様と同じってことですか?」
「いや、俺様はこの世界が生まれた時からいる竜人族の始祖みたいなものだ。この『竜神』という名前も、後から連中に崇められてつけられた呼び名だからな。だが、奏多のあれは、神クラスの者が竜化を経て、新たに自力で到達した境地……のようなものだろう」
「のようなものって……」
奏多が苦笑いしながら一息つくと、シュン……という風切り音と共に白い羽と角が消え、いつもの見慣れた人間の姿へと戻った。
「そっちのほうが馴染み深いな。ガハハ!」
ドラコが豪快に笑う。
奏多は静かに拳を握りしめ、真っ直ぐな目で前を見据えた。
「俺は、この力で自分の大切な人たちを守る。――アリス、待っててくれ」
「じゃあ、早速カオスのところに向かうんですか?」
広臣が聖剣に手をかけながら引き締まった表情で聞いた。しかし、それに応じたのは竜神の意外な言葉だった。
「いや……まずは腹ごしらえだろう?」
天空国ドラゴニア・謁見の間
豪快な咀嚼音と、次々に空になっていく皿の音が響き渡る。
奏多は目の前に並んだ巨大な骨付き肉や、見たこともない濃厚なスープを、恐ろしい勢いで次々と平らげていた。
「大、大丈夫ですか……?」
愛多が少し引き気味に、心配そうな声をあげる。
「空井も相当お腹が空いてたんだろう。……僕もこの通りさ」
広臣が爽やかに笑いながら、自分の横にうず高く積み上げられた大量の皿を指さした。
「甲斐くんも……!?」
愛多が目を丸くする。
「ほら! 遠慮せずにもっと食え! 最後の食事かもしれねえからな! ガハハ!」
ドラコも自分の肉を頬張りながら豪快に笑う。
ここは、雲の上にはるか高く位置する「天空国ドラゴニア」。ドラコが若き王を務める、誇り高き竜人族の国である。
かつては人間族のアインシア王国と表面上の協力関係にあり、魔族のアリスティアとは一触即発の緊張状態にあった国。そんな歴史を持つ場所で今、アリスティアの魔王である奏多と、アインシアの勇者である広臣、そして聖女の愛多が、肩を並べて同じテーブルを囲んでいる。
「強い力を使えば使うほど、肉体が欲するマナと栄養は多くなる。だからこそ、戦う前の食事は大切なのだよ」
竜神が満足そうに彼らの食べっぷりを眺めながら言う。
「アインシアもミリアの洗脳で何が起きるかわからないし、アリスティアの住民も死んでしまった今……ドラコさんの国が無事で本当によかったです」
広臣が少し寂しげに、しかし感謝を込めて言った。
「ああ、今はな。だが、これから先はどうなるかわからねえ。すべてはお前らにかかってるからな!」
ドラコがビシッと二人を指さす。
「お前も戦えよ」
奏多が肉を飲み込みながら、ジト目で突っ込んだ。
「あったりめえよ! 暴れ足りねえからな!」
ドラコがニカッと八重歯を見せて笑う。
やがて、テーブルの上のすべての料理が綺麗に平らげられた。
奏多と広臣が静かに立ち上がる。その佇まいからは、先ほどまでの大食漢の面影はなく、世界を背負う者としての圧倒的な覇気が漂っていた。
「もう準備はいいな?」
竜神が厳かに問いかける。
「ああ」
奏多が短く応じる。
「早く、世界を救いに行きましょう」
広臣もまた、強く頷いた。
「うむ。これから俺様の力で次元を超え、カオスのいる古城の真上までお前らを運ぶ。城の周りは魔物で埋め尽くされている。俺様とドラコ、そして愛多は、周囲に湧いているその膨大な魔物たちを引き受けて倒す。――お前ら二人は、奥にいるカオスを仕留めるのだ」
竜神が作戦を言い渡すと、ドラコが拳を顔の前で打ち合わせた。
「心配すんな! お前らがもし負けたら、この俺様がカオスを直々にぶっ潰してやるからよ!」
「皆さんが怪我をしたら、私がすぐに治して助けますから!」
愛多も信仰のシンボルを胸に抱き、凛とした声で後に続く。
かつて争い、すれ違い、傷つけ合った少年たちが、世界の命運を懸けて今、一つの戦列に並ぶ。
本当の最終決戦の幕が、静かに、しかし熱く上がろうとしていた。




