生き残った者たち
ザッッ!!
奏多と広臣は、崩壊しかけたユグドラシルの枝を蹴り、猛烈な速度で麓へと降り立った。
しかし、地面に着地した二人は、眼前に広がるあまりにも異常な光景に息を呑み、言葉を失って愕然と立ち尽くした。
あたり一面、見渡す限りの地面に、アリスティアの住民たちが折り重なるようにして倒れ伏している。
「これは……っ」
広臣が戦慄混じりの声を漏らす。
だが、奏多はその言葉に反応することすらなく、まるで行き先を最初から知っているかのように、無言のままふらふらと歩き出した。
「空井……!」
後ろから広臣が必死に呼びかけるが、今の奏多の耳にはそれすら届かない。
少し歩いた後、奏多はある場所でピタリと足を止めた。
そこには、これまで共に修羅場を潜り抜けてきた大切な仲間たちが転がっていた。クルス、ボンド、ゲルド、アルマ、ナル、そして新しく加わった獣人のレトルまで。
全員、身体に目立った致命傷のような傷は一切ない。まるでただ、穏やかに眠っているかのように冷たくなっていた。
奏多を追いかけて走っていた広臣が、不意に何かに足を引っ張られる。カツン、と靴が硬い金属に当たった。
「え……?」
広臣が怪訝に思い、自分の足元を見下ろす。
「――っ!!!!」
広臣は息を吸ったまま、全身を襲う凄まじい衝撃に硬直した。
そこにあったのは、彼が誰よりも信頼していた親友、桐生太一と椎名萌の無惨な死体だった。広臣の足に当たったのは、太一が肌身離さず持っていたあの大剣だった。
「太一っ……!! 萌――ッ!!!!」
広臣が狂ったように叫び、二人の遺体にすがりつく。
奏多は親友の絶叫を横目で見つめながら、感情の消えた声で、ぽつりと呟いた。
「全てカオスの仕業だ……。絶対に、許さねえ……っ」
太一の遺体をかき抱きながら泣き叫んでいた広臣が、ふと、ある重大な事実に気づいて顔を跳ね上げた。
「……!? あれ? 愛多は!? 空井、愛多の姿を見たか!?」
広臣の必死の叫びが響く。
「……委員長……?」
奏多の濁った瞳に、わずかな光が戻る。
「そういえば……アリスの姿もない……! まだ、生きているかもしれない!」
広臣はその言葉に縋るように立ち上がった。
「……探そう! まだ生きている可能性があるなら、絶対に!」
その時だった。
ギンッ!!!!
突如として、二人のすぐ近くの空間が、刃物で切り裂かれたかのように縦一文字に割れた。
「っ!」
「バッ……!」
二人は瞬時に涙を拭い、臨戦態勢で武器を構える。
しかし、割れた空間の裂け目から姿を現したのは、全く予想だにしない人物だった。
「よお! 生きててよかったぜ、お前ら……!」
豪快な笑みを浮かべて出てきたのは、ドラコだった。
「ドラコ……!」
二人の声が重なる。
「……残念ながら、二人しか助けられなかったがね」
ドラコの後ろから、重々しくも威厳に満ちた声が響く。
空間から一歩踏み出したのは、燃えるような赤い髪をなびかせた、優に2メートルはあろうかという長身の女。
「竜神……!?」
奏多がその圧倒的なマナの気配に目を見開く。
「あなたが、竜神様ですか……。でも、二人しか助けられなかった、とは?」
広臣が問いかける。その疑問に答えるように、竜神の背後からスッと人影が姿を現した。
「私です……」
消え入りそうな声で微笑んだのは、夢野愛多だった。
「愛多(委員長)――!?」
奏多と広臣が同時に声を張り上げる。
「無事だったのか……! よかった、本当によかった……っ」
広臣の目から、今度は安堵の涙がボロボロと溢れ出す。
「こんな状況だけど……生きててくれてよかった」
奏多も胸を撫で下ろした。
「お二人も無事で、本当によかったです……」
愛多は痛ましそうに周囲の死体の山を見つめながら、弱々しく首を振った。
「一体、ここで何があったんだ!?」
広臣が詰め寄る。それに対して、赤い髪の巨漢――竜神が腕を組んで前に出た。
「俺様から話をしよう」
竜神の口から語られた麓の出来事は、あまりにも壮絶で、絶望的なものだった。
魔物の大群を辛くも退けたアリスティアの住民たちは、奏多が必ずカオスを倒して戻ってくると信じ、このユグドラシルの下に集結していた。怪我を負った者たちも、回復魔法によってほぼ動けるまでに回復していたという。
しかし、そこへカオスが降りてきた。
悲劇は、本当に一瞬のことだった。
カオスがただ、軽く手を挙げた瞬間。その場にいた何千という住民たちが、抗う術もなく、一斉に眠るように息を引き取ったのだ。
異変を察知した竜神が、すんでのところでドラコを別次元の空間へと引き込み、辛うじて難を逃れた。
だが、怪我人に回復魔法をかけ続けていた聖女・夢野愛多にだけは、なぜかカオスの即死魔法が効かなかった。理由は定かではないが、彼女が女神イリスの力を代行できるほどの、極めて高い親和性を持っていたからだろうと竜神は推測した。
そして、もう一人――アリス。
彼女は先ほどの激戦の後、自身の肉体が限界を遥かに超えているのにもかかわらず、周りの怪我人たちのために不眠不休で回復魔法をかけ続けていた。そして、何人目かの治療を行っている最中、極度の魔力枯渇によって意識を失い、アリスティアの住民が用意したテントの中で眠り込んでいたのだという。
カオスは迷わずそのテントへと向かい、眠るアリスをそのまま連れ去ってしまったのだ。
「……そんな……ことが……」
広臣は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に耐えた。
「……くっそっ!!!!」
奏多の胸の中で、怒りと無力感が爆発する。
「落ち着け、奏多よ。アリスはまだ死んではいない」
竜神が諭すように声をかける。
「そうだぜ。まだお前ら二人と、俺らが生きてるんだ。勝算が完全に消えたわけじゃねえ。アリスだって、まだ助けられるさ」
ドラコも奏多の肩を叩いた。
「カオスは……カオスは今、どこへ行った!?」
奏多が鋭い眼光で竜神を睨みつける。
「あいつはレグドに向かっている。だが、今の奴の移動速度は、お前たちが普通に追いつけるスピードではないぞ」
竜神の言葉が終わるか終わらないかのうちに、奏多はレグドの方角へ向かって走り出そうとした。
「おい! 待てよ!」
ドラコが咄嗟にその身体をがっしりと掴んで引き留める。
「放せっ! すぐに行かなくちゃいけないんだ……!」
奏多は狂暴なまでの焦燥感を顔に浮かべ、ドラコの手を振り払おうともがく。
その痛々しい横顔を見て、愛多が小さく呟いた。
「空井くん……」
「ドラコの言う通りだ。今のお前が行って何になる? 上でカオスにこっぴどくやられたのだろう?」
竜神の冷徹な指摘が突き刺さる。
「そんなこと関係ねえ! あいつは、絶対に俺が殺す!」
「空井……。気持ちは痛いほどわかるが、ここは竜神様の方が正しい。一度作戦を練り直してからじゃないと……」
広臣も必死に奏多を止めようとするが、今の奏多には逆効果だった。
「うるせえっ!!!! アリスが……アリスが今、危ないんだよ……ッ! 俺は行く、離せ!!」
奏多が声を荒らげた、まさにその時だった。
パチーーーンッ!!!!
静まり返った森林の中に、乾いた高い音が激しく響き渡った。
「……え?」
奏多は動きを止め、みるみるうちに赤く腫れ上がっていく自分の右頬を押さえながら、信じられないというように目を見開いた。
広臣も、ドラコも、竜神すらも、あまりの衝撃に唖然としてその光景を見つめる。
呼吸を荒くし、涙を溜めながら奏多の前に立っていたのは、愛多だった。彼女が、持てる限りの力で奏多の頬を強くビンタしたのだ。
「空井くん……! 落ち着いてください!」
愛多は叫んだ。その身体は小刻みに震えている。
「いつも冷静で、どんな時でも落ち着いていた空井くんは、どこに行っちゃったんですか!? 今のあなたがやろうとしていることは、ただの無謀です! そんな捨て鉢な状態じゃ、アリスさんを救うことなんて身の程知らずもいいところです! 誰も、救えません!」
「委員、長……?」
奏多の声が微かに震える。
「私は……空井くん、あなたのことが好きでした! それは、前の世界にいた時からずっとです!」
突然の告白に、広臣がハッと息を呑む。
愛多は涙を流しながら、心の奥底に秘めていた想いを全て吐き出すように言葉を続けた。
「いつもクールに振る舞っているけれど、本当は誰よりも優しいところ。それは、この世界に来てからも、何一つ変わっていませんでした……! だけど……!」
愛多は奏多の胸ぐらを掴むようにして、声を張り上げた。
「今の、自暴自棄になって周りが見えなくなっているお粗末なあなたは……大嫌いです!」
「っ……」
奏多は言葉を失い、凍りついたように愛多を見つめた。彼女の涙と、ビンタされた頬の熱い痛みが、彼の暴走していた頭を急速に冷やしていく。
「ヒュー……」
緊迫した空気の中、ドラコが小さく感心したように口笛を吹いた。
竜神はふっと口元を緩めると、奏多の前に歩み出た。
「か弱い女の子に、手痛い喝を入れられてしまったな。……さて、奏多。お前はどうする?」
奏多は深く、深く息を吐き出し、腫れた頬からそっと手を下ろした。その瞳からは先ほどまでの狂気的な焦りは消え、いつもの静かで鋭い光が戻っていた。
「……ありがとう、委員長。目が覚めた」
奏多は愛多に向かって真っ直ぐに告げると、振り返って竜神を見上げた。
「竜神、力を貸してくれ。今度こそあいつを叩き潰す」
「ふっ。心得た。俺様の全力を以て、お前たちの道標となってやろう」
竜神は不敵に笑い、力強く頷いた。




