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第7話「魔法というのは、どうやって使うのか」

お読みいただきありがとうございます。


「測定不能」のスキルを手に入れたものの、使い道がわからない。

深夜の公園で蓮が試みた「練習」が、翌朝とんでもない事態を引き起こします。

退職してから十五日が経った。


 管理局の早川から連絡が来た。「国防省の別紙問題について、正式な謝罪文を送付するよう国防省側に申し入れました」とのことだった。謝罪文は翌日に書留で届いた。縦書きの公文書で、担当者の名前と押印があり「送付漏れという不手際を深くお詫び申し上げます」と書いてあった。


 蓮は謝罪文を受け取った証として手帳に記録し、ファイルに入れた。


 ただし「義務」の法的根拠は別紙に書いてあるはずで、その別紙はまだ届いていなかった。謝罪文と法的根拠の文書は別物だ。謝罪は受け取った。確認事項はまだ残っている。事務員の習慣で、案件を「完了」と「継続確認」に分けると、今日の段階では「継続確認」だった。


---


 その夕方、蓮は近所の公園に出かけた。


 住宅街の中にある小さな公園で、ブランコと砂場とベンチがあるだけだ。夜の九時を過ぎると人気がなくなる。平日の夜で、風もなく、虫の声だけがしていた。空が少し曇っていて、月が薄く見えた。


 目的は、魔法の練習だった。


 公園を選んだのに、特に深い理由はなかった。ベランダで試みて失敗した記憶があったので、広い場所の方がいいかと思ったくらいだ。木のベンチに腰を下ろして、冷たい空気を吸った。


---


 まず、今わかっていることを整理した。


 スキルは覚醒している。等級は「測定不能」。魔法使いの種別は「炎・全属性」と管理局に記録されているらしい——これは早川から先週聞いた。炎だけでなく全ての属性魔法が使える可能性がある、という意味だ。ただし本人は一切制御できていない。


 唯一の実績は、コーヒーカップが温まったことと、ベランダで手が熱くなったことだ。どちらも無意識の発動だった。


 整理した。次に、何から試すかを決めた。


---


 まず「意図的に何かを変えよう」と試みた。


 砂場の砂を見て「動かしたい」と思った。何も起きなかった。


 ベンチの横の枯れ葉を見て「燃やしたい」と思った。何も起きなかった。


 目を閉じて「魔法を出したい」と思った。予想通り、何も起きなかった。


 三分後、蓮は首を傾けた。「意図する」だけでは動かないらしい。当然かもしれなかった。どんな技術も、「やりたい」という意思だけでは動かない。操作を学ぶ必要がある。問題は、その操作方法がわからないことだった。


 方法を変えた。


 探索者の活動報告書に「魔力の練り上げ」という表現が何度か出てきた。「練る」が何を意味するのかはわからなかったが、体の内部に意識を向ける動作を試してみた。腹の奥の方に注意を向ける。次に胸。次に右腕。


 じっと意識を向けたまま待った。何かが変わるかもしれない、という期待と、何も変わらないかもしれない、という見込みが交互にあった。


 十分後、何もなかった。


---


 ならば目的を持った動作の方がいいかもしれない、と考えた。


 コーヒーカップが温まった時、蓮はケトルのスイッチを押して「お湯を沸かす」という目的を持っていた。「熱を出す」という具体的な意図があった。漠然と「魔法を出したい」と思うのではなく、もっと具体的な目標の方が動きやすいのかもしれない。


 砂場の砂を一掴みした。手のひらに乗せて、「この砂を温めたい」と思った。


 三十秒後、何も起きなかった。砂は砂だった。


 手の温度だけが冷えた。秋の夜の空気が、手のひらから熱を奪っていた。


---


 また別の方法を試した。目を閉じて、コーヒーカップが温まった時の感覚を思い出した。あの時、手が熱くなる前に何かが——なんとなく体の内側から何かが来た感じがあった気がしたような、しなかったような気がした。記憶はあいまいだった。


 あいまいなまま、その感覚を再現しようとした。


 体の内側に意識を向ける。どこか、熱が来る前の前触れのような何か。それを探す。でも探しても見つからなかった。探そうとすること自体が、邪魔をしているのかもしれなかった。


 ならば探すのをやめて、ただ待つ。


 五分待った。十分待った。


 何もなかった。


 三十五分後、蓮はベンチの背もたれに寄りかかった。


 成果はなかった。虫の声だけが続いていた。


 何かが「できない」という経験は、探索者の活動報告書でも読んでいた。スキル覚醒直後は制御が難しく、意図した通りに動かないのが通常だ、と書いてあった。ただ「通常」という言葉は、他の人間がいる前提だ。自分の場合は等級が「測定不能」で、比較対象がいない。同じ困難さかどうかもわからない。


 管理局の設備で練習することになった理由も、今改めてわかった。自主練習では何が起きるかわからない。施設の方が、少なくとも観察する人間がいる。


 空を見上げた。曇り越しの月がぼんやり白かった。住宅街の中の公園は、真っ暗ではなかった。街灯が一本、砂場の近くにあった。


 もう少しだけ試してみようと思った。


 目を閉じて、コーヒーカップが温まった時のことではなく、退職した朝のことを思い出した。あの朝、アパートに戻って手帳を開いた時、手のひらが熱かった。何かが解放された後の熱さだった。五年間の記憶が、エレベーターの扉が閉まった瞬間に切れた。その感覚は今でも覚えている。


 その感覚に近いものを、今呼び起こせるか。


 試した。


 何も起きなかった。その感覚は、意図的に作れるものではなかった。


---


 帰ろうと立ち上がった時、足元の地面に異変があった。


 コンクリートと土の境目の辺りに、薄い煙が立っていた。


 蓮は屈んで確認した。地面が黒くなっていた。直径でいうと五センチほどの小さな焦げ跡だった。さっきまでなかった。熱は残っていなかったが、土の表面が確かに焦げていた。


 蓮は自分の右手を見た。手のひらが、うっすら赤くなっていた。


 「燃やしたい」と思った時、枯れ葉ではなく足元の地面に向かっていたらしかった。しかも本人は気づかなかった。意識ではなく、体の別の部分が勝手に動いていた、ということだ。


 少し怖かった。


 手帳を取り出して記録した。


```

【魔法制御実験・1回目】

 場所:近所の公園(夜9時頃)

 試行内容:意図的な発動を複数方法で試みたが自覚なし

 副次的発動:足元の地面が焦げた(直径約5センチ)

 本人の気づき:事後のみ。手のひらが赤くなっていた

 仮説:「目的を意識する」と体が無意識に発動する可能性

    制御できていない。危険性がある

```


 書きながら、五センチという数字を見た。小さい。でも無意識だった。意識していたら、もっと大きくなっていたかもしれない。あるいはまったく別の方向に動いていたかもしれない。わからなかった。


---


 翌朝、公園を通りかかった時、蓮は立ち止まった。


 昨夜確認した「五センチの焦げ」が、一晩で変わっていた。


 直径三メートル。


 コンクリートと土の境目の部分に、黒い円形の跡が広がっていた。昨夜は暗くて全体が見えていなかっただけで、実際の焦げはずっと広範囲だったらしい。あるいは帰った後も、眠っている間も、何らかの発動が続いていたのかもしれない。


 どちらの可能性も、同じくらい怖かった。


 ブランコで遊んでいた子どもが二人、こちらを見ながら「なんかこげてる、こわーい」と話していた。


 まずかった。


 蓮はすぐにその場でスマートフォンを取り出し、管理局の早川にメッセージを送った。


「昨夜公園で練習していたところ、今朝確認すると直径三メートルの焦げ跡ができていました。一般の方が気づく前に処理をお願いできますか」


 五分後に返信が来た。


「…………確認します。それ以上の自主練習は一旦中断してください」


 文中の「……」の長さが、早川の動揺を物語っていた。


---


 午後、管理局の職員が二人来た。


 二十代の男性職員で、特殊な消去剤と道具一式を持参していた。処理は十分で終わった。手際が良かった。こういう処理を何度もやってきたらしい動きだった。


 職員の一人が帰り際に言った。


「柏木さん、昨夜の在宅時間はどのくらいですか」


「帰ったのは夜十時頃です。なぜですか」


「消去剤の効果範囲から判断すると、帰宅後も発動が続いていた可能性があります。念のためご自宅の確認をよろしいですか」


 職員を部屋に通した。


 ベランダの床が、ほんのり黒ずんでいた。電気ケトルを確認すると、底の部分が少し歪んでいた。蓮が使い続けていた、五年間愛用した安物のケトルが、変形していた。


 職員はベランダを処理してから「当面の間、自主練習は管理局の設備でお願いします」と言い残した。


「わかりました」


 職員が帰った後、変形したケトルを手に持って、少しの間眺めた。これが五年間使い続けたケトルだ。壊れてはいなかった。底が歪んだだけだ。機能はまだある。


 ただ、自分の体から出たエネルギーで変形した、という事実が少し不思議だった。五年間ずっと無意識に使っていた日用品が、自分の意図しない力で変形した。スキルが自分の一部だということが、ようやく実感として近づいてきた。


---


 夜、凛にメッセージを送った。


「公園に三メートルの焦げ跡ができました。自宅のベランダとケトルも少し被害がありました」


「……え」と凛が返した。


「昨夜練習したところ、無意識に発動していたようで」


「練習の結果でケトルが変形するんですか」


「気づかなかったので、どのくらいの時間発動していたかわかりません」


「笑いましたが、ちゃんと怖いですよ」


「わかっています。管理局の設備で練習することになりました」


 少し間があって、「練習に同席していいですか。補助魔法で出力を抑えられます」と凛が続けた。


 蓮は少し考えた。三メートルの焦げ跡とケトルの変形という事実を見ると、一人で練習することへの懸念はあった。管理局の設備があるとはいえ、制御できないスキルが予測外の方向に動く可能性は残る。凛の補助魔法が実際に機能するかどうかは試したことがなかったが、側にいてくれる人間がいることは、純粋にありがたかった。


「早川さんに確認します」と返した。


「ぜひ」


 翌朝、変形したケトルがまだ使えるか試した。


 普通にお湯が沸いた。


 底が歪んでも、機能は変わらなかった。蓮はそのケトルを使い続けることにした。捨てる理由がなかった。


次話:第8話「凛さんは、なぜ第三支部にいたんですか」


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