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第3話「剣聖会の本部長補佐が来た」

本日最後の更新です。

最大手ギルドからの破格のスカウト。それに対する蓮の「事務員らしい」回答をお楽しみください。

インターホンが鳴ったのは、木曜日の午前十一時だった。


 宅配便にしては時間が中途半端だと思いながらモニターを見ると、スーツ姿の男が立っていた。年齢は四十代後半だろうか。体格がよく、背筋がまっすぐだった。郵便受けに名刺を入れていった、剣聖会の人間に違いなかった。


 蓮は迷った。無視することもできた。宅配業者ではないので、再配達の手配も不要だ。管理局の面談が終わるまで、余計な接触は避けた方がいいという気もした。


 だが結局、応答ボタンを押した。


 対応を先送りにしても何も変わらないし、一度話を聞けばかえって断りやすくなる——というのは、ギルド事務員として五年間でいやというほど学んだことだった。先延ばしにした案件は後で二倍になって返ってくる。それなら今日片付けた方がいい。


「柏木蓮さんでしょうか。先日名刺をお送りした、剣聖会の御堂と申します。突然で恐れ入りますが、少しだけお時間をいただけますか」


 声は落ち着いていて、圧がなかった。官僚的な口ぶりでもなく、営業的な明るさでもなく、ただ用件があるから来た、という声だった。


「……どうぞ」


 蓮は扉を開けた。


---


 御堂誠一は部屋に入ると、まず「お邪魔します」と言い、靴をきちんと揃えた。


 六畳のリビングに案内すると、勧めもしないのにソファの端に浅く腰かけた。部屋を値踏みするような視線は一切なかった。调度品を確認する素振りもなかった。ただまっすぐ蓮を見ていた。


 五年間、様々な探索者や業者をギルドに通した。強い者ほど部屋に入った瞬間に周囲を測る。どこに出口があるか、相手の力量はどれくらいか、確認してから動く。それが高等級の探索者に染み付いた癖だ。御堂はその反対で、測ることに興味がないように見えた。蓮がどんな部屋に住んでいるかよりも、蓮という人間の方に注意が向いている。そういう人間は、蓮が今まで会った中でほとんどいなかった。


「コーヒー、飲みますか」


 蓮が聞くと、御堂は少し意外そうな顔をした。


「いただきます」


 蓮はキッチンでコーヒーを二人分淹れた。手を動かしながら、御堂がどんな話を持ってくるかを予測した。おそらく採用の話だろう。剣聖会のような大組織が「測定不能」の魔法使いを放っておくわけがない。問題は条件と、断り方だ。大組織の幹部に断りを入れる機会は今まであまりなかったが、やることは同じだ。明確に、かつ丁寧に、理由を添えて言う。


 コーヒーを持ってテーブルに座ると、御堂はカップを両手で受け取り、一口飲んだ。


「うまいですね」


「ありがとうございます」


「……単刀直入に言います」


 御堂は姿勢を正した。


「剣聖会として、あなたに正式なオファーをしたいと思っています。所属形態は正社員でも顧問契約でも、あなたの希望に合わせます。活動内容はあなたが決めていい。給与は月額五百万から交渉できます。研究室と専属サポートチームも用意します。スキル制御の訓練環境も整えます。剣聖会が持てるリソースは、全部使っていいと思っています」


 月額五百万。


 蓮は一瞬、計算した。年収六千万。ギルド事務員時代の約二十倍だ。笹岡が五年かけて一度も出さなかった「給与見直し」を、見ず知らずの相手が来て三十秒で提示した。


 笹岡のことを思い出したら、少し可笑しかった。


「断ります」


 御堂は表情を変えなかった。


「理由を聞いてもいいですか」


「今は休んでいる最中なので」


 短い沈黙があった。御堂はコーヒーをもう一口飲んだ。蓮の断り方に動揺している様子は、一切なかった。


「有給消化中、ということですね」


「そうです」


「いつ頃まで休まれる予定ですか」


「決めていません」


 御堂はしばらく考えてから、かすかに笑った。怒りでも皮肉でもなく、本当に少し可笑しそうな顔だった。


「なるほど。先日、管理局から連絡が行きましたよね」


「来週会いに行く予定です」


「会いに行けたら、また話を聞かせてください。私どもとしては、あなたに早めに意思決定していただきたい事情もあるのですが——」


「その事情というのは」


 蓮が遮ると、御堂は少しだけ間を置いた。


「今は言える段階にありません。ただ」と御堂は続けた。「あなたが持っているものが、おそらく今後この国にとって非常に重要な意味を持ちます。私はそれを本気で思っているので、こうして直接来ました。組織のためではなく、個人的な判断として」


 蓮は御堂の顔を見た。


 五年間、笹岡の言葉を聞き続けた。すべて自分のために飾り立てた言葉だった。「お前のために言ってやっている」と前置きしながら、実際は「俺が楽になりたい」という言葉だった。御堂の言葉は、それと質感が違った。自分の利益を隠す気がなかった。「剣聖会のため」であることを否定しないまま、「個人的に」と付け加えた。その正直さが、かえって信用できるように感じた。根拠のある信用ではなかったが。


「わかりました。検討します」


「それで十分です」


 御堂は立ち上がり、コーヒーカップを丁寧にテーブルに戻した。


「美味しかったです、コーヒー。豆はどちらのですか」


「近所のスーパーで買った、特売の百グラム四百円のやつです」


 御堂は本当に笑った。声を出して、少しだけ。


「そうですか」


 笑い方が自然だった。作った笑いではなく、本当に面白かったから笑った、という顔だった。蓮には、人の笑い方が本物かどうかを見分ける感覚が多少あった。五年間、笹岡の「機嫌がよさそうな顔」と「実は機嫌が悪い顔」を読み続けてきたからだ。御堂の笑いは、蓮が今まで接した組織のトップ格の人間とは、少し違うタイプだった。


---


 玄関で靴を履き、御堂は振り返った。


「他にも連絡が来ると思います。魔法学院、国防省、それ以外にも何か所か。私どもより条件のいい話もあるかもしれない」


「そうですか」


「ただ、全部が善意からではない、ということは念頭に置いておいてください」


 それだけ言って、御堂は出ていった。


---


 部屋に戻り、蓮は使ったコーヒーカップを二つ洗った。


 御堂が最後に言ったことが、少し引っかかった。


 全部が善意からではない。


 剣聖会のオファーは善意だと言いたかったのか。それとも、単純に情報として伝えたかっただけか。どちらとも取れた。ただ少なくとも、わざわざ言いに来たということは、相手にとって何らかの意味があるはずだ。


 蓮はカップを拭きながら、もう一つのことを考えた。


 御堂は「重要な事情」があると言っていた。言えない、と言った。来週の管理局の面談で、その「事情」に近いものがわかるかもしれない。管理局が動いているのも、剣聖会が急いでいるのも、同じ何かを背景にしているように思えた。調べた資料の中にあった「連絡途絶」の三件と、何か繋がっているのかもしれない。


 蓮はノートに追記した。


```

・剣聖会 御堂誠一 来訪。条件提示→断った

 →月額500万、専属チーム、研究環境

 →「全部が善意ではない」という警告あり

 →「重要な事情」があると言っていたが、内容は話さなかった

 →来週の管理局面談で情報が出る可能性あり

・他にも接触が来る見込み:魔法学院、国防省

```


---


 翌日の昼、魔法学院から電話が来た。


 担当者は女性の声で、丁寧だったが、内容は簡潔だった。「特別研究生としての招待。学院の全設備を使用可能。生活費は学院が全額負担。滞在期間は当初二年間」というものだった。


 蓮は「検討します」と答えて電話を切り、すぐに学院のウェブサイトを確認した。研究生の規約ページには「研究成果の知的財産権は、原則として学院に帰属する」という一文が小さく書いてあった。


 自分のスキルを使って得たデータは、学院のものになる。蓮はそれを読んで、すぐに「断る」と決めた。交渉の余地があるかもしれなかったが、最初から自分の権利を薄める条件をベースにしてくる相手とは動きたくなかった。これも事務員として学んだことだ。契約の初期条件は後から変えにくい。善意のある相手でも、条件の設計が悪い契約は長続きしない。


 夕方、国防省から書留が届いた。「魔法系スキル保持者に対する協力依頼」という公文書で、返送期限は二週間後だった。内容は「月二回の訓練施設への参加」と「有事の際の要請への応答義務」を求めるものだった。


 蓮は「義務」という言葉に引っかかった。オファーでも依頼でもなく、「義務」だ。法的根拠については別紙参照とあったが、封筒を確認しても別紙が入っていなかった。公文書に記載された根拠条文を参照できない状態でサインするのは、書類の確認を省いて捺印するようなものだ。笹岡に怒られ続けた教訓がここで生きた。


 これは管理局に確認が必要だった。


 ノートに追記した。


```

・魔法学院から電話:特別研究生の招待

 →知的財産は学院帰属の条件あり。断る。

・国防省から書留:協力依頼(「義務」の文字あり)

 →別紙が同封されていない。法的根拠が確認できない。来週管理局で要確認

```


 蓮はノートを閉じた。


 来週月曜、管理局の面談まで——あと三日だった。三日間、蓮はただ休み、調べ、コーヒーを飲み続けた。笹岡に「有給は権利じゃなくて恩情だ」と言われた言葉を思い出した。その言葉を信じていた時期があった。今は笑えた。


 今週断ったことを改めて数えた。笹岡に一回、御堂に一回、魔法学院に一回。国防省はまだ返送できていないのでカウント外だが、こちらも断るつもりだった。断り続けていると、少しだけ自分の輪郭が見えてくる気がした。何を断るかで、何を大事にしているかがわかる。


 今の蓮が大事にしているのは「今しばらく、誰にも何も決めさせないこと」だった。それは消極的な選択かもしれないが、五年間何も決められなかった反動だと思えば、まだ理解できる。断ることで自分の輪郭が見えてくる——それは笹岡のいた職場では一度も経験しなかった感覚だった。あの五年間、蓮は常に「断れない理由」を探していた。今は逆に「受け入れる理由」を探している。その違いは、思ったより大きかった。


 窓の外では、夕暮れの光が街を橙色に染めていた。悪くない色だった。平日の夕方に、怒鳴られる心配もなく窓の外を眺めている。それだけのことが、五年前の自分には信じられないほど遠くにあった。


次話:第4話「なぜ断るんですか」


3話までお読みいただきありがとうございました。

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