第22話「核の中に、何かいた」
お読みいただきありがとうございます。施設に戻り、早川に核接触時の状況を報告します。「暗闇の中に何かがいた。目は開いていなかったが、こちらを感知していた」——その言葉を聞いた早川の顔色が変わります。過去三例の記録に、同じ記述がありました。師匠のファイル五番目にも。
施設に戻ったのは夕方だった。
現地から引き上げる前に、早川が観測機器のデータを最終確認した。核の魔力反応は正常値まで落ち切っていた。「少なくとも今夜は安定しています」と早川は言った。再発の可能性については「前例がないので断言できません」と付け加えた。それが正直な答えだった。断言できないことを断言しない人間だった。
御堂が「チームを一晩現地に残します。念のため」と言った。蓮は「ありがとうございます」と言った。御堂は「師匠の頼みの続きです」と短く言って、通信機を手に取った。
車の中で、凛は眠っていた。出発前から一日中動いていたのだから、当然だった。蓮は窓の外を見ながら、核に触れた時の感覚を頭の中で繰り返した。暗闇。大きな何か。目は開いていなかったが、こちらを感知していた。その感覚が、手のひらの温度の記憶として、まだそこにあった。消えていかなかった。
笹岡の職場で五年間、手に残る感覚といえば書類の紙の感触か、怒鳴り声を受け続けた後の耳鳴りくらいだった。今日残っている感覚は、それとは全く種類が違った。恐怖でも痛みでもなかった。ただ、確かに何かがあった、という感覚だった。
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施設に着くと、早川が「今夜の報告を聞かせてください」と言った。凛は別室で休ませた。
テーブルを挟んで早川と向かい合った。音無も同席した。御堂は外で連絡対応をしていた。早川がノートを開いた。
「核に触れた時の状態を、できるだけ詳細に話してください」
「手のひらを当てた瞬間に繋がった感覚がありました。外と内の区切りがなくなるような感覚です。それから視界が切り替わりました」
「視界が切り替わる、というのは」
「目の前の岩盤が消えて、暗闇の中にいました。広い暗闇でした。音も空気もなかった。端がどこにあるかわからなかった」
「どのくらいの時間でしたか」
「わかりません。感覚がなかった。一秒か、一時間か、判断できなかったです」
早川がメモを取りながら次を促した。
「そこで何かを見ましたか」
「はい。遠くに何かがいました。大きかった。大きさも距離も測れなかった。目は開いていなかったですが、こちらを感知していました」
早川のペンが止まった。
「目は開いていなかったが、感知していた」と早川が繰り返した。声が少し変わっていた。
「はい。目が開いていないのに、見られているという感覚がありました。言葉は何もなかったです。問いかけましたが、返答はなかった。ただそこにいた、という感じでした」
「問いかけたというのは」
「『誰ですか』と思いました。声には出せなかったですが、問いかけた、という感覚はありました。返答はなかった。ただ、問いかけたことは届いていたかもしれない、という感覚がありました」
早川がメモから顔を上げた。顔色が、少し変わっていた。
「……それは」と早川は言いかけた。
「何ですか」
早川が少し間を置いた。
「過去の三例の記録に、同じ記述があります」
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蓮は少し沈黙した。
「三例とも、ですか」
「三例とも、核に接触したと思われる状況の前後に、『暗闇の中に何かがいた』という記述が残っています。一九七二年のノートには『巨大な何かが眠っていた』。一九八九年の録音には『こちらを感じているような気がした』。二〇〇七年のファイルには——」
早川が少し止まった。
「二〇〇七年には何と書いてあったんですか」
「『目は閉じていたが、俺が来たことを知っていた』と書いてありました。七つのファイルのうち、五番目のファイルです」
蓮は手帳を取り出して書いた。
「過去三例も同じものを見ていた。師匠のファイル五番目に同じ記述あり」
書いてから、少し止まった。師匠も、同じ暗闇に立っていた。同じ何かに感知されていた。その場所に、今日自分も立っていた。
「三人は、核に触れた後どうなりましたか」
「一例目と二例目は、接触の直後から数時間で消息不明になっています。三例目は核に触れた翌日の朝に消えています。記録が途絶えています」
「今回の私は、触れた後に帰れました」
「はい」と早川は静かに言った。「それは前例と明確に違います。今日の段階でわかる最大の差異です」
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音無が初めて口を開いた。
「差異の原因として考えられることはありますか」
「今の段階では断言できません」と早川は言った。「ただ仮説として——今回は凛さんの補助魔法があった。前の三例は全員一人で核に接触しています。今回は違った。それが一番明確な差異です。凛さんの補助魔法がどういう作用をしたかは、まだわかりません」
「他に考えられる差異はありますか」と蓮は聞いた。
「観測体制です。今回は核の状態をリアルタイムで把握していました。前の三例では事後の記録照合でしか状況を確認できなかった。ただそれが結果に影響したかどうかは、今の段階ではわかりません」
「わかりました」
蓮は書いた。「差異:凛がいた。補助魔法の作用は不明。前の三例は一人だった」
師匠の頼みが「次の人間を一人にするな」だったことを、蓮はもう一度頭の中で確認した。御堂がその頼みを果たした。凛がそこにいた。数字の上では違いだった。それが今日の結果と繋がっているかどうかは、今はまだわからなかった。ただ、記録には残した。
「もう一点、確認させてください」と蓮は言った。
「何でしょう」
「あの暗闇の中にいたものは、何ですか。早川さんは知っていますか」
早川が少し間を置いた。
「……資料があります。機密指定を外す手続きが必要なので、今日すぐには出せません。明日、持ってきます」
「どういう内容ですか」
「ダンジョンの構造と、測定不能スキルの関係についての研究資料です。過去三例の事後分析を含む内容です。今日、あなたが報告した内容と直接関係があります」
蓮は書いた。「明日、早川から資料を受け取る。測定不能とダンジョンの構造について」
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部屋を出ると、凛が廊下のベンチに座っていた。眠れなかったのかもしれなかった。
「終わりましたか」と凛が聞いた。
「はい。早川さんに報告しました」
「何かわかりましたか」
「過去の三人も、同じものを見ていました。暗闇の中に何かがいた、という記述が三例とも残っていました」
凛が少し目を細めた。
「そうですか」
「はい。師匠のファイルにも、同じことが書いてありました」
蓮は凛の隣に座った。廊下は静かだった。施設の外では、御堂のチームが引き上げの準備をしている音がかすかに聞こえた。
「凛さんは今日、核の近くで何か感じましたか」
凛が少し考えた。
「感知値が落ちた瞬間、何かが解放されたような感覚がありました。安堵、に近かったです」
「核が安堵した、ということですか」
「わかりません。ただそういう感覚でした」
蓮は何も言わなかった。暗闇の中のあの何かが、安堵したとしたら。それが何を意味するのかは、今の段階ではまだわからなかった。ただ、凛がそう感じたという事実は、記録に残す価値があった。
「明日、早川さんの資料を読んだら、また話しましょう」と蓮は言った。
「はい」と凛は答えた。
アパートに帰って、手帳に書いた。「核の中に何かがいた。過去三例も同じものを見ていた。師匠も同じ暗闇に立っていた。今日の差異は凛がいたこと。明日、早川から資料を受け取る」
書き終えて、手帳を閉じた。今日起きたことが、記録の中に収まった。収まり切らない部分は、まだ頭の中にあった。それは明日の資料を読んでから考えることにした。今夜はそれで十分だった。
次話:第23話「測定不能の、本当の意味」
機密解除された資料が届きます。ダンジョンが「生命体の器官」である可能性、測定不能スキルが「同調能力」の表れであること——五年間スキルなしとして働いていた蓮への、静かな答えが書かれています。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!




