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第17話「行かない、という選択肢」

読みいただきありがとうございます。「行かない」と言う権利が、蓮にはある——そう気づいた場面の話です。法的強制力はない。早川も御堂も、それを否定できない。ただ帰り道、スマートフォンに流れてきた映像が、足を止めさせます。体育館の入口に立つ子どもの顔が、消えなかった。


退職から三十五日が経った。


 管理局の訓練施設、三回目だった。今回から凛の同行が正式に認められていた。早川が「補助魔法使いとしての参加は有益と判断しました」と連絡してきた。


 凛は改良した補助具を持ってきた。前回と少し形状が変わっていた。


「感知範囲を広げました。ただし精度が少し落ちます」


「なぜ広げたんですか」


「核との距離が問題になる場合、私が離れた位置からでも感知できた方がいい。近くにいられない状況が出た時のために」


 蓮は頷いた。「近くにいられない状況」が何を指すか、二人ともわかった上で話していた。


---


 訓練を重ねた。


 同じことを繰り返す作業は、ギルドの月次報告に似ていた。回数を重ねるにつれて、体が覚えていく。意識しなくてもできるようになる。十回目の頃には、凛の反応が少し早くなっていた。


 ただ、「足りない」という感覚も消えなかった。何が足りないかははっきりしていた。出力が大きくなるほど、タイムラグの一割の差が大きくなる。訓練でタイムラグを縮めることと、実際の核に触れた時に何が起きるかは別の話だった。どこまで準備しても、やってみないとわからない部分が残る。それはわかっていた。


 そして今日の一番の発見があった。蓮が「出そう」と意識した瞬間——発動の一歩前で、凛の補助具が光った。


「意識した時点で感知できたということですか」


「発動の一歩手前を拾えました」と凛は答えた。


 早川がメモを取る音がした。蓮は手帳に書いた。「凛さんは発動前の意識段階から感知できる。三年間の積み重ねによるものと思われる」


 休憩の間、早川が言った。「凛さんの補助魔法が入ると、出力が抑えられるだけでなく、蓮さんの制御精度も上がっています。想定していなかった効果です」


 凛がコーヒーを持ったまま考えた。「補助魔法の干渉で魔力の流れが整う効果があるかもしれません。ただ、証明するにはデータが足りません」


「続けてデータを取りましょう」と早川は言った。それから少し声を落とした。「時間的な余裕がどれくらいあるかはわかりませんが」


 三人とも、埼玉県北部の観測値が上がり続けていることを知っていた。わずかな上昇だったが、下がっていなかった。


---


 施設の外で、凛と並んで少し歩いた。


「今日の訓練、どう思いましたか」と凛が聞いた。


「足りない、と思いました。ただ、一週間前より少し増えた」


「私も同じです」と凛は言って、少し間を置いた。「無駄ではなかったということが、少し変な感じがします。あの三年間は今日のためにあったわけじゃなかったのに」


「でも、つながった」


「つながりました」と凛は言って、息を吐いた。


---


 午後、早川から連絡が来た。


「緊急で集まれますか。観測値が急上昇しています」


 施設の会議室に早川と音無が来た。早川がグラフを出した。前日比六十%の増大だった。昨日まで緩やかだった線が、今朝から垂直に近い角度で上がっていた。


「前の三例のパターンと照合すると——この上昇角度は、発生の四十八時間から七十二時間前のものと一致しています」


「二日以内に発生する可能性があるということですか」


「可能性があります。断言はできませんが」


 少し間があった。


「柏木さんに、現地に向かっていただく必要があります」と音無が言った。


---


 蓮は少し間を置いた。


「行かない、という選択肢はありますか」


 音無の動きが止まった。早川も止まった。会議室が静かになった。


「……法的な強制力は、現時点ではありません」と音無は言った。「協力要請権がありますが、強制ではありません」


「ということは、断れますか」


「……はい」


「わかりました」と蓮は言った。「今日のところは断ります」


「理由を聞いてもいいですか」と早川が言った。


「理由は特にないです」と蓮は答えた。「行きたくないというわけでもない。ただ、今の段階で行く理由が、私の中にまだ十分ではない。それだけです」


「十分ではない、というのは」


「今行っても帰ってこられる保証がない。前の三例は行って消えました。行く理由として『頼まれたから』は私には足りない。それだけです」


 音無が何か言いかけたが、止めた。早川も黙っていた。反論できなかった。正しいことを言っているからだった。


「また連絡します」と蓮は言って、立ち上がった。


---


 駅までの道を、一人で歩いた。


 行かないと言った理由を、自分でも整理していた。強制ではない。行く必要がない。前の三例は行って消えた。行くことで状況が変わるかどうかもわからない。論理的に整理すると、今行く理由が見当たらなかった。


 スマートフォンにニュースの通知が来た。


 埼玉県北部の映像だった。上空からのドローン映像で、住宅街の道路を横断する影がいくつかあった。魔物だとわかった。周辺の家の明かりが消えていた。次のカットで、小学校の体育館らしき場所が映った。毛布を持った人たちが床に座っていた。子どもが一人、体育館の入口で外を見ていた。誰かを探しているような立ち方だった。


 蓮は立ち止まった。


 ニュースキャスターの声が続いた。「当該地区の住民、約三百名が避難を完了していない模様です。地域の交通機関が乱れており、連絡が取れない世帯も確認されています——」


 画面を閉じた。それでも体育館の入口に立っていた子どもの顔が、消えなかった。


 電話が鳴った。凛だった。


「どうするつもりですか」


 蓮は道の端に寄って、しばらく立っていた。映像の続きがまだ頭にあった。誰かを探しているような立ち方が、消えなかった。


「……わかった、行く」


 少し間があった。


「そうですか」と凛は言った。驚いていない声だった。


「驚かないんですか」


「驚きませんでした」


「なぜですか」


「蓮さんは、見たら動く人だと思っていたので」


 蓮は少し考えた。笹岡の職場では、見ても動かないことが正しかった。余計なことに巻き込まれないために、見ないことが習慣になっていた。それが正しい生き方だと思っていた時期が、五年間あった。


 今日、ニュースを見て立ち止まった。何も考える前に、足が止まっていた。体が「動ける人間が動く」を先に知っていた。考えるより先に答えが出ていた。


 それが今の自分なのだと、少し思った。


「施設に戻ります。早川さんに連絡してもらえますか」


「します」と凛は言って、電話を切った。


---


 会議室に戻ると、早川と音無がまだいた。二人ともすぐに顔を上げた。


「行きます」と蓮は言った。


「……わかりました」と早川は言った。声が少し揺れた。「何があって——」


「ニュースを見ました」と蓮は言った。それだけで早川は止まった。


「一つ条件があります。凛さんが一緒に行きます。それが条件です。凛さんが来られないなら、行きません」


 音無が少し間を置いてから「承諾します」と言った。「凛さんへの連絡は、こちらからしましょうか」


「私からします」


「わかりました。行く前に必要なことは、こちらで準備します」


 蓮は手帳を出して書いた。


「行くことにした。理由:動ける人間が自分しかいないから。それだけで十分だと思う」


 書き終えて、ペンを置いた。師匠が二〇〇七年に書いた六番目のファイルと、ほとんど同じ言葉になった。気づいたが、書き直さなかった。同じで、よかった。


 窓の外が夕方になっていた。今朝、訓練のために来た施設に、今度は別の理由で戻ってきた。午前と午後で、来る理由が変わった日だった。

次話:第18話「御堂さんが、記録を読んだ」

御堂が師匠のファイルを読んだ後、蓮に会いに来ます。十九年間持ち続けた問いへの答えが、あの一行の中にありました。続きが気になった方は、ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると嬉しいです!

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