困った人……。
栞は目の前で起こっていることを、只見つめることしか出来なかった。
彼女が敵ではない事、守ってくれたことは何となく理解できる。しかし、だからと言って安心することは出来なかった。
味方だからと言って、この恐怖が薄れることはない。
この圧倒的力の前では自分はあまりにも無力で、何も出来やしないのだから。
真紅は僅かに眉を顰め、自分と同じ顔をした少女を見据える。
「それが媒介か……。」
冷たく言い放つと、すっと手を前に出す。
「この気配……サンビの仕業ね。……困った人……。」
ぽつりと呟くと、手を横一線に振る。
その白魚のような美しい繊手から風が放たれる。圧縮された風は刃となり、神速で少女に向かってゆく。
「がぁっ……!!」
呻き声と共に、「真紅」だった少女はその姿を変え、見たことのない青年へと姿を変えた。
ひらりと葉が舞い落ちる。
それはゆっくりと不規則な動きで落ちてゆき、地面に触れる瞬間、真っ2つに裂け、そのまま空気に溶けて消えていった。
真紅の放った力は、狙い違わず青年の姿を変えていた「媒介」のみを粉砕した。
しかし、そんなことは些事であるとでもいう様に、興味なさ気に視線を外す。それでも身体は青年の方を向き、油断なく構えてはいたが。
ただ無造作に立っているように見えるが、四肢の全てに神経が行きわたり、油断なく気配を探っている。青年が少しでも動けば、即座にその喉元を裂いてやることが出来ると、無言の圧力が語っていた。
現に青年は、逃げることすら出来ずに立ち尽くしている。
真紅はちらりと視線のみを移動させる。
――その、視線の先にあるのは――
ぎりと唇を噛み締める。
「……貴様ら……。」
その押し殺した声に、思わず背筋を凍らせる。
視線の外にいる自分でさえ恐ろしいのだ。睨まれた人間は、たまったものではない。
現に青年は、恐ろしさの余り足が震えていた。荒く息をし、体を小刻みに揺らしている。
ぐったりとして動かない親友を見た真紅は、その瞳を怒りで染める。
その怒気に反応したのか、美雨は混濁した意識の中、親友の名を呼んだ。
「真紅ちゃん……」
意識があることにほっとしつつも、立ち上がることさえ出来ない美雨を見て、静まりかけた炎が勢いを増して燃え上がる。
「その罪、自身で贖え……。」
そう 宣言した瞬間、ゆっくりと口を開く。
栞の眼には、真紅が何かを叫んだように見えた。しかしその形の良い唇から音が発せられることはなく、変わりに、別の方向から声が聞こえてきた。
「ぐわっ!!」
「ふにゃんっ!!」
ほぼ同時に聞こえてきたそれは、1つはすぐ近くから。
そしてもう一つは、離れたところから。
妙に聞き覚えのある声だったように思えるのは、自分の気の所為なのだろうか……。
栞は、視界の端に移ったものを脳内で再生する。
美雨は、口に出して言葉を発した事により、意識がはっきりとしたらしい。がばりと起き上がり、ぷるぷると頭を振った。
そして、なぜか身づくろいのようなことを始めた。あちこちを手早く確認すると袖で顔を拭い、そのまま上着を脱いで、ぽいと森の中に投げ捨てた。
そして、こちらへ来ようと駆け出し―――たところで、勢いよく転がった。
――悲鳴とともに。
――栞の目の前には、耳を押さえて呻いている男が1人。
遠方には、目を回して転がっている美雨がいて――
――悲鳴は 2つ。
これらの事実を組み合わせると――
――真紅に、やられた?
否、まさか。そんなはずはない。
真紅は、満身創痍な美雨の姿を見て激昂していたのだ。
――自ら止めを刺すようなことはしない……はず……?
思わず呆然としてしまった栞の耳に、当の本人――美雨の声が届いた。
「真紅ちゃん……酷い~~……。」
へろへろとこちらに向かって歩いて来る美雨。
「き……きゃあ!!ご……御免なさい、美雨。」
慌てて美雨のもとへ走りだす。
取り敢えず、自分も美雨のもとへ向かおうと腰を上げようとするが、足に力が入らない。
(……腰、抜けた……?)
立ち上がろうとするものの、足に力が入らない。
情けない、と自己嫌悪に陥っていると、いつの間にか美雨と真紅は直ぐ近くまで来ていた。
「ごめんなさい、美雨。射線上にいたのね。」
しゅんと項垂れる真紅。
「……あなたも……。」
そう言って、栞に視線を向けた。
「え……?」
「頭に血が昇ってしまって、力の調節が出来なかったみたい。近くにいた貴女にまで余波がいってしまったのね……。」
「???」
何を言っているのか分からず眼を丸くしている栞に、恥ずかしそうに微笑みながら話しかける。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまって、申し訳御座いません。
初めまして。緑川栞さんですね。私の名は真紅。緋村真紅と申します。」
そう言って、彼女はふわりと微笑んだ。
「宜しくお願い致しますね。」
完璧な美貌。鈴の音のような美しい声……
そして、天使のような微笑み――
先程までの「真紅」とは違う。
王のような貫禄を出していた恐ろしさも消え――
――ああ、そうか。
――これが
――彼女が
――真紅――




