第九話 推しをお持ち帰りしてしまった
「いやぁ~……うん。さすがに早まったよね、これ……」
自宅マンションの玄関にて。
靴収納に付けられた姿見には、酔いの気配が一切ない、冷静になってしまった自分の顔と、そんな私の肩にもたれて、気分良さそうにむにゃむにゃ言っている夢見さんの姿が映っている。
……そう、私は推しをお持ち帰りしてしまったのである。
——時は少し遡り、居酒屋。
「……おーい、夢見さーん。起きれる? 今タクシー呼んだから、それ乗れば帰れるから頑張って~」
寝てしまった夢見さんに声を掛け、なんとか起こそうと奮闘するも……。
「……すぅ」
余程疲れていたのだろう。
一向に目を覚ます気配がなかった。
そして、そうこうしているうちに呼んだタクシーが店先に到着してしまい……。
「夢見さん、住所、言える?」
「……んん、ゆめみ、さんの家。知らない、です」
「……ダメだこりゃ」
何とか会計を済ませて、店を出てきたは良いものの、すっかり出来上がって会話も心もとない。
こんな状態の女の子を、それも推しを放っておくという選択肢はなく……。
私は呼んだタクシーに同乗し、夢見さんを自宅まで連れて来たという訳だ。
「……そう、不可抗力、不可抗力だから。酔ってて、ちょっと私欲が溢れたとかじゃないから……!」
誰に言い訳をしているのか。
姿見に映る私の頬は酔いの影響ではなく、微かに赤らんでいた。
「……くるるぎ、さん。今日は、ありがとうござい、ます」
そんな私の耳元で、推しの声がささやく。
「——っ!?」
酔っていても推しは推し。
それにまだ居酒屋にいると思っているのだろうか?
小声でささやかれるその言葉は、的確に私を撃ち抜こうとして来る。
「……大丈夫、泊めるだけ。泊めるだけだから」
自分に言い聞かせながら、夢見さんの靴を脱がせ、部屋に上げる。
「夢見さん、もうちょっと頑張って。そしたら布団で寝られるからね。あ、気持ち悪いとかはない?」
リビングを抜け、寝室へ通す。
……昨晩、寝られないからと片付けをしておいて良かった。
「はい、もう寝ちゃっていいからね」
ベッドに座らせる形で夢見さんから離れると、支えを求めるように夢見さんはベッドへ倒れ込む。
「……良い、匂い。落ち着く」
そして倒れ込んだかと思えば、スッと布団に潜り込み、中で深呼吸をし出す。
「ちょ、……あんま匂いは……って言っても聞こえないか」
凄まじい羞恥心に身悶えするも、酔っぱらいの戯言だと自分を落ち着かせる。
……落ち着かせる。
…………落ち着…………落ち着けるかぁっ!!
お、お、推しが、私のベッドにもぐりこんで、あろうことか良い匂いぃっ!?
いやいやいやいや、無理無理、無理です。
私は分別あるオタクだけど、こんな状況で「ふぅ……手のかかる子だね、お嬢さん」なんて少女漫画の年上ヒーローみたいに落ち着けるかと言われれば、もちろんノーですよ!!
「……と、とりあえずタバコ吸おう。うん、それがいい。一旦ここから離れないと」
一秒でも長く、この尊き推しの姿を視界に収めようとする顔を何とか逸らし、寝室を出て、ベランダに向かう。
ベランダに出て、窓を閉めると、ようやく少し、思考が落ち着いてきた。
持ちっぱなしだった鞄に手を突っ込み、覚えのある感触を引っ張り出す。
「さて……一服して、そしたらお風呂入ろ」
なんて呟きながら、手元に視線を降ろすと……私の手が握っていたのは慣れ親しんだ赤マルの箱ではなく、夢見さんのメビウスパープルの箱だった。
「ああ、そう言えばさっき、夢見さんの荷物も全部私の鞄に入れたんだった……」
居酒屋からの帰り、呼んだタクシーをあんまり待たせるのも悪いと思い、テーブルに出ていたものはとりあえず自分の鞄にしまっていたのだった。
戻そうとして、ふと、手が止まる。
「これ、ナゲクちゃんの吸ってるタバコなんだよね……」
そう思うと、箱をまじまじと見つめてしまう。
……どんな味なんだろ?
タバコと言えば、とにかく重め、と、赤マルに行きついた私は他の銘柄をあまり吸ったことが無い。
喫煙所で一緒に吸ったため、匂いでメンソール系のフレーバーであろうことは分かるが……。
「一本、貰ってもいいかな?」
ちょっと悪い気もしたが、さっきまでのやり取りからこのくらいならそう怒られないだろうと心で言い訳をし、一本を引き出す。
窓から寝室の方を向いて、一本いただきますと夢見さんに頭を下げると、咥え、火をつけた。
深く一吸いして、味わいながら夜空に向けて吐き出す。
「……軽いなぁ。それに甘い」
ふわりと香ったのは、喫煙所の夢見さんの匂い。
私の中のタバコと言えば、ガツンと重いイメージなのだが、これは清涼感すら覚える、爽やかな味だった。
……良い匂いだな。
「……そういえば、これカプセル入ってるんだっけ?」
爽やかな味わいを十分満足したところで、夢見さんがフィルターを噛んでいたことを思いだし、私も真似して噛んでみる。
すると……!
「すごっ、ブルーベリーだ」
潰れたカプセルから芳醇なブルーベリーの香りが鼻を抜けていく。
「吸いやすいし、これはいいかもね」
……いい加減、ストレスからも解放されたことだし、禁煙しようと思っていたところだ。
だが、急な禁煙は結局失敗するのがオチ。
なら、こう言う軽いタバコに変えて徐々に離れていくのがいいかもしれない。
……決して、ナゲクちゃんと同じだから、とか言うオタク全開の理由ではない。
携帯灰皿に灰を落としながら、最後の煙を吐き出すと、思考はすっかり落ち着いていた。
「……ナゲクちゃんがあのお姉さんで、夢見さんか……」
そして落ち着いた思考で、改めて発覚した衝撃の事実を整理していく。
夜空に二人の顔を思い浮かべ、等式で結んでみても、中々一致しない。
でも、それが、変えようのない真実。
「まさか、推しに認知されてるなんてね……それに、家にまで連れてきちゃうとか……」
また思考が熱をぶり返そうとするのを、首を振って治める。
「でも、私はナゲクちゃんのファンであり、彼女を支える運営の一人。今日は例外としても、今後は……」
公私混同は良くないと、自分に言い聞かせようとした時だった。
「あ、くるるぎさん、見つけた」
背後で窓が開く音がしたかと思えば、そんな声と共に私の首へ手が回される。
「ナゲッ——夢見さん!?」
いつの間に目を覚ましたのだろうか?
寝室にいたはずの夢見さんがバックハグの要領で私に抱き着いてきていた。
「……あ、この匂い。ふふっ、私たち、今、お互いの匂い、してますね」
「——っ! ご、ごめん。一本貰っちゃった」
「……いいですよ、全然。それより一人で考え事ですか? 私で良ければ、聞きますよ? クルルさんの『嘆き』」
そして、もう狙っているとしか思えないナゲクちゃんの声で、私の耳元でそう囁いた。




