第十話 二人の決意
昨日の配信と同じ、感情の濃いナゲクちゃんの声で、夢見さんが私に囁く。
極度なストレス環境の中で、私を私で居させてくれたその声に、決意が揺らぐ。
「……じゃあ、少し、聞いてくれる?」
そして、揺らいだ決意は、推しの甘い囁きに少しずつ崩されていく。
「うん、聞くよ」
私の首回りから手を離した夢見さんが隣に並ぶ。
横目に見たその顔は、昨日、初めて見た時と同じ、お姉さんの顔つきをしていた。
「『嘆き』って言うか、私の決意の話、なんだけどさ……。今日は例外としてね、今日は例外として、今後はこんなこと、しちゃいけないなって、思って」
「……こんなことって?」
「それは……今日みたいに、ナゲクちゃんと二人で会ったりとか、そういうこと。……だってよくないでしょ? 仕事終わりの飲み、くらいならまだしも、今、私の家に連れてきちゃってるし」
夢見さんの声と雰囲気に、自然と私の口はナゲクちゃんと呼んでしまう。
「そうかな?」
「そうだよ! だって、Vとリスナーの距離は一定以上絶対に縮まらなくて、なのに私だけ、なんて……」
「ずるい?」
「……うん。それに、私は運営の一人になったわけだし。職権乱用は良くないから……」
「へーやっぱりクルルさんって真面目だよね。でもさ」
一度言葉を区切り、私の正面に夢見さんが移動する。
「今の私はナゲクじゃないし、枢木さんもクルルさんじゃないよ?」
「——っ!」
月明りを背に受けながら、大好きな声が言い訳を与えてくる。
「……それに、私は、もっと枢木さんと一緒にいたい……です」
そして、最後に自分は夢見静だと、私に示すように地声になった夢見さんがそんなことを言ってきた。
その言葉に、私の決意は……瓦解した。
「夢見……さん……」
「枢木さん……」
夜の空に雲がかかる。
先ほどまで見えていた月を、分厚い雲が覆い隠した。
◇◇◇
「ルールを、決めませんか?」
ベランダから戻り、リビングのテーブルに二人向かい合って座ると夢見さんがそう切り出した。
「ルールって、なんの?」
お酒ではなく、水を片手に問い返す。
「私と枢木さんが今後も仲良くしていくためのルールです」
「なるほど。でも、今のままじゃダメなの?」
「それだと、枢木さんは気にしてしまうんですよね?」
「う……まあ、確かに」
社会人としての決意こそ瓦解したものの、一人のオタクとして、推しと個人的に仲良くなると言うのは少し抵抗があった。
夢見さんはそこを気遣ってくれたのだろう。
「だから、二人で会うときはお互い下の名前で呼び合うってのはどうですか?」
「え? 下の名前?」
「はい。間違ってたら申し訳ないんですけど、枢木さんのクルルって苗字から来てますよね?」
「あ、うん。そうだね」
「だから、私が苗字で呼ぶとどうしても、クルルさんを連想しちゃうんじゃないかなって思いまして……どうでしょう?」
なるほど?
まあ確かに言われてみれば、そう言うこともあるかもしれない。
……大半はその声に反応してるんだけど。
とは言え、せっかくの提案を断るのも忍びないし……。
「分かった。じゃあそうしよっか。よろしくね。し、静さん」
「年下ですから、呼び捨てでいいですよ。鈴音さん」
「……分かったよ、静」
「はい! これからは、Vtuberと推しではなく、静と鈴音さんですから、何も気負うことはないです」
お酒がまだ抜けきっていないのだろう。
妙にハイテンションな静が、嬉しそうに笑う。
「あ、私も呼び捨てでいいからね?」
「いえ、そこは。………………まだ」
「え?」
「い、いえ! なんでもないです。これは癖ですから」
なんだか慌てたような素振りをする静。
「そう? なら、まあ、良いけど。……それより、そうだ! 静、お風呂入る? タバコ吸ったり、居酒屋行ったりしたし、シャワー浴びたいでしょ?」
でも癖と言うなら、仕方ないだろうとそれ以上は気にせずに、そう言えばお風呂に入ろうと思っていたことを思いだして、その提案をしてみる。
「……そうですね。でも、まだ酔いが醒め切ってないので、鈴音さん先入っちゃってください」
すると、手で顔を扇ぎながら、反対の手でペットボトルの水を額に当てて答える静。
そう言うことなら、と、席を立ちかけて、
「……って言うか、普通に泊める気で提案しちゃったけど、泊っていく?」
いつの間にかもう目を覚ましている彼女を泊める気になっていたことに気が付いた。
「あ、そういえば……ご迷惑でなければ、お願いしてもいいですか?」
だが、どうやらそれは静も同じだったようで、小さくなって頭を下げてくる。
「もちろん。連れてきちゃったの私だしね。……それじゃあ、私シャワー浴びてくるから、好きにくつろいでてね」
「はい。……今更、ですが、お邪魔します」
「は~い」
名前呼びのおかげだろうか? なんだか推しを泊めているという緊張感が大分薄れていた私はもう普通に友達の一人を泊めている感覚で、先にお風呂へ立った。
◇◇◇ ——夢見静視点——
「……ふぅ」
ペットボトルの水を一口飲み、息を吐く。
……まさか、こんなことになるとは想像もしていなかった。
昨日の温もりを求めて、喫煙所に居たら、そこに鈴音さんがやって来て、二人でタバコを吸って、その後で居酒屋に行って、慣れない雰囲気に酔って眠っている間にまさかの鈴音さんの家にまで来てしまうとは。
それに……思い出すのは先ほどの自分の行動。
「……いいですよ、全然。それより一人で考え事ですか? 私で良ければ、聞きますよ? クルルさんの『嘆き』」
「うぅぅ……恥ずかしい」
配信では普通に出来ていることでも、生の人相手にやるとなると、それも、好きな相手である鈴音さんにやると言うのはかなり恥ずかしかった。
「でも、一歩前進、だよね」
だが、そんな恥ずかしさに耐えたおかげで、社会人として線を引こうとしていた鈴音さんを何とか説き伏せることが出来たし、下の名前で呼び合う関係にもなれた。
物音のない室内にシャワーの音が微かに聞こえてくる。
「……私は、あなたが好きなんです、鈴音さん。あの日、オフイベであなたがクルルさんだと知った時からずっと」
そんな微かなシャワーの音にさえかき消されてしまいそうなほどの小さな声で独白する。
「でも、分かってます。あなたの心にはナゲクがいるって。夢見静ではなく、夜泣ナゲクがいるって」
これは決意だ。
鈴音さんにも言えない、決意。
「その心をきっと私に向かせて見せます。確かに炎上はきつかったし、怖かった。けど、そんな時にあなたは見えないところから私を支えてくれた。そして、今はこうして、見えるところにいる」
特に目的もないまま生きて来た23年間。
そんな人生に初めて目標が出来た気分だった。
「大好きですよ、鈴音さん」
少し強めに、感情を込めて呟いたその瞬間、カチャリとお風呂のドアが開く音がして、私は咄嗟に口を抑えたのだった。
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