第十一話 確信の勘違い
「あの、本当にお世話になりました鈴音さん」
一晩明けて、翌日午前。
完全に酔いが抜け、若干恥ずかしそうにしている静が玄関先でもう何度目かの挨拶をしてくる。
「いいっていいって。それより疲れは取れた?」
「はい! 鈴音さんにいっぱい話を聞いてもらって、久しぶりに人のいる安心感を持って眠れて、炎上前より回復した気分です」
二人で飲んで、泊り、名前呼びまでするようになった信用からか、静の距離が大分近い。
静に言われた通り、二人でいるときはナゲクちゃんを意識しないようにしているが、それでも、いくら公私を分けることが得意な私でも、完璧にとはいかない。
近づかれるたびに静の素の顔の良さと、私の安寧、安眠を守ってくれたあの声が直接耳に響き、お酒も抜けてしまった今ではいちいち激しく心が揺さぶられる。
そのうえで天然なのか、私を嬉しくするような発言ばかりが飛び出してくるので、正直朝からドギマギしっぱなしだ。
「あはは、それは良かったよ。……あ、そうだ。ここから駅までの道分かる? それともタクシー呼ぶ?」
そのせいで玄関先に出てくるまで、昨晩勝手に、眠った静をここへ連れてきたことを忘れていた。
「……そう言えば、ここが鈴音さんの家なこと以外、詳しいこと全然聞いてませんでしたね。……あの、もしよければなんですけど、駅まで送ってもらってもいいですか? ……ちょっと、まだスマホは見たくなくて」
少しだけ視線を下げて、そう言う静。
そうか。
あのSNS……やっぱり、見たよね。
それはまだ見たくないか……。
「おっけー。ちょっと待ってて」
すぐに意図をくみ取った私は、一度スマホと上着を取りに部屋に戻り、静と二人揃って家を出た。
外は満点の青空とはいかないものの、雲の隙間からぽつぽつと陽の光が射しこみ、過ごしやすい天気だった。
「いいところですね。この辺り」
人もまばらな道を歩きながら、静が呟く。
「そうだね。まだ引っ越したばっかりで、あんまり回れてないけど、都心に近いわりに静かだし、ごみごみしてなくて過ごしやすいよ」
「いいなぁ……私、今事務所の紹介してくれたところに住んでるんですけど、家の住み心地はすごい良いんですが、街が歩きにくいんですよね。なんというか、お金持ちそうな人が多くて……」
「あ~そう言うのあるよね。でも、静、スタイル良くて美人だし、それなりな服でも、なんでも様になりそうだけど」
昨日はもうボロボロになっていた静だったが、一晩明けて元気になったからか、それとも明るいからかは分からないが、同性の私から見ても魅力的なほど綺麗だった。
「そんな……あ、ありがとうございます。でも、私なんかより鈴音さんの方が、か、可愛くて羨ましいです」
すると、頬を真っ赤に染めながら、私のことも褒めてくれる静。
「あはは。ありがと、お世辞でも嬉しいよ」
でも、私は自分の立場を弁えている。
そりゃ嬉しいことは嬉しいが、これで舞い上がったりはしない。
「お、お世辞じゃないですから!」
なんて、思っていたのだけれど、珍しく語気を強めに静がそう否定した。
「そ、そう? ……な、なんか恥ずかしいね」
「……ごめんなさい。でも、ほんとですよ」
「あ、はは……」
隠してくれるもののない空の下では、お互いの照れた顔がそのまま見れて、スッと視線を逸らす。
……と言うか、その「ほんとですよ」は反則だよ静!
せっかく舞い上がらないように自省していたのに、それも推しの声でそんな風に言われたら!
内心の私は飛び跳ねて喜んでいるが、それが表に出ないように何とか努める。
長時間下を向いていてもおかしく思われないように私は咄嗟にスマホを取り出し、眺めるフリをした。
「あ、そう言えば、昨日、復帰時期の話はしましたっけ?」
すると、そんな私の内心を察してか、それとも単に今思い出したのかは分からないが、静が自ら活動についての話題を切り出した。
「聞いてないかも。決まってるの?」
「はい。復帰と言っても、今回の件は大炎上ではない……そうなので、最終的には一週間もすれば、落ち着いているだろうと言うのが、マネージャーやその他の方々の判断でした」
内心ホッとする。
今回のことが原因で辞める、なんてことにはならないと思っていたが、それでも推しの進退はどうやっても気になってしまうものだ。
「そっか。まあ、確かに、今回の炎上の経緯も悪意のある切り抜きだしね……」
ホッとした勢いのまま、私はあの問題となった発言を思い出す。
「ずっと、大好きな人なんだ」
……あれ? そういえば、ナゲクちゃん……じゃない、静の好きな人って……。
仕事の疲れやら、ボロボロになった静を見たことで私の思考の端に追いやっていたそれが再び私の脳内でサイズアップしていく。
そっと、静の横顔を窺う。
くっきりとした目鼻立ちに小さめの口。
ほぼノーメイクでも、きめの細かい肌は人によれば嫉妬を買ってしまうほどだろう。
スラリと流された黒髪はこれまた透き通るほどに綺麗で、見る人を惹き付ける。
こんな美人の好きな人が……私?
と言うか、好きってなに? え? え? そうだよ。どういう意味なの?
脳内が再び、一昨日の夜と同じ思考に支配されていく。
今なら、そんな相手は隣りにいて、その意図を確かめられる距離。
思い切って聞いてみる? いやいや、でも、まだ勘違いの可能性だってあるし……。
なんて、色々と逡巡していれば、
「あ、もう駅ですね。すみません、わざわざ送って貰っちゃって」
いつの間にか、駅はもうすぐ目の前だった。
「え、あ、うん。このくらい全然いいよ」
一歩進み出て、向かい合う形になった静がスマホを握り締めている。
「……静?」
その様子に声を掛けてみれば、
「あ、あの、連絡先、交換しませんか?」
思い切ったという様子で、スマホを差し出して来た。
ギュッと目をつぶったその仕草はまるで、好きな人に連絡先を聞く乙女のような顔をしていて——
「も、もちろん、良いよ……」
そんな顔を見せられた私の脳は、先ほどまでの逡巡などが全て吹き飛んでいくほどの衝撃を受けた。
「……あ、でも、スマホ見て、大丈夫?」
「はい……メッセージアプリだけなら、なんとか」
……そ、そうだよね。
今の仕草はスマホを見るのに緊張していたからで、別に私は関係ないよね。
その裏付けに、スマホを差し出す静の手は微かに震えている。
そうだ。きっとそうだ。
静が私のことを好きなんて妄想は、あくまで極めて酷似した私の体験によって生み出された正しく妄想であって現実じゃない。
「あ、ありがとうございます! それじゃあ、鈴音さん! また!」
連絡先の交換を終えると、余程見るのが辛かったのだろう。
胸にギュッとスマホを抱きしめて、駅の構内へ走っていく静。
「う、うん。またね」
それに手を振って見送る私。
だが、どうしてだろう。
当然の現実に気が付いただけなのに、グッと胸に重しが乗ったかのような重い気分がのしかかっていた。




