第十二話 鈴音の葛藤
「何考えてんだろ……」
既に見えなくなった静の影を人混みに探すように視線だけを動かしながら呟いた。
だが、そんな声とは裏腹に、思考は止まらない。
もし仮に、静が私のことを好きだとしよう。
そうしたら、どうなる?
……答えは出ない。
だが、そう想定した途端、少しだけ心が軽くなるような感覚があった。
「……なに、これ?」
電車が動き出し、線路を走る大きな音が脳内を満たす。
いつもは雑音にしか感じられないこの音も、思考を遮ってくれる今だけはなんだかありがたく感じた。
「とりあえず、帰るか」
二人で来た道を、一人で引き返す。
一人で歩く道は、短く、一瞬で過ぎ去ってしまった。
「ただいま」
何となく声に出し、部屋に戻る。
……さっきまで推しが部屋に来ていたと言うのに、どうしてこうも微妙な気分なんだろうか?
どうして……その部分については理解している。
私は世間の炎上とは違う意味でナゲクちゃんのあの発言を引き摺っているのだ。
「大好きな人」、自分と一致する条件。
だが、あり得ないと考える理性的な自分。
この二つが私の中で衝突を繰り返している。
「でも、今更聞くわけにもいかないし……」
昨日、家に連れて来たばかりの静がそうしていたように、玄関に腰を掛け、壁にもたれる。
もし聞いて、私じゃなかったら痛すぎるし、そもそもこの件を聞くということはナゲクちゃんの炎上の件にファンである私の方から触れに行くということで、そんな傷口に塩を塗るような真似、とてもじゃないが私には出来ない。
「はぁ……」
やり場のない感情をため息で少し吐き出し、上着を脱ぎながらリビングに入ると、スマホが震えた。
「……ナゲクちゃんはまだSNSやらないだろうし、じゃあ連絡? 誰だろ?」
独り言ちながらスマホを見ると、通知の相手は——夢見静。
夢見静「改めて、お世話になりました。また、お礼させてください。駅は三駅分しか離れていなかったのでかなり近かったです!」
——!
そう言えば、そうだった。
私、静と連絡先を交換したんだった!
口元がによりと気持ち悪く笑うのが分かる。
でも、それと同時に、この感情は私たちの関係の間に不純なものだという感情も湧き上がってくる。
……夜泣ナゲクと夢見静。
二人の人物を知ってしまったからこその葛藤だった。
静は私たちの間にVtuberとリスナーの関係を望んでいない。
だからこそ、私は静、静は鈴音さんと呼ぶようにしたのだ。
だが、昨晩夜空に描いてしまった等式が、その事実を突きつけ、私に迷いを生じさせる。
このまま、ナゲクちゃんとクルルとしての関係を続けながら、静と鈴音の関係も続けていくことが出来るのか、と。
「……とりあえず、返信しなきゃ」
枢木鈴音「もう、良いって~。無事帰れたようで良かったよ」
夢見静「はい。でも、やっぱり、三駅でも雰囲気は全然違います。引っ越しちゃおうかな」
枢木鈴音「ええ、それはそれで大変じゃない?」
夢見静「でも、ほんとに気に入ったんです! まあ、すぐに、とは行きませんので、要検討です!」
枢木鈴音「そっか。……あ、もうスマホは見て大丈夫そう?」
夢見静「はい。さっき意を決してSNSを見てみたら、一日経ったおかげか擁護的な意見も増えてきていたようで……意外と早く鎮火しそうです。マネージャーからも土日と休んだら、もう配信しちゃった方がいいかもしれないと、連絡が来てました」
枢木鈴音「それは良かったよ。やっぱり、ナゲクちゃんを応援する人はたくさん居たね」
夢見静「はい、ありがたいです。でも、昨日は色々聞いてもらっちゃって……うう、今思い出すと恥ずかしい」
枢木鈴音「もう、お酒の席のことは振り返らない。また、元気なナゲクちゃんを観れるの、楽しみにしてるね」
夢見静「はい! 楽しませられるように頑張りますね!」
そんなやり取りの後、私がサムズアップのスタンプを送れば、静からはデフォルメされたかわいいお化けが敬礼しているスタンプが返って来た。
「ふふっ、このスタンプかわいい」
余計なことを忘れて、静と話すのは楽しい。
でも、ふとした時に、どうしても過ってしまうのだ。
彼女は夢見静であると同時に皆の夜泣ナゲクでもあるのだと。
「……タバコ吸お」
この行き場のない思考をどうにか振り払おうと、ベランダに出る。
しっかりと窓を閉めてから、火をつけ、浅く吸って小さく吐き出す。
「はぁ……」
もしかしたら、こんなに色々と考える必要のないことなのかもしれない。
そもそも、考える必要すらないことなのかもしれない。
でも、私は夜泣ナゲクを推しているファンなのだ。
ナゲクちゃんの「大好きな人」発言がないにしても、私は今の関係自体に若干の悪気を覚えてしまう。
静がさっきメッセージで言っていたように、ナゲクちゃんを推すファンは私だけではない。
私だけが知っている背徳感、高揚感がないかと言えば、それはもちろん嘘になる。
それでも、私には、そんな背徳感だけを肯定できる傲慢さはなかった。
自分が、夜泣ナゲクと言う存在に救われたからこそ、他にもいるであろう同じ境遇の人のことを考えると複雑な感情が生まれてしまうのだ。
「どうしたらいいんだろ」
一番簡単な方法は、分かっている。
私がどちらかを止めればいいのだ。
夜泣ナゲクのファンを止め、夢見静の友人として今後付き合っていくのなら、きっとこの感情は消えるだろう。
そして、それは逆も然り。
だが……。
煙を吐いた空が、私の心模様が如くどんよりと曇っていく。
そんなどちらかを切り捨てるようなことは私にはできない。
ナゲクちゃんのことはもちろん推しで大好きだし、静のことだってもう、年下の美人な……友達だと思っている。
さらにここで絡んでくるのが、あの「大好きな人」発言。
もし、あの発言が私に向けてだったら、私はどう受け止めるべきなんだろう。
もし、あの発言の意図が、駅で思った通り、私の勘違いだったとしたら……。
まばらに見えていた陽光が完全に遮られ、特有のジメッとした湿度に気候が変わっていく。
「あ~、こういう時、前職ならいくらでもあった仕事のおかげで忘れられたのに!」
まさか、ホワイト企業への転職の弊害がこんなところに潜んでいるとは……。
吸い切ったタバコの灰を落とし、火を落とす。
「ふわぁ……」
部屋に戻ると、急に眠気が訪れた。
考えすぎか、それとも昨日、あまり眠れなかったせいか。
まあ、ありがたいことに今は休日出勤の必要のないホワイト企業の社員だ。
昼間だが、うだうだ悩んでいるくらいなら眠ってしまおう。
私は今朝着替えたばかりの寝巻を再び着なおし、微かに静の匂いの残るベッドへ身体をうずめ、夢の世界へ旅立った。




