第十三話 先輩に打ち明けて
休日明けの月曜日。
十分に休息はとったものの、なんだかぼんやりとした気分のまま会社へと出勤した。
「おはようございます……」
「おはよう枢木さん。……調子悪い? もし悪ければ、遠慮せず言ってね?」
「え? いや、大丈夫ですよ」
「そう? でも、なんだか、先日までのやる気です! って顔じゃなくなってるわ」
「……大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
「そう? なら、良いのだけど……」
自分としてはいつも通りに振る舞っているつもりだったのに、そんなに分かりやすいのだろうか?
……でも、大丈夫。
私は公私の切り替えは得意なのだ。
仕事を始めてしまえば——。
「あら? 枢木さん、この資料、同じ日付の一年前のものじゃない?」
「枢木さん、ここのフォント、変わっちゃってますよ」
「枢木さん、この後会議よ? 移動しましょ」
「枢木さん……」
ダメだった。
全然ダメだった。
「申し訳ございません。本当に申し訳ございません!」
「別に、そんなに謝ることないわよ。大したミスでもなかったし、それに、今までミスがなかった分、ようやく肩肘張ってたのが取れて来たってことじゃないかしら? 気にしないでね」
「はい。ありがとう……ございます」
私は普段なら絶対にしないようなミスを連発し、大きな迷惑こそかけなかったものの、前職でもなかった回数の指摘を受けてしまっていた。
そして、ミスばかりしていたおかげでいつもなら余裕で終わっているはずの仕事が定時になっても全く片付いていない。
急ぎのものこそないが、これは残業だ。
「お疲れ様です」
「お先、失礼します」
そんな声が聞こえる中で、私は一人未だPCと対面していた。
「……あっ、またここミスってる」
遂に一人だけになり、独り言が口を吐く。
「はぁ……なにやってんだろ」
呟きながら、一度伸びでもしようかと、キーボードから手を離すと——コトッ、と言う音と共に缶コーヒーが私のデスクに置かれた。
驚いて、そちらを振り向くと——
「お疲れ様。今日はもういいんじゃない?」
そこには、私の上司である遊佐さんが立っていた。
「遊佐さん、もう帰ったんじゃ?」
「部下を置いて帰れないわよ。でも、今日はここまで。枢木さん、この後時間あるかしら?」
「え、ええ。それは、大丈夫ですが……」
「じゃあ、ちょっと付き合ってちょうだい」
「え、あの、どこに……」
「いいから、いいから」
遊佐さんはテキパキと私の作業内容を保存して、パソコンを閉じると、ついて来いと歩き出す。
よくわからないが、今日はたくさん迷惑をかけてしまったこともあり、断るわけにもいかず、私は急いで片付けをして、その後を追った。
◇◇◇
そうして連れてこられたのは、雰囲気のあるバーだった。
とても、一人では入れないような、高級そうな雰囲気で、早くも場酔いしてしまいそうだ。
「あ、あの遊佐さん」
「マスター、飲みやすいのをこの子に、私はいつものを」
「……かしこまりました」
なんだかよくわからないままに、注文まで済まされてしまい、全くついていけてない。
「さて、枢木さん無理やり連れてきちゃってごめんなさいね。でも、悩みがあるなら吐き出した方がいいわ。聞き出すつもりはないけれど、良ければ話してくれないかしら?」
なんて思っていれば、仕事の時以上に真剣な顔で、遊佐さんがそう切り出した。
……どうやら、今日の私の様子をかなり心配してくれていたらしい。
申し訳ないという感情と同時に、なんだかすごく温かい気持ちになる。
「あ、ありがとうございます」
「いいのよ。近いうちにあなたとはちゃんと話しておきたいと思っていたし」
「そうなんですか?」
「ええ。私、最低一回は部下と飲みに行くことにしてるの。まあ、今日みたいに無理やり連れだすことは少ないけどね」
悪戯に笑いながら、丁度いいタイミングで出されたカクテルにひと口つける。
すると、ほとんど間を置かずに私の前にも何らかのカクテルが出された。
色味はオレンジ系? 柑橘系のカクテルだろうか?
遊佐さんを真似て、私もひと口呷る。
すると、想像以上に甘く、アルコールの酒精をあまり感じないさっぱりとした味わいが広がった。
「おいしい……」
「そう、良かったわ」
私の方を見て、満足そうに笑った遊佐さんがカウンターの上で手を組んだ。
すると、その左手の薬指には褪せない光りを放つプラチナリングが輝いていた。
「遊佐さん……ご結婚されていたんですね」
何となく目についてしまい、凝視するのも申し訳ないので、それを話題に上げる。
「ええ、大体2年前くらいにね。……それにしても、味の感想の次が指輪ってことは、枢木さん、あなたの悩みは恋愛関係かしら?」
遊佐さんは特に何かを気にする素振りもなく、私の悩みに切り込んでくる。
だが、今はそんな無遠慮な感じがなんだかやりやすくて、私も口を開いた。
「恋愛……と言うと、どうでしょうか? でも、特別な人のことで、悩んでいて」
「特別、と言うと?」
カクテルをもうひと口呷りながら、遊佐さんが続きを促してくる。
「そうですね……その人は、ある意味で皆の特別なんです。家族だとか友達だとか、そう言う括りではなく、もっと大勢にとっての特別で、もちろん、私にとっても特別なんですが……」
心に溜まった複雑な、もどかしい感情を何とか言葉にしようと、必死に頭を巡らせる。
そんな私を、真剣に、でもどこか楽し気に遊佐さんは見ていた。
「その人にとっての特別に私だけがなっていいものか、と悩んでいまして……」
お酒の勢いもあってだろうか?
理性が必死で蓋をしようとしていたその言葉が、溢れ出た。
その人にとっての特別、つまり——夜泣ナゲク、ううん、夢見静の特別に私がなっていいのかと言う、あの配信を聞いた日から、私の中につっかえていた感情の大元。
「みんなにとっての特別、ねぇ……」
遊佐さんは手元の指輪をジッと見つめながら、呟く。
そして、顔を上げたかと思えば、私の耳下へ口を近づけて、
「私の旦那なんだけどね……」
「——!?」
旦那さんの名前を教えてくれた。
その名前は大して興味のない私でも知っている有名アイドルの名前だった。
「当時は私もすごく迷ったわ。でも、今はあの人の手を取って良かったと思ってる。そして、旦那も確かに結婚後ちょっとはごたごたしていたけど、今でも現役バリバリでしょう?」
「……そう、ですね」
「だから、って言うのも、違うかもしれないけれど。皆のものだからと言って、相手の気持ちを否定するのは違うと思うわ。枢木さんが枢木さんとして、否定をするならそれはもちろん構わない。貴方の選択だもの。でもね、私は今、幸せよ」
暗い天内を照らすライトの灯りがカクテルグラスを通じて、薬指で反射し指輪をさらに輝かせる。
私の感情……。
運営でも、クルルでもない、私の。
「ありがとうございます、遊佐さん。私、ちゃんと考えてみようと思います」
「ええ、それが良いと思うわ」
私がそう言うと、遊佐さんはゆったりと笑い、そして、悪戯な笑みを浮かべてもう一度私の耳下へ顔を近づけた。
「それで、枢木さんの特別な人って夢見ちゃんのことでしょう?」
「——えっ!?」
それはあまりの衝撃、遊佐さんの旦那さんの名前を聞いた時以上の衝撃で、静寂な店内に私の驚く声がこだました。
☆☆☆☆☆評価を何卒……何卒!!




