第十四話 特別になること
「ふふっ、その反応は図星ね?」
「……え、えっと」
まさかの状況に言葉が詰まってしまう。
一体どうして? 喫煙所で静と話しているところを見られた?
いや、もし仮に喫煙所で会話しているところを見られていたとしても、それだけであんな風に言ってくるとは思えない。
スマホ……は今日の仕事中は出してないし、あるとすれば、あの駅での一幕を目撃された?
なんて、すごいスピードで思考を巡らせる私の隣で、美味しそうにお酒を飲む遊佐さん。
「どうしてか、知りたい?」
そのまま楽しそうにこちらに問いかけてくる。
「……はい」
別段特に隠すようなことでもないとは思うのだが、所属タレントに唾を付けたと上司に思われるのは、あまりいいことではない気がして、気が引けてしまう。
それでも、やはり理由は気になる。
少し身を縮めて小さくなりながら、控えめに頷いた。
「ふふっ、それはね……少し前まで私が夢見ちゃんのマネージャーをしていたからよ」
「——!? マネージャーですか? もとから広報担当ではなく?」
飛び出して来たのは予想の斜め上を行く回答。
遊佐さんは静の元のマネージャーだったらしい。
「そうよ。ここ一、二年でウチもスタッフがだいぶ増えたけど、知っての通り、まだタレントの数も少ない精々中堅事務所。広報関係の業務をしながら、夢見ちゃんのマネージャーもやってたのよ」
「そうだったんですね……」
従業員数などは転職活動の際に調べてはいたため、知識として覚えてはいたが、実際に広報業務をこなしながらマネージャー業もしていたと言われると、その数に実感が湧いてきた。
「でもね、結婚したり、事業が軌道に乗って来たこともあって規模を拡大しましょうってことで、私は決まった時間に働ける裏方の広報に専念させてもらえることになったの。夢見ちゃんが言ってくれたのよ。結婚したての新婚さんを自分のルーズな時間感覚で困らせたくないって」
「しず……夢見さん……」
人のことを良く見て、よく話を聞いてくれる静がその配慮をする様は容易に想像が出来た。
「あ、それでね。私が枢木さんと夢見ちゃんのことを知っていた理由なんだけど……」
「あ、はい」
脱線しかけた話を遊佐さんが戻し、続ける。
「去年のオフラインイベント覚えてる? あの一対一で話せるあれ」
「もちろん、覚えてます」
「あれにね私も居たのよ。夢見ちゃんの後ろで、問題が起きた時にすぐ対処できるように、って。あの頃はもうマネージャーじゃなかったんだけど、イベントの計画自体は私がマネージャーをやってた頃からの企画だったから」
「……え、と言うことは……」
「そうよ。あの日、夢見ちゃんが言った広報担当者が欲しいって言うのは、私の発言からのものね。夢見ちゃんは夢見ちゃんであなたにウチに来て欲しい理由があったようだけど、あの子以外にも、私もちょうどあなたみたいな人材を探してたのよ」
「そうだったんですね……」
何たる偶然。
つまり、遊佐さんがいなければ、ナゲクちゃんの「じゃあ、ウチに来れば?」と言う直接的な発言もなかったかもしれないということになるし、私も自分の力になれる部分が明確でなければ、下手に別の課の転職試験を受けて、無残に散っていた可能性もあるということ。
今日のこともそうだが、これで益々遊佐さんに頭が上がらなくなってしまった。
「そう。だからあなたのことは、ほんとに歓迎しているわ。私も夢見ちゃんもね」
真っすぐこちらを見て、はにかむ遊佐さん。
「はい。頑張ります」
私が答えれば、満足そうにして、マスターに次のお酒を頼んでいた。
その隣で、私は静のことを考える。
もちろん、今の話を聞いた後でも、静が私に特別な感情を向けてくれていると言うのは私の妄想の産物、勘違いだと思わないことはない。
だけど、そうじゃない。
相手からの感情も大事だが、まずは自分の気持ちを確かめなければならない。
あの日、思わずベランダに飛び出してしまうほどに私を苛んだあの感情の正体を、私は知りたい。
ナゲクちゃんと静、同じであって違う二人。
そんな二人に抱く、私の感情を確かめたい。
カウンターに残ったカクテルを一気に飲み干す。
柑橘類のフレッシュな甘さが、前に進む活力になる。
するとその時、丁度スーツのポケットの中でスマホが震えた。
「気にしないで。見ていいわよ」
私が断りを入れる前に、さっきとは違うお酒を飲む遊佐さんがそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言いつつ、スマホを取り出すと、珍しく二件の通知。
一件はいつも通り、ナゲクちゃんの配信告知のお知らせ。
そして、もう一件は、静からのメッセージだった。
先にメッセージの方を開けば——
夢見静「この後、配信します。お忙しくなければ、是非見に来てください!」
私個人に対する配信告知というか、お願いだった。
だが、遊佐さんとあんな話をした後では、このメッセージにも違う意味を感じる。
もちろん、連絡先を交換したから、と言う儀礼的な側面がないとは言い切れない。
けれど、私にとってナゲクちゃんが特別なように、静にとっても特別だからこそ、告知とは別に直接メッセージを送ってくれたんじゃないか、と、今は何となくそう思った。
返信する前に、SNSの通知の方も確認すれば、時間はいつも通り。
そして今日は通常通りの『嘆き』の配信が予告されている。
時間は……今、帰れば、丁度くらい。
しかし、スマホの確認こそ快く許してくれた遊佐さんだが、自分でこの後時間があると言ってついてきた飲みで最後まで付き合わずに先抜けするほど、私は恩知らずにもなれない。
なんて迷っていれば……。
全てを察したような顔をした遊佐さんが改めてこちらを見る。
「行きなさい。あなたのその悩みのために今日は誘ったんだから。それが解決に向かいそうなら、私のことは気にしないで。あ、でも、また時間のある時に色々と話を聞かせて頂戴」
「——! はい! ありがとうございます」
「お会計もいいわ。一杯だけだし、私が誘ったんだから、ほら、そんなことは気にせずに行きなさい」
お礼を言って鞄から財布を取り出そうとした私を手で制して、出口へ視線を向ける遊佐さん。
本当に……なんて良い上司なのだろう。
私は一度、しっかりと頭を下げてから、マスターにも会釈をしてバーを出た。
枢木鈴音「見に行くね! 楽しみにしてるから、無理せず頑張って!」
駅に向かって早足で歩きながら、静に返信をすると、仕事中の失敗など完全に忘れてしまったかのように私の足取りは軽いものになっていた。
◇◇◇
「良かったわね……夢見ちゃん」
バーでは、一人、グラスの氷と左手の指輪を眺めながら、遊佐涼子が呟いていた。
「若いっていいわねぇ、ねえマスター」
「……お客様も十分お若いかと」
「あら、お上手。でも、旦那がいるわ。ふふっ、でも気分がいいから、もう一杯いただこうかしら」
「……かしこまりました」
話し相手がいなくなり、マスターに絡むも器用に躱される。
だが、不思議と寂しさはない。
それは——
「相手の特別になるってのは、良いものよ。二人とも」
自身の左手薬指に触れながら、出口の方向にそっと呟いた。




