第十六話 攻勢に出て
「枢木さん、これ、頼める?」
「はい」
あの日、遊佐さんに飲みに連れて行ってもらい、その後でナゲクちゃんの配信を見た日から、早いもので四日が過ぎた。
今日は同じ週の金曜日。
あれから徐々に調子を取り戻した私は、いつも通りそつなく仕事をこなせるようになっていた。
静とはあれ以来、会っていない。
まあ、それも当然でそもそも所属Vtuberであって、社員とはまた違う静がこのオフィスに出社してくることは稀なのだ。
とは言え、交換した連絡先にはぽつぽつと通知のマークが点く。
あの日のような配信告知であったり、他愛ない世間話。
お互いにそこまで執着がないからこそ、特に抵抗なく化粧品やらメイク道具をおすすめし合ったり。
そんな仕事と推し、そして友人関係が続いていた。
ただ一つだけ。
明確な変化があった。
お昼休憩に入り、休憩室でスマホを開く。
すると今日も、普段は動かない私の連絡先へ一件の通知マーク。
夢見静「お疲れ様です鈴音さん。午後も頑張ってください♡」
これである。
毎日、朝、昼、夜に必ず、静から送られてくる、他とは異なる雰囲気を持つメッセージ。
まるで恋人にでも送るような、甘さを覚えるそれが、あの日以来送られてくるようになったのだ。
もちろん、あの日の配信で、はっきりと本音だと、私にだけは二重の意味で伝わるように言ってきた静の気持ちに今更分からないふりをするつもりはない。
そして、無論のこと、嫌ではない。
だが、ここまで明確に矢印を向けられていると、どう反応していい物か対応に困ってしまうのもまた事実だった。
枢木鈴音「ありがと。静も作業あるんだよね? 頑張って!」
一先ず、♡には触れずにありきたりな反応を返せば、それ以上は静も何も言ってこない。
「さて、どうしたものか……」
コンビニで買った栄養バーを齧りながら、私は贅沢な悩みを心の中に吐き出した。
◇◇◇
仕事が終わって夜。
なんとか確保した席で帰りの電車に揺られながら、考えるのは静のこと。
自然と、バーでの遊佐さんの言葉が思い出される。
「皆のものだからと言って、相手の気持ちを否定するのは違うと思うわ」
皆のもの……。
私にとって、いや、私たちファンにとって夜泣ナゲクとは推しであり、誰のものでもない存在だ。
これは遊佐さんの旦那さん、かの有名アイドルも同じことを言えるだろう。
だが、異なっている点もある。
それは夜泣ナゲクとは、多くのファンにとって夢見静ではないという点だ。
ここが私の悩みの最も大きな比重を占めると言っても過言ではない。
………………。
大事にすべきは誰のものでもない私の感情。
でも、ナゲクちゃんだから、と思ってしまうのも、私の感情ではないのかと言われたらそれは難しいところだ。
グルグルと悩みは止まらない。
そうこうしているうちに最寄り駅へたどり着いてしまった。
「まあ、今日はナゲクちゃんの配信もなさそうだし、夜にゆっくり考えればいいか」
なんて考えつつ、スマホで時間を確認すれば、それと同時にメッセージアプリの通知が点く。
夢見静「お疲れ様です鈴音さん。今夜は配信はないのですが、少しお時間をいただけませんか?」
メッセージにはいつもの夜分の甘いメッセージはなく、文面からも緊張が伝わってくるような、そんな文章が届いていた。
「静、どうしたんだろ?」
改札を通り抜け、自宅方向へ歩きながら呟く。
駅からの階段を下りてから、止まった信号で返信をしようと今一度スマホを取り出した。
枢木鈴音「静もお疲れ様。いいけど、どうかしたの?」
私が送信すれば、すぐに既読が付き、返事が来る。
夢見静「その……ご迷惑じゃなければ、通話したいな、と思いまして」
通話……通話っ!?
予想外の発言に思わず声が出そうになるが、丁度信号が切り替わったおかげで踏みとどまった。
……通話って、私、あなたの声が何より好きなんですけど、良いんですかね?
横断歩道を渡りながら、緩みそうになる頬を引き締める。
枢木鈴音「もちろんいいよ! まだ帰宅中だから、ちょっと待ってて」
にやけ顔を晒さないように顔に力を入れながら、渡り終えたところですぐに返信。
そして、送信ボタンを押した瞬間に我に返った。
……あ、今晩は静のことについてしっかり考えるつもりだったのに。
突然極上のエサを目の前に差し出され、まんまと釣られてしまった。
もちろん、静の側はそんなことを考えてはいないだろうけど……。
送信を取り消す間もなく、次の返信。
夢見静「あ、急がなくても大丈夫です! お疲れだと思いますし、お風呂とかご飯とか済ませてもらった後で。いつも私が配信しているくらいの時間からでどうでしょうか?」
枢木鈴音「分かった。じゃあ、また後でね」
夢見静「はい! では、改めて今日はお疲れ様でした。また後で」
一度承諾してしまえば、改めて無しと言う訳にも行かず、こうして私の夜の予定は一人で考えに耽る、から、推しであり友人である静との一対一通話に上書きされたのだった。
「……ふふっ」
予定が乱れた割に、足取りは軽い。
それはもちろん、考えごととは別に、静と話すのが楽しみだからだ。
「まだ、答えは出ないけど……この特別を享受するのは、いいよね?」
誰に対してでもない、自分への言い訳。
だが、そんな言い訳は週末の疲れを忘れさせるくらいには大きな力を持っていた。
◇◇◇ ——夢見静視点——
「やった!」
私は睨みつけるが如く鋭い視線で見つめていたスマホの画面に送られてきたメッセージを見て、思わずガッツポーズをした。
正直、社会人の金曜日の夜時間を頂くと言うのは、少し気が引けるところがあった。
私のVtuberも仕事だが、誰かと頻繁にやり取りをすることもなければ、細かい時間で動くこともない。
ほとんど全て自分で完結している分、平日と休日にさほどの差はないのだ。
その点、平日は出社して仕事をこなし、土日は休みの鈴音さんの感覚は分からない。
だけど、今日は誘いたかった。
先週、たくさん話してしまったせいだろうか。
今までは我慢できていた欲求が抑えられなかった。
だから、少しずるいことをしてしまった。
通話。
鈴音さんの心に、夜泣ナゲクが居座っていることは分かり切っている。
いつかは、ナゲクではなく私がその座に着きたいが、ナゲクだって、言わば私だ。
Vtuberの本質はイラストとその声だと思う。
だから、ナゲクとしての武器でもある声を使い、イラストを除いた状態を作り出した。
これで、鈴音さんはナゲクの声を聴くことが出来て、私はイラストの、夜泣ナゲクの姿ではなく、夢見静の姿をイメージしてもらうことが出来るという寸法。
……もちろん、ただ声が聴きたいから、私欲を満たしたいから通話をするという訳ではない。
パソコンの画面をクリックする。
そこに表示されるのは、いつか行ってみたいと思っていたデートスポット。
「……頑張って誘おう」
二つの目的のため、私は通話の時間になるのを今か今かと待っていた。




