第99話 太陽より恐ろしいもの
坂道が終わると、次は基礎動作へ移った。
アイゼンは木剣を振るたび、無意識に雷魔法で初動を速めようとする。ガルムは盾を構える時、守る相手がいない側の足がわずかに遅れる。クロウは右手の短剣をおとりとして使う癖が強く、左側へ意識が偏っている。ルナは強大な魔力で押し切れるため、杖を戻す動きがわずかに大きい。
長い年月を戦ってきた経験は強みだ。同時に、それだけの時間をかけて染みついた癖もある。
「お前たちは四人合わせて、七百十三年生きている」
「また合計したな」
「戦った時間が長い分、直すべき癖も深い。だから一からやり直す」
「七百年以上の経験を持つわらわたちへ、十二歳のそなたが基礎を教えるというのか?」
「不満なら、もう一度戦うか?」
「……続きを申せ」
「素直だな」
「昨日と同じことを二度も繰り返すほど、わらわは愚かではない!」
障害走では、ニーナにも手伝わせた。ニーナが両手を構えると、五つの小さな《火弾》が同時に浮かぶ。半年前なら一つの炎を形にすることさえ難しかったが、今は大きさと速度を一つずつ変えながら制御できる。
「皆様、申し訳ございません。アレス様のご命令ですので」
火弾が四方から飛んだ。ルナが頭を下げる。その上を火弾が通り過ぎ、後ろにいたアイゼンの髪を焦がした。
「本当に申し訳ございません!」
「謝るくらいなら撃つな!」
「ですが、避けなければ追加で一周と……」
「そなたも完全にアレスの側ではないか!」
「私はアレス様の侍女ですので」
今度は正面から二発、左右から三発が時間差で飛ぶ。クロウが虫を使って火弾の軌道を読み、三人へ伝える。ガルムが大盾で二発を受け、アイゼンがその陰から抜ける。ルナは火魔法で打ち消そうとした。
「魔法で消すな。避けろ」
「わらわは火魔法を使えるのじゃぞ! 使って何が悪い!」
「今日は身体の訓練だ」
「先ほどは魔力を三つ同時に使わせたであろう!」
「あれは魔力制御の訓練だ」
「都合よく目的を変えるでない!」
火弾がルナの足元で弾けた。
「熱い!」
「姫様!」
「止まるな、アイゼン。全員追加になる」
ガルムが走りながら言う。
「なぜそなたが一番順応しておるのじゃ!」
「飯が出る」
「理由が一貫しすぎじゃ!」
昼までに、一巡目が終わった。四人とも地面へ倒れていた。クロウはあお向けになりながらも、虫の配置だけは崩していない。アイゼンは木剣を握ったまま、荒い呼吸を繰り返している。ガルムは大盾へ寄りかかり、目を閉じていた。
ルナは地面へ座り込み、長い紫髪を土まみれにして俺をにらんでいる。
「そなたは……わらわたちへ恨みでもあるのか……」
「ない」
「では、なぜここまで……」
「半年後には、今の自分が弱かったと分かる」
「九十二年生きて初めて、昨日までの自分ではなく、明日の自分が憎くなったぞ」
四人の身体を順番に確かめる。筋肉は限界に近いが、骨も、筋肉と骨をつなぐ腱も壊れていない。魔力も底をつく前で止めている。厳しく追い込んではいるが、二度と立てなくなるような壊し方はしない。
裂けた筋肉と細かな傷だけを、《超再生》で治した。
力が戻ったことに気づき、ルナの顔がこわばる。
「まさか」
「一刻休んで、二巡目だ」
「板に書いてあったことを、本当にやる気なのか?」
「そのために書いた」
「普通は脅しではないのか!」
「訓練内容でうそはつかない」
「そこだけ誠実である必要はない!」
ニーナたちが、水と昼食を運んできた。肉、魚、卵、野菜。失った体力と血を戻せるよう、量も種類も用意してある。
クロウが上半身を起こし、食事と俺を交互に見た。
「ふぉふぉ……なるほど」
「何だ?」
「アレス様は、私どもを壊れる寸前まで追い込まれます。ですが、決して壊しはしない。水も食事も、再生も、初めからすべて用意しておられた」
「当たり前だ」
「使い潰さない、というお言葉にうそはないようでございます」
「当然だ。ただし、使えるところまでは使う」
「最後の一言で、すべてが台無しじゃ!」
ルナが叫んだ。
午後の二巡目が終わるころ、太陽は西の空へ傾いていた。結局、四人は日中の訓練から一度も逃げなかった。
文句は多い。特にルナとアイゼンは、追加された往復の半分以上を自分の口で増やした。それでも、誰か一人を置いて先へ行くことはない。
クロウが遅れればアイゼンが速度を落とし、ルナの魔力が乱れればガルムが横へ立つ。ガルムの視界が盾で塞がれれば、クロウが虫を通して道を教えた。
最初から、四人は強い。だからこそ、もっと強くできる。
日が沈む。夜の魔力が、周囲へ満ち始めた。
倒れていた四人の身体へ、変化が起きる。血が夜の魔力を取り込み、昼の三倍から五倍へ力を引き上げていく。
アイゼンが腕を動かし、驚いたように起き上がった。
「力が戻ってくる」
ガルムも立ち上がり、大盾を軽々と背負う。
クロウの周囲へ、昼の間は温存していた別の虫たちまで次々に集まった。
ルナは夜風に長い紫髪を揺らし、勝ち誇ったように俺を見る。
「残念であったな、アレス。夜になったぞ」
「ああ」
「わらわたちは、昼とは比べものにならぬ。今日の訓練で疲れておろうと、今ならまだ動ける」
「分かっている」
「ならば、今日はここまでじゃな」
「何を言っている」
四人の顔から、同時に表情が消えた。
「昼は、弱った状態での基礎を見ただけだ」
俺はグレイグへ目を向けた。グレイグが訓練場の奥から、新しい石籠と模擬武器を運んでくる。
「ここからが本来のお前たちだ。夜間訓練を始める」
「まだやるのか!」
アイゼンが叫んだ。
「アレス様。老骨へ、多少のご慈悲をいただけませんでしょうか」
「さっき、あと何十年も生きると言った」
「覚えておられましたか」
「腹が減った」
ガルムが言う。
「終わったら夜食を出す」
「なら、やる」
「ガルム! そなたは少し反抗せよ!」
最後に、ルナが俺の前へ立った。朝日を初めて浴びた時とは違う意味で、その赤い瞳が震えている。
「アレス」
「何だ?」
「わらわは今日、太陽が恐ろしいものではないと初めて知った」
「よかったな」
「そして今、太陽より恐ろしいものが、この世におると知った」
「ヴァンパイアのことか?」
「そなたのことじゃ!」
ルナの叫び声が、夜の石切り場へ響き渡った。クロウが笑い、アイゼンが怒鳴り、ガルムは夜食の内容をニーナへ尋ねている。
何一つ変わっていない。かつて失った四つの声が、今はすぐそばにある。俺の配下になっても、こいつらは俺へ遠慮しない。敬いすぎず、恐れず、言いたいことを言う。
それでいい。やり直した今も、この関係だけは変えなくていい。
「全員、持ち場につけ」
「少しは余韻に浸らせよ!」
「訓練が終わったらな」
「その訓練は、いつ終わるのじゃ!」
「強くなったらだ」
「一生終わらぬではないか!」
「よく分かっている」
「アレス――!」
五つの声と足音が重なる。
この声を、もう一度失うわけにはいかない。
再び出会えた。それだけでは、まだ四人を救ったことにはならない。
こいつらを鍛える。俺自身も、もっと強くなる。この先に待つ戦いを、全員で生き抜くために。
今度こそ、誰一人死なせない。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
これにて『第七章 かつての戦友編』終了となります。
滅びた世界で共に背中をあずけ、最後まで共に戦った四人。そして失ってしまった四人をやっと仲間にすることができました。
ああ、やっとだ。もっと早く登場させたかったです。ずいぶん時間がかかってしまった。
少しでも面白いと思っていただけましたら、
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