第98話 四人が選んだ契約
契約の内容は、他の者たちと変わらない。俺を裏切らないこと。知った秘密を許可なく漏らさないこと。組織の中で定めた命令に従うこと。
代わりに、俺は配下となった者を奴隷として扱わない。働きには正当な報酬を払い、力を伸ばす機会を与え、危険へ送り出したなら必ず連れ帰る。使い潰さず、守る。
魔法による強制力は双方へ働く。だが、契約を結ぶかどうかだけは、本人の意思で決める。
ルナが最初に指先を切り、契約書へ血を一滴落とした。赤い魔力が文字の上を走る。続いてクロウ、アイゼン、ガルムが血を落とした。
俺が四枚へ魔力を流すと、契約書が淡く光った。主従契約が成立し、ルナたち四人が正式に俺の配下となった。
「これで、わらわたちはそなたの配下じゃ」
「ああ」
「先に申しておくが、わらわはそなたを主様などとは呼ばぬぞ」
「呼ばなくていい」
ルナが目を瞬いた。
「よいのか?」
「今までどおりでいい」
「私は、アレス様とお呼びいたしましょう」
クロウがおだやかに頭を下げる。
「貴様は貴様だ」
アイゼンが言う。
「アレス」
ガルムは短く呼んだ。
グレイグの眉が動く。
「主様。配下となった以上、最低限の礼節は――」
「必要ない」
俺は止めた。
「この四人は、これでいい。急に丁寧にされても気味が悪い」
「そなたが許すのであれば、わらわに異論はないが……」
「むしろ、俺へ遠慮するな。間違っていると思えば言え。気に入らなければ怒鳴れ」
「そなたは、わらわに何を期待しておるのじゃ」
「今と同じだ」
「それならば、何一つ変える必要がないではないか」
「そう言っている」
滅びた未来でも、四人は俺を必要以上に持ち上げなかった。ルナは無茶をすれば怒鳴り、クロウは丁寧な言葉で痛いところを突き、アイゼンは何度も正面から反対した。ガルムは口数こそ少ないが、俺が一人で残ろうとすれば、黙って隣へ立った。配下である前に、共に戦った仲間だった。
今の四人は、その年月を知らない。それでも俺にとって、こいつらは特別だ。主従契約一つで、その距離まで変えさせるつもりはない。
「話は終わりだ」
「うむ。では、わらわたちは少し休ませてもらうぞ」
「その前に訓練をする」
ルナの足が止まった。
「今、何と申した?」
「訓練だ」
「わらわたちは昨夜、そなたと死闘を繰り広げた」
「知っている」
「その後、一睡もせず山を下りた」
「一緒に歩いたから知っている」
「つい先ほど、太陽に何度も焼かれた」
「治した」
「ならば、なぜ今から訓練になる!」
「太陽の弱点を乗り越えたからだ」
ルナの口が開いたまま止まる。
「まさか……わらわたちを昼にも鍛えるために、日の光の弱点を乗り越えさせたのではあるまいな」
「それだけではない」
「今、否定するところであろう!」
「自由に外を歩けるようにしたかったのも本当だ」
「『も』と申したな!」
俺が中庭の奥へ目を向けると、グレイグがうなずいた。門の外から、ベッツたちが背負い籠を運び込んでくる。中には、一人で持ち上げるには大きすぎる石が詰められていた。
ルナの顔が引きつる。
「すでに用意しておったのか?」
「主様から、新しい四名の基礎を見ると伺っていた」
「グレイグと申したな。そなたも止めよ!」
「配下の力を正しく知ることは、指揮官に必要です」
「この者と気が合いすぎではないか?」
「俺が訓練責任者にした」
「人選を間違えておる!」
旧石切り場へ着くと、日中の訓練内容を書いた板が立てられていた。
一、石を背負って坂道を二十往復。
二、基礎動作を各二百回。
三、魔力制御を維持したまま障害走。
四、短い休息の後、グレイグたち八人との訓練試合。
五、再生後、最初からもう一巡。
ルナが上から下まで読み、もう一度上へ戻った。
「最後の一行がおかしい」
「どこがだ?」
「なぜ再生した後、最初へ戻る!」
「動けるようになるからだ」
「再生を休息の代わりに使うでない!」
「初日だから軽くした」
「どこがじゃ!」
「夜になれば、お前たちは今の三倍から五倍動ける。日中のこの程度なら、ちょうどいい」
「弱っておる時を狙って無理をさせ続ける者があるか!」
「弱い状態で鍛えた方が、基礎は強くなる」
「理屈が通っておるから、余計に腹が立つ!」
四人へ、それぞれ別の負担を与えた。
ガルムの背負い籠には、ベッツたち七人が使う石をすべて合わせたものよりも重い岩を入れた。さらに大盾を背負わせる。
アイゼンの両腕と両脚には重りを巻き、雷魔法による身体の加速を禁じた。自分の筋力と足運びだけで、決めた速度を守らせる。
クロウの石は三人より軽い。その代わり、訓練場の周囲へ百匹の虫を飛ばし、決めた範囲から一匹も外さず、周囲の動きを報告させる。
ルナには石を背負わせたうえ、火、闇、血の三つの魔力球を同時に浮かべさせた。どれか一つでも消えれば、その場から一往復追加だ。
「わらわは王女じゃぞ」
「知っている」
「王女へ石籠を背負わせるのか?」
「王女なら、三つくらい同時にできるだろう」
「できるが、そういう問題ではない!」
「なら始めろ」
「話を聞け!」
「一往復追加だ」
「なぜじゃ!」
「開始の合図から動かなかった」
ルナの叫び声と共に、四人の初訓練が始まった。
最初の三往復は、全員に余裕があった。昼は弱体化しているとはいえ、長い年月を戦い抜いてきたヴァンパイアだ。身体の使い方も、苦痛に耐える方法も知っている。
五往復目を越えたところから、差が出始めた。
アイゼンは速い。だが、自分の速さで先へ出ようとするため、後ろを走るクロウとの距離が次第に開いていく。
「アイゼン、速すぎる」
「この程度、俺一人ならもっと速く走れる!」
「四人で動け。お前だけ先に着いても意味がない」
「なら、クロウが俺に合わせればいいだろう!」
「クロウは百匹の虫を操りながら走っている。お前が合わせろ」
「俺に遅い者へ合わせろと言うのか!」
「仲間を置いていく前衛はいらない」
アイゼンが不満そうに速度を落とす。だが、今度はクロウよりも遅くなった。
「極端だ。間を取れ」
「細かい!」
「一往復追加」
「今のどこに追加する理由があった!」
「指示へ文句を言った」
「横暴だ!」
「もう一往復」
「アイゼン。黙った方がよい」
ガルムが忠告した。
「くそっ、覚えてろよ!」
ガルムは一度も速度を乱さなかった。だが、坂の途中で遅れたルナを見ると、自分の岩を背負ったまま、ルナの石籠へ手を伸ばした。
「触るな」
俺が止める。
「ルナ様が遅れている」
「自分で運ばせろ」
「俺が持てる」
「持てるかどうかではない。ルナの訓練にならない」
「では、待つ」
「それはいい」
ガルムはその場で足を止めた。後ろから来たアイゼンが、大きな背中へ衝突する。
「急に止まるな!」
「待ってよいと言われた」
「道の真ん中で止まる奴があるか!」
「端へ寄れとは言われなかった」
「少しは自分で考えろ!」
「二人とも一往復追加だ」
「俺までか!?」
「前を見ていなかった」
「くそっ!」
クロウは呼吸を乱しながらも、百匹の虫を正確に飛ばし続けていた。
「東、異常なし。西から角ウサギが一匹。南の木陰でルゥ様が隠れて菓子を食べております」
「クロウおじいちゃん、言わないで!」
「申し訳ございません。報告も訓練の一部ですので」
「ふぉふぉふぉ」と笑った瞬間、虫が一匹だけ範囲の外へ出た。
「クロウ。一往復追加だ」
「これは手厳しい」
「笑う余裕があるなら、石も増やす」
クロウの笑い声が止まった。
「三百四十一年生きてきて、笑っただけで罰を受けたのは初めてでございます」
「新しい経験ができてよかったな」
「アレス様は、老人を敬う心をどこへ置いてこられたのでしょう」
「山だ」
「取りに戻っていただけませんか?」
「訓練が終わったら考える」
「終わるころには、私の寿命が先に尽きそうでございます」
「あと何十年も生きられる。問題ない」
ルナは三つの魔力球を維持したまま、歯を食いしばって坂を上っていた。火の球は安定し、闇の球も乱れていない。だが、血の球だけが少しずつ小さくなり、石籠へ細い血の糸が伸びて重さの一部を支えていた。
「ルナ」
「何じゃ」
「血術で石を持ち上げるな」
「何のことか分からぬな」
「血の球が小さくなっている」
「日の光の弱点を乗り越えたばかりだから、制御が不安定なのじゃ」
「うそだ」
「証拠はあるのか?」
「ルゥ」
「血の赤い糸が、籠につながってる!」
木の上から見ていたルゥが、元気よく答えた。
「裏切ったな、ルゥ!」
「報告できたら、お菓子一つってアレス様が」
「子供を買収するでない!」
「二往復追加だ」
「なぜ二つも増える!」
「不正とうそだ」
「そなた、いつか必ず泣かせてやるからな!」
「その元気があるなら、あと三十往復でもいい」
「二往復でよい!」
ルナの叫びが、石切り場の坂へ響き渡った。だが、四人が挑んでいるのは、板に書いた五つの訓練のうち最初の一つにすぎない。
太陽の下で過ごす初めての一日は、まだ始まったばかりだった。




