第93話 四人すべてを倒す
残るのは、ルナ一人。
振り返ると、杖から赤黒い光があふれていた。
「血術《緋王断》!」
巨大な血刃が振り下ろされる。先ほどより速い。それでも、今の俺には遅く見えた。
身体を半歩ずらし、血刃の横へ手を添える。
「《流転》」
力の向きを変えると、巨大な刃が俺の横を通り、地面へ深い溝を刻んだ。
そのままルナの前へ出て、右拳を顔の寸前で止める。左の手のひらも、胸元へ触れる寸前で止めた。
拳から流れた風圧が、長い紫髪を大きく揺らす。
ルナは動かなかった。
俺も拳を進めない。
「今度こそ、終わりだ」
ルナが自分の胸元を見る。
俺の左手は、心臓を捉えられる位置で止まっている。右拳で頭を砕き、左の手のひらで心臓を潰す。
俺がその気なら、どちらもできた。ルナにも、それが分かっている。
杖を握る手から、力が抜けた。
「……わらわの負けじゃ」
静かな声が、谷へ落ちた。
俺は拳を下ろし、ルナから一歩退いた。
「この戦いは、ここまでじゃ」
「姫様!」
アイゼンが地面へ手をつき、起き上がろうとする。
「動くでない」
「しかし、俺はまだ戦えます!」
「ならば、何度殺されれば負けを認める。そなたも先ほど、胸へ一撃を受けた時点で終わっておる。わらわなど、これで三度も命を取られておる」
ルナが、先ほどまで俺の拳が止まっていた顔と胸元へ触れる。
「この者が殺すつもりなら、わらわたちはすでに一人も残っておらぬ」
「ですが……」
「敗北を認められぬ者に、次の勝利はない。そなたも分かっておろう」
アイゼンは歯を食いしばった。
やがて、そばに落ちていた剣を拾って地面へ突き立て、その前へ片膝をつく。
「……申し訳ございません、姫様。俺も、負けを認めます」
「最初から、そう言えばいい」
「貴様は一言多い!」
「元気だな」
「誰のせいだ!」
ガルムの喉から、低い笑い声が漏れた。
滅びた未来で何度も聞いた、懐かしい笑い声だった。
ルナが、ガルムへ目を向ける。
「ガルム」
ガルムは大盾を地面へ置き、ルナへ深くうなずいた。
「承知した、ルナ様。俺も、負けを認める」
それから俺を見て、もう一度うなずく。
「見事だ」
ガルムの大盾の後ろから、小さなせきが聞こえた。
クロウが片手を地面へつき、ゆっくりと身体を起こす。
「……戦いは、終わったのでございますか」
「ルナ、アイゼン、ガルムは負けを認めた。残るのはお前だけだ」
クロウは周囲を見回した。
杖を下ろしたルナ。剣の前へ片膝をつくアイゼン。大盾を地面へ置いたガルム。
三人を順に確かめ、最後に俺を見る。
「二度も意識を奪われておいて、なお戦うと言い張るほど恥知らずではございません。私も、敗北を認めましょう」
「これで、四人全員だ」
「ただし、あなたの態度まで気に入ったわけではございません」
「それも、すぐに慣れる」
「慣れるつもりはございません」
四人全員が、自分の言葉で敗北を認めた。
これでようやく、同じ場所へ向かうための話ができる。
◇
戦いが終わると、急に腹が減った。
《超再生》で身体を何度も作り直したうえ、ヴァンパイア細胞の性質を自分の細胞へ取り込んだ。力を抜いた途端、身体の奥が空になったような空腹が襲ってくる。
戦いで崩れた場所を離れ、少し開けた岩場へ向かった。
腰のマジックバッグへ手を伸ばす。
「どこへ行くのじゃ」
「食事だ」
「今からか?」
「今だからだ」
中からニーナの包みを取り出し、開く。
焼いた肉と香草の匂いが広がった。
ガルムの視線が肉へ向き、すぐに逸れた。アイゼンも見ている。クロウだけは平然としていたが、鼻がわずかに動いたのを俺は見逃さなかった。
「食うか?」
「いらぬ」
ルナが即答した。
「そうか」
肉を一つ取り、口へ運ぶ。
冷めてはいたが、柔らかい。香草の香りと肉汁が口の中へ広がる。
セルジュが用意した固焼きのパンとは、確かにまったく違う食べ物だった。
ニーナの言ったとおりだ。
「うまい」
「その程度で、わらわたちを懐柔できると思うでないぞ」
「思っていない。いらないと言ったから、俺が食べている」
もう一つ食べる。
ガルムの腹から、大きな音が鳴った。
誰も何も言わない。
もう一度、鳴る。
「ガルム」
「何だ」
「食え」
ガルムは肉へ手を伸ばさず、ルナを見た。
「ルナ様が先だ」
「わらわはいらぬ。そなたが食べよ。この者がわらわたちを殺すつもりなら、先ほどの戦いで殺しておる。今さら毒を使う理由もなかろう」
「ニーナは毒など入れない」
「そなたの侍女を、わらわたちは知らぬ」
「会えば分かる」
ルナは俺をしばらく見つめた後、ガルムへ顔を向ける。
「食べよ、ガルム」
「承知しました、ルナ様」
肉を一つ取り、ガルムへ差し出す。
ガルムは大きな手で受け取り、しばらく眺めた後、一口で半分ほど食べた。
赤い目が、わずかに見開かれる。
「どうじゃ?」
「うまい」
「それだけか?」
「肉が柔らかい。塩もよい。この草も合う」
「香草だ」
「そうか。香草もうまい」
「草が香草に変わっただけではないか」
ルナが呆れたように言う。
ガルムは手に残った肉を見てから、ルナへ目を戻した。
「ルナ様も、食べれば分かる」
ルナがガルムをにらむ。
俺は包みから別の肉を取り、ルナへ差し出した。
「……そこまで申すなら、確かめてやろう」
ルナは肉を受け取り、小さくかじる。
赤い目が、一瞬だけ丸くなった。
「どうだ?」
「……悪くない」
「うまいだろう」
「悪くないと申した」
「もう一つ食うか?」
ルナは一瞬だけ迷ったあと、小さくうなずいた。
「……もらおう」
その時、今度はルナの腹が小さく鳴った。
アイゼンがそっと顔を逸らす。
ガルムは聞かなかったふりをして、手に残った肉を口へ運んだ。
クロウは何も聞かなかったように視線を伏せ、ルナへ水袋を差し出す。
「お飲み物も、いかがでしょう」
「……もらおう」
俺も何も言わず、ルナへ二つ目の肉を渡した。
「やはり、気に入ったのだな」
「悪くないと申しておる」
「アイゼン、クロウ。お前たちも食え。ガルムも、まだある。話はその後だ」
「そなたの食事であろう?」
「俺には保存食もある。それに、ニーナが、お前たち四人にも分けるよう、多めに作ってくれた」
「会ったこともない、わらわたちの分までか?」
「ああ。四人を連れて戻ると言ったら、最初から五人分を用意していた」
ルナは、手の中の肉へ目を落とした。
「……ずいぶんと気の利く侍女じゃな」
「では、その心遣いに甘えるといたしましょう」
クロウが肉を一つ受け取る。
アイゼンも少し迷った末、包みへ手を伸ばした。
一つ目こそ慎重に口へ運んでいたが、二つ目からは早かった。ガルムは俺以上の勢いで食べ続ける。クロウは食事中まで姿勢を崩さず、ルナの様子を確かめながら、自分の分を静かに口へ運んでいた。
ルナは王女らしくゆっくり食べようとしていたが、空腹には勝てなかったらしい。
最後には、残った肉を誰よりも気にしていた。
四人が生きて、同じ食事を囲んでいる。
滅びた未来では、望んでも二度と得られなかった時間だ。
胸の奥へ、言葉にできないものが込み上げる。
「何を見ておる」
ルナが肉を持ったまま、俺をにらむ。
今のルナに、この感情の理由を話すことはできない。
「食い過ぎだと思った」
「そなたとガルムに言われたくはない!」
「俺は再生に使った」
「わらわも魔力と血を使った! そのうえ、そなたに王血まで奪われた!」
「なら、もっと食え」
残っていた肉を渡す。
ルナは文句を言いながらも受け取った。
拳で認めさせる戦いは終わった。
だが、勝ったからついてこいと命じるだけでは足りない。
四人自身に、俺と共に歩く道を選ばせる。
そのために次は、俺が何を守り、何と戦うつもりなのかを伝える番だった。




