第9話 言葉ではなく行動で
「お館様」
騎士団長のダリオが一歩前へ出た。
「アレス様は、今後どのようになさるのでしょうか?」
「本人の希望もあり、当面は冒険者を目指して鍛えることを許可した」
周囲がざわついた。トーマがわずかに眉を寄せる。エマの厳しい視線が、俺から父上へ移った。
「冒険者ですか?」
ダリオが驚いた表情を浮かべる。
「では、アークハルト家の跡継ぎについては、どのようになさるおつもりでしょうか」
「その件については、しばらく時間が欲しい」
父上は集まった者たちを見渡した。
「当面、アレスは自身を鍛えることになる。皆にも、可能な範囲で協力してやってほしい」
「承知いたしました」
ダリオが深く頭を下げた。
「お館様のご判断であれば、私は従います」
その態度からも、ダリオが父上へ絶大な信頼を寄せていることが分かる。
「アレス様」
ダリオが俺へ向き直った。傷のある厳しい顔を、さらに引き締める。
「このダリオも、訓練には協力させていただきます」
「助かる」
俺が答えると、隣にいたルークが穏やかに笑った。
「少し前まで、木剣を持つことすら嫌がっていた坊ちゃんが、自ら鍛えたいと仰るとは。私も喜んで協力いたします」
「ルーク副団長」
ダリオが低い声を出した。
「アレス様だ」
「ああ、失礼いたしました」
ルークはわずかに肩をすくめ、柔らかな笑みを崩さないまま頭を下げた。
「昔の癖が抜けないもので」
広間に、小さな笑いが起こる。ルークは幼い頃から俺を知っている。昔の呼び方が、つい口から出ただけなのだろう。俺も特に気には留めなかった。
「《体術》は、決して役立たずの力ではありません」
ルークは俺の前で片膝をついた。十二歳の俺と、視線の高さを合わせるためだ。
「この世界には、数は少ないですが、体術で名を上げた者もおります」
「そうなのか」
「はい。使い方と鍛え方次第で、どのようなスキルも人を守る力になります」
父上と同じことを言う。
「私では体術そのものを教えることはできません。ですが、基礎体力や身体の使い方であれば、お力になれると思います」
「では、明日の日の出前から頼む」
ルークが一瞬、青い瞳を丸くした。
「日の出前、ですか?」
「ああ。遅いか?」
「いえ」
ルークは楽しそうに口元を緩めた。
「むしろ、私の方が寝坊しないよう気をつけなければなりませんね」
本当は、一人でも修行はできる。だが、協力を申し出てくれているのだ。断る理由はない。他者から見た俺の身体の状態を知るためにも、騎士と訓練する価値はある。一人でなければできない修行は、誰にも見られない場所で行えばいい。父上からの説明が終わる。集められた者たちが退出しようとした時、俺は声を上げた。
「待ってくれ」
全員の足が止まった。俺は、広間に並ぶ者たちを見渡す。オルド。トーマ。エマ。ハンナ。エド。ダリオ。ルーク。そして、ニーナ。
この屋敷で働き、アークハルト家を支えてくれている者たち。かつての俺は、彼らへ命令することしか知らなかった。感謝も。謝罪も。一度として口にしたことがない。
「皆に、伝えておきたいことがある」
自分でも、何から話せばよいのか分からない。魔王を前にするより緊張する。十二魔将に囲まれた時でさえ、ここまで言葉に迷ったことはない。
「俺は今まで、皆に酷い態度を取ってきた」
誰も否定しない。少しくらい否定してほしかった。
「怒鳴りつけ、物を投げ、仕事を増やし、理不尽なことばかり言った」
沈黙。やはり誰も否定しない。事実なので仕方がない。
「すぐに信じてもらえるとは思っていない。だが、これからは改める」
俺は深く頭を下げた。
「今まで、申し訳なかった」
驚いた気配が広がる。
「アレス様……」
ニーナが口元を押さえた。琥珀色の瞳が、わずかに潤んでいる。オルドは、しばらく黙った後、静かに目を閉じた。
「そのお言葉を聞けただけでも、長くお仕えしてきてよかったと思えます」
「オルド……」
「ですが」
オルドが目を開く。その瞳にも、わずかな涙が浮かんでいた。
「割られた花瓶、壊された扉、投げ捨てられた食器につきましては、いずれ弁償していただきます」
「金を取るのか?」
「当然でございます」
厳しい。だが、正しい。若執事のトーマが、わずかに口元を緩めた。初めて見せた表情だった。もっとも、俺が弁償させられることを喜んでいる可能性もある。侍女長のエマが一歩前へ出た。
「私は、言葉だけでは信用いたしません」
ニーナと似た琥珀色の瞳が、真っすぐに俺を射抜く。責める口調ではない。ただ、厳しい現実を伝える声だった。
「アレス様が本当に変わられたかどうかは、これからの行動で判断いたします」
「当然だ」
俺はうなずいた。
「そのようにしてくれ」
エマの瞳に、わずかな驚きが浮かぶ。
「かつての俺が行ってきたことは、謝っただけで消えるものではない。時間をかけて信用を取り戻す」
「……承知いたしました」
エマが深く頭を下げた。その隣で、料理長のハンナが腕を組む。
「本当に反省しているのでしたら、食べ物を床へ捨てるのは、二度とやめてくださいよ」
「ああ。絶対にしない」
俺は胸へ手を当てた。
「アークハルトの名に誓う」
今の俺にとって、食べ物を粗末にするなど考えられない。床へ落ちたパンでも、砂を払えば十分食べられる。滅びた未来で食べていた魔物肉と比べれば、砂など香辛料のようなものだ。
「それから、ハンナ」
「何でしょう?」
「今日の料理は、本当に美味かった」
ハンナの厳しい表情が、わずかに緩んだ。
「ありがとうございます」
大きな顔に浮かんだ笑みは、豪快で温かかった。
「ですが、味つけについてはニーナにも礼を言ってやってください。あの子に見てもらうようになってから、うちの料理は以前より一段美味くなりましたから」
「すでに聞いた」
俺はニーナへ視線を向けた。
「ニーナ」
「は、はい」
「改めて礼を言う。美味い料理をありがとう」
ニーナの白い頬が、一気に赤くなった。戸惑うように両手を重ね、それから花が開くように微笑む。
「お口に合ったのでしたら、何よりでございます」
普段のおびえた表情からは想像できない、柔らかくかわいらしい笑顔だった。やはり、女神で間違いない。
「明日からも頼む」
「はい」
「量は今日の三倍で」
「反省した直後から、無茶を言わないでください!」
ハンナに怒られた。広間に笑い声が広がる。母上が口元へ手を添えながら、楽しそうに笑っている。父上もあきれたように息を吐いていたが、その表情はわずかに緩んでいた。人間は変わったからといって、すべてを許されるわけではないらしい。当然である。
俺は改めて、広間にいる者たちを見渡した。守るべき家族。信頼を取り戻すべき使用人。希少な才能を持つニーナ。頼れる騎士たち。そして、二年後に迫るスタンピード。
やるべきことは多い。だが、滅びた未来とは違う。今の俺には、時間がある。知識がある。《超再生》がある。そして何より――守りたいと思える人たちが、目の前にいる。
「明日から、始めるか」
小さくつぶやく。まずは、自分の力を取り戻す。その背中を見せた後で、ニーナを魔力操作の訓練へ誘おう。急ぐ必要はない。彼女の才能は、もう見つけた。今度は決して、見落とさない。俺の右眼の奥で、《魔眼》が微かに熱を帯びる。十二歳からのやり直し。最初の修行が、間もなく始まる。




