第89話 夜葬四重陣《緋月ノ棺》
「もっと来い」
「まだ強がるか!」
「違う。お前たちの力は、この程度ではない」
「申したな!」
ルナの赤い瞳が細くなり、杖の先に闇が集まり始めた。
「闇炎《蝕月》」
赤黒い炎が、月の光を食らうように膨れ上がる。普通の火ではない。触れた物を焼くだけでなく、魔力を侵し、光と感覚まで奪う闇の炎だ。
炎が俺の身体をのみ込む。服が焼け、皮膚が焦げた。火属性への耐性はある。それでも闇の魔力が傷口へ入り込み、《超再生》の動きを遅らせる。
そこへガルムの大盾が迫る。
「盾撃《大地震衝》」
正面から受けた。両腕を盾へ当てた瞬間、骨がきしむ。足元の地面が沈み、身体が後方へ押し流された。さらに、アイゼンの雷がガルムの盾を伝ってくる。
「ぐっ……」
全身の筋肉が硬直した。クロウの糸が足首へ巻きつき、ルナの血の槍が右肩、左わき腹、右の太ももを貫いた。
「捉えたぞ」
血の槍の形が崩れ、再び体内へ入り込もうとする。
俺は、右足を地面へ打ちつけた。
「《震脚》」
衝撃が足元から広がる。ガルムが固めた大地へ亀裂が走り、クロウの糸を支えていた岩杭が砕けた。巻きついていた糸を《崩刃》で断ち、身体を縫っていた血の槍を引き抜く。
だが、四人は止まらない。俺が一つの縛りを破る間に、次の攻撃を重ねてくる。
再生する。避ける。受け流す。それでも、傷が増える。
右腕の感覚が鈍り、左脚には毒が残っている。闇炎に侵された背中の再生も、まだ終わっていない。半年前なら、とっくに動けなくなっていた。それでも今は立っている。これを越えるために、半年鍛えた。
「ルナ」
「何じゃ」
「そろそろ、あれを使うつもりだろう」
「あれ、とは?」
「夜葬四重陣《緋月ノ棺》」
四人の動きが、同時に止まった。
アイゼンが目を見開く。
「なぜ、その名を……」
「お前たちが今から使う技だからだ」
「まだ使っておらぬわ!」
ルナの声が、谷へ響く。
「なら、使わないのか?」
「使う!」
「やはりな」
「そなたに誘導されたようで腹立たしいのう!」
「姫様。技名を変えますか?」
クロウが真顔で尋ねる。
「変えぬ! わらわが考えた名じゃぞ!」
「よい名だ」
ガルムがうなずいた。
「ガルムは黙っておれ!」
「褒めたのだが」
「今は分かっておる!」
一瞬だけ、四人の間にすきが生まれた。踏み込めば、誰か一人は倒せた。それでも、俺は動かなかった。
「使え。正面から越える」
ルナの笑みが消える。
「後悔するぞ」
「そのために来た」
「クロウ、アイゼン、ガルム!」
「承知しました」
「承知!」
「うむ」
ルナが杖を地面へ打ちつけた。
谷全体が揺れる。
最初に、ガルムが動いた。
「土魔法《岩牢》」
大盾を地面へ深く突き立てると、左右の岩壁から土と岩が崩れ落ち、俺を中心にいくつもの壁が生まれた。逃げ道を塞ぐだけではない。複雑に入り組んだ細い道が、一瞬で作られていく。
月の光が岩壁に遮られ、わずかに残った光まで地面をはう赤黒い闇がのみ込んだ。ルナの闇魔法だ。
「虫術《黒蝕幕》」
岩の壁へ、無数の黒い虫が張りつく。羽音が四方から反響し、足音も呼吸も聞き分けられない。クロウの気配が、完全に消える。
次に、青白い雷が岩壁を走った。
「雷剣《雷獄廻廊》!」
一本ではない。枝分かれした雷が迷路全体へ広がり、逃げ場を奪う。触れる直前に虫だけが飛び立ち、雷を避けていた。
最後に、頭上へ数十本の血の槍が浮かぶ。赤黒い炎をまとい、暗闇の中で不気味な光を放っている。
四人でなければ作れない。敵を閉じ込め、感覚を奪い、雷で動きを止め、血と炎で焼き貫く処刑場。滅びた未来でも、何度も魔族を葬った四人だけの戦闘陣形だった。
だが、まだ完成していない。
「アイゼン、三歩下がれ」
「何?」
直後、アイゼンが立つ場所の岩壁へ血の槍が突き刺さった。アイゼンは反射的に後ろへ退き、槍を避ける。
「クロウ、右の虫を上げろ。アイゼンの雷が届く」
クロウが反射的に虫を飛び立たせた。一瞬遅れて、先ほどまで虫がいた場所を雷が走る。
「ガルム、次の壁は低くしろ。ルナから俺が見えていない」
ガルムも無意識に魔力を止め、生まれかけていた岩壁が途中で崩れた。
四人の気配が揺れた。
「なぜ……」
ルナの声が、暗闇の向こうから聞こえた。
「なぜ、わらわたちの動きを知っておる」
知っている。かつて、この並びの中心に立っていたのは敵ではなく、俺だった。
ガルムが作る壁の高さも、アイゼンの雷が走る順番も、クロウが虫を逃がす方向も覚えている。ルナがどのすき間から敵を見ていたのかさえ、身体に染みついていた。だが、それを話すことはできない。
「四人を見ていれば分かる」
「一度見ただけで分かるものではない!」
「なら、まだ分かりやすいということだ」
「この……!」
アイゼンの雷が大きく膨れ上がる。
「待て、アイゼン!」
ルナが止めた時には、もう遅い。
青白い光が迷路全体を埋めた。俺は避けず、闘気を全身へ巡らせて雷を正面から受ける。
視界が白く染まった。筋肉が硬直し、焼けるような痛みが骨まで届く。
そこへ、ガルムが壁を突き破って現れた。
土と岩で覆われた大盾が、俺へ迫る。
盾を横へ構え、俺の身体ごと地面へ押し倒した。背中が岩へたたきつけられる。盾の縁から土が伸び、両腕と脚を地面へ固定していく。
「捕らえた」
「今だ!」
クロウの声。
黒い虫の群れが、俺とガルムを分けるように集まり、大盾を覆ってその姿を隠す。ガルムは虫の幕に紛れ、後方へ退いた。
入れ替わるように、赤黒い炎をまとった血の槍が降り注いだ。
「夜葬四重陣《緋月ノ棺》」
ルナの声が、暗闇へ響く。
一本目が腹を貫く。
二本目が右肩を砕く。
三本。
四本。
五本。
地面ごと身体を縫いつけられた。
最後に、すべてを覆う赤黒い炎が落ちてくる。
轟音が、谷を揺らした。
岩の迷路が砕け、爆ぜた石が夜空へ舞う。熱と衝撃が身体を押し潰し、周囲の音が遠くなった。
◇
「終わった、のか?」
アイゼンの声がする。
「近づくでない」
ルナが鋭く命じた。
「しかし、あれだけまともに受ければ――」
「あの者は、わらわの血術さえ覆した。姿を確かめるまで気を抜くでない」
崩れた岩の下で、身体の状態を確かめる。
右肩の骨は砕け、腹には血の槍が残っている。背骨にもひびが入り、全身の皮膚が焼けていた。雷と毒のしびれも消えていない。
だが、まだ動ける。この半年で焼かれ、しびれ、毒を受け、砕かれた回数は一度や二度ではない。《超再生》でどこから直せば最も早く動けるのか、身体が覚えている。
まず背骨。次に右肩。腹へ刺さった血の槍を押し出し、裂けた内臓を再生する。最後に、全身の火傷。
身体を覆っていた岩へ左手を当て、押す。積み重なった岩が、わずかに持ち上がった。
「下がれ!」
クロウが叫んだ。
さらに力を込めると、岩が内側から弾け飛んだ。舞い上がった土煙の中で、俺は立ち上がる。焼け焦げ、裂けた服の下では、新しい皮膚がすでに身体を覆っていた。
四人は、誰も動かなかった。アイゼンの顔から怒りが消えている。ガルムは大盾を構えていたが、その上端がわずかに下がっていた。クロウの周囲では、集まっていた虫たちが落ち着きなく飛び回っている。ルナだけは杖を向けたまま、俺の再生を見つめていた。
「化け物め」
アイゼンがつぶやく。
「お前に言われたくはない」
「俺はヴァンパイアだ!」
「知っている」
「なら、なぜ言い返す!」
「ヴァンパイアに化け物と言われるのは、少し納得できない」
「今は種族の話をしているのではない!」
「アイゼン」
クロウが名を呼ぶ。
「何だ!」
「言い争っている場合ではございません」
「分かっている!」
分かっている者の声ではなかった。
ルナが小さく息を吐く。だが、その赤い瞳は笑っていなかった。
砕けた迷路と、再生を終えた俺の身体を見比べている。そこには、自分たちの奥義を耐え切られた驚きとは別の問いが浮かんでいた。




