第84話 夜の四人を迎えに
セルジュ視点
聞き間違いであってほしかった。
「ヴァンパイアは、夜になると昼の三倍から五倍まで強くなる。個体と血の濃さ、月の状態で差はあるが、ルナたちも例外ではない」
「では、昼のうちにお会いになるべきでは?」
「駄目だ」
「なぜでございますか?」
「弱っている四人に勝っても、あいつらは俺の力を認めない」
「命の懸かった戦いに、相手の納得まで必要なのでしょうか?」
「俺が必要としているのは、夜の四人だ」
当然のように言い切られた。半年前から、このお方が何を考えているのか少しは分かるようになったつもりでいた。思い上がりだったらしい。
「グレイグ殿たちを、お連れになりますか?」
「連れていかない。今のあいつらでは、四人との戦いに巻き込まれれば死ぬ」
半年前とは比べものにならないほど強くなった八人でさえ、足手まといになる。それほどの者たちを、アレス様は一人で迎えに行こうとしている。
「私も、反対です」
ニーナ様が、アレス様の正面に立った。
「一人で夜のヴァンパイア四名と戦うなど、危険すぎます」
「分かっている」
「でしたら――」
「だから半年、鍛えた」
ニーナ様が言葉を詰まらせる。
「私も、お供することはできませんか。火魔法も、以前より使えるようになりました」
「今のお前を連れていけば、死ぬ」
厳しい言葉だった。それでも、ニーナ様はうつむかなかった。
「……それほど、危険なのですね」
「ああ」
ニーナ様は、悔しそうに両手を握りしめた。
「分かりました。お供するとは申しません。ですが、必ずお戻りください」
「明日は、戻ってくる者が四人増える。食事の用意をして待っててくれ」
それは、自分だけでなく、四人全員を連れて戻るという約束だった。
ニーナ様はしばらくアレス様を見つめ、ようやく表情を和らげた。
「かしこまりました。五人分、腕によりをかけてご用意いたします」
「セルジュ」
「はい」
「谷までの道、水を得られる場所、確認されている魔物、山の天候を一冊にまとめろ」
「すでに、半分まで整えてございます。今夜中に完成させます」
「食料と灯りも頼む。ティアナの薬も入れろ」
「承知いたしました」
「それから、宿舎に寝床を四つ用意しておけ。一つは大きく、頑丈に作らせろ」
「お一人、ずいぶんと大柄なのでございますか?」
「ガルムだ。普通のベッドなら、寝返りを打っただけで壊してしまいかねない」
「ゲオルグ殿に伝えておきます」
「大盾を置ける場所も作れ」
「大盾?」
「あいつは、ルナたちを守る盾だ。武器は持たない。使うのは大盾だけだ」
「盾だけで、アレス様が半年鍛えなければ勝てないほどお強いのですか?」
「夜のガルムを正面から退かせるのは、下手な城門を破るより難しい」
ちょうど店へ入ってきたゲオルグ殿が、その言葉を聞いて足を止めた。
「坊ちゃん。ベッドは、どのくらい頑丈に?」
「俺を乗せても壊れないくらいだ」
「坊ちゃん一人なら、普通のベッドでも壊れませんが」
「俺が上で訓練しても、だ」
「ベッドの上で何をなさるおつもりで?」
「強度の話だ」
ゲオルグ殿はしばらく考え、重々しくうなずいた。
「床から補強します」
「頼む」
「客室を一つ直すだけで、また建築が始まりそうですな」
「世界中に建てるのだろう?」
「はいはい。まずはベッド一つから始めますよ」
半年前なら、世界中という言葉にあ然としていただろう。今のゲオルグ殿は、困った顔をしながらも、どの木材を使うか考え始めている。
「四人分の食器と着替えも用意いたします。血は、魔物のものでよろしいのですね?」
「ああ。普通の料理も多めに用意しろ。四人とも、よく食う」
「ニーナ様。明日の献立は増やした方がよろしいようです」
「はい。ですが、アレス様のお食事も減らせません」
「十分な食材を仕入れます」
「ガルム様は、どのくらい召し上がるのでしょう?」
「俺よりも食う」
ニーナ様と私は、同時に黙った。
「台所のかまどを、一つ増やしておきましょう」
「そうしていただけると助かります」
四人を迎えるため、宿舎全体が動き始めた。まだ誰も顔を知らない。人ではなく、ヴァンパイアだという。素直に仲間となるつもりもなく、アレス様と命懸けで戦う可能性さえある。それでも私は、四人がここへ来ることを疑わなかった。アレス様が、連れて帰ると断言されたからだ。
◇
翌朝。
夜明け前の宿舎には、すでに明かりが灯っていた。食堂の長テーブルには、干し肉、固焼きのパン、水袋、灯りの油、火口箱、毛布、縄、簡単な調理器具を並べてある。その隣には、北部山岳地帯の地図と報告書を一冊にまとめて置いた。
アレス様が、長テーブルを埋めた品々を見てまゆを寄せる。
「多すぎる」
「山中で何が起きるか分かりません。必要になる可能性がある物は、すべてお持ちいただくべきかと」
「マジックバッグには入る。だが、俺一人で使う量ではない」
「アレス様お一人の分ではございません。お迎えになる四名の分も含めてございます」
「……そうか」
「はい。五名全員で戻られるための備えでございます」
私が言い切ると、横からニーナ様がさらに大きな包みを差し出した。
「こちらは、道中のお食事です。朝と昼、それから念のため夜の分も入れてあります」
「セルジュの用意した食料がある」
「あちらは日持ちを優先した保存食です。こちらは今日中にお召し上がりください」
「同じ食料だろう」
「違います」
即答だった。
「違うのか?」
「はい。保存食は万一のために残し、こちらを先にお召し上がりください」
「そうか。なら、ありがたく受け取る」
包みから漂う焼いた肉と香草の匂いに、保存食とは別物だと納得されたらしい。まだ温かい。私たちよりも早く起きて作ったのだろう。アレス様がうれしそうに受け取り、腰のマジックバッグへ収めると、ニーナ様の表情も柔らかくなった。
「身体に必要な分は、十分に入れております」
「助かる。必ず食べる」
「四名にも、分けて差し上げてください」
「ああ、ありがとうニーナ」
壁際には、グレイグ殿たち全員が並んでいる。
「主様」
グレイグ殿が、低い声で呼んだ。
「本当に、俺たちは必要ないのですか?」
「必要ないのではない。連れていけない」
グレイグ殿の右手が、腰に差した剣の柄に触れる。
「今のお前たちが戦いに加われば、俺は自分だけでなく、お前たちまで守らなければならなくなる」
「足手まといになる、ということですか」
「そうだ」
はっきりしない言葉で慰める必要はない。グレイグ殿も、それを求める男ではなかった。
「承知しました。ならば、今度は連れていけると思わせるところまで全員を鍛えておきます」
「そうしろ」
「ですが、一つだけ約束してください。必ず戻ってきてください。俺たちは、主様に使い潰されない部隊を作ると決めました。肝心の主が、自分だけを使い潰すことも認められません」
「俺は死なない」
「存じています。ですが、戻るという返事をお聞かせください」
アレス様は少しだけ黙り、グレイグ殿の目を見た。
「必ず、四人を連れて戻る」
「承知しました、主様」
グレイグ殿が胸に右手を当て、深く頭を下げた。
ティアナ殿が傷薬、解毒薬、熱冷まし、止血用の布を入れた革袋を渡すと、アレス様はそれも腰のマジックバッグへ収めた。フェル殿は森の縁に翠羽鳥を待機させ、戻りを知らせる準備を整えていた。ゲオルグ殿は大きなベッドの補強を終え、ロイド殿は四人分の着替えと生活用品を用意している。ベッツ殿たち七人も、何もできないことを悔しがりながら、自分たちにできる仕事に戻ろうとしていた。
半年前なら、戦うことも、そこへ至る準備も、アレス様一人が担っていた。今は、戦いに同行できなくとも、道を調べる者がいる。食事と薬を用意する者がいる。帰りを待ち、迎える場所を整える者がいる。アレス様が作ろうとしている組織は、まだ小さい。それでも、もう一人ではなかった。
すべての支度を終えたアレス様が、腰のマジックバッグを確かめ、宿舎の門へ向かう。
「アレス様」
私は最後に声をかけた。
「四名分の寝床と食器は、すべて整えておきます。戻られたその日から、温かな食事を召し上がっていただけます」
「頼む」
「正式に配下となられなかった場合は?」
「なる」
「まだ、お会いにもなっておりませんが」
「そのために行く」
「断られた場合は?」
「認めるまで説得する」
「力で?」
「必要ならな」
恐ろしい話のはずなのに、なぜか笑いがこみ上げた。アレス様なら、本当に四人を連れて戻る。当然の顔で宿舎の門を潜り、四人のヴァンパイアに、今日からここで働けと命じるのだろう。
「いってらっしゃいませ、アレス様」
ニーナ様が深く頭を下げる。
「いってらっしゃいませ、主様!」
グレイグ殿たちの声が重なった。
アレス様は一度だけ右手を上げ、夜明け前の領都を北へ歩き始めた。小さな背中が、通りの向こうへ消えていく。
私は食堂へ戻り、帳簿の新しいページを開いた。北部山岳地帯へ向かうための食料、灯り、薬。四人分のベッド、毛布、食器、着替え。大柄な一人のために床から補強した客室。使った金を、一つずつ記す。
用途の欄へ、文字を書いた。新たな仲間を迎えるため。
半年かけて蓄えた金が、帰る場所へ変わる。半年かけて伸ばした情報の根が、アレス様の求める四人へ届いた。ならば次は、その四人がここから世界へ伸びる新たな根となる番だ。
「必ず、お戻りください」
誰もいなくなった扉へ向け、静かにつぶやく。そして私は、アレス様が四人を連れて帰った瞬間から書き始められるよう、帳簿の次の四ページを空けた。
その空白が新たな仲間の記録へ変わるかどうかは、今夜、北の谷で決まる。




