↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者:
第七章 かつての戦友編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/87

第80話 帳簿では表せない価値

「なぜ、こちらへ!」


 避けようとした足が縄へ絡む。身体が見事なほど動かず、私はその場へ尻餅をついた。


 火弾が目の前で消える。


 アレス様が、いつの間にか私の前へ立っていた。炎を右手でつかみ、そのまま握り潰したらしい。手のひらには火傷一つない。


「セルジュ」


「はい」


「的になる訓練は命じていない」


「私も、自主的に行った覚えはございません」


「縄へ足を入れるな」


「次からは気をつけます」


「セルジュさん、申し訳ございません!」


 ニーナ様が青ざめて駆け寄ろうとする。


「止まれ。まだ集中を切らすな」


 アレス様の声で、ニーナ様はその場へ踏み止まった。赤い光が、再び指先へ集まっていく。


「今の一発が外れた原因は?」


 ニーナ様は私を心配そうに見ながらも、呼吸を整えた。


「土板の動きを追いすぎて、放つ直前に魔力の形を崩しました」


「そうだ。相手を追うな。進む先へ置け。もう一度だ」


「はい」


 私は立ち上がり、今度こそ縄を足元から遠ざけた。


「セルジュさん。念のため、もう少し後ろへ……」


「喜んで」


 五歩どころか十歩下がる。ベッツ殿たちから笑われたが、命を守るための正しい判断である。


 ニーナ様が、再び魔力を五つへ分けた。今度の炎は先ほどより細い。揺れる土板の動きを見つめ、深く息を吸う。


「《火矢》」


 五本の炎が、細い矢となって同時に放たれた。土板が揺れる。炎の矢は、今ある場所ではなく、次に板が来る場所へ走った。五枚の中央をほとんど同時に貫き、背後の土壁へ突き刺さる。


 燃え広がらない。役目を終えた炎は、アレス様に教えられたとおり、その場で小さな火の粉へ変わって消えた。


「できた……」


 ニーナ様が、自分の両手を見つめる。


「喜ぶのは早い。まだ一枚残っている」


「え?」


 六枚目の土板は、ほかの五枚よりはるかに高い位置で揺れていた。


「あれも、でしょうか?」


「敵が五体で止まる保証はない」


「はい」


 ニーナ様は疲れを見せながらも、もう一度魔力を練った。今度は一つだけ。先ほどより小さく、細く、強く圧縮していく。


「《火矢》!」


 炎が、赤い線となって空へ伸びた。揺れていた六枚目の中央を射抜き、土板だけを砕く。つるしていた縄には火が移っていない。


 ニーナ様の顔が明るくなった。


「十の魔力のうち、七は火へ変えられるようになった」


 アレス様が告げる。


「半年前の三倍近い。一つの炎を出すことしかできなかったお前が、今は五つへ分け、動く的へ当て、消すところまで制御できている」


「はい……!」


「低位の魔物が一体なら、自分で追い払える。火を怖がる魔物から、誰かを守ることもできる」


 ニーナ様のこはく色の瞳へ、涙が浮かんだ。半年間、走る訓練だけではない。夕食の支度を終えた後も、眠る時間を削らぬ範囲で魔力を練り続けてきた。その努力を最も近くで見ていたアレス様から、初めて明確に成長を認められたのだ。


「ですが、戦いの最中に一度失敗すれば、セルジュへ当てる」


「なぜ私を基準になさるのです?」


「ちょうど後ろにいた」


「私も、次からは戦場よりはるか後方にいることを徹底いたします」


 皆が笑う。ニーナ様まで、涙を拭いながら笑っていた。


 笑いが落ち着いたところで、アレス様はニーナ様へ向き直る。


「これで終わりではない。次は走りながら撃て。撃った後に動けなくなる者を、戦場へは連れていけない」


「はい。必ず、アレス様のお傍で戦えるところまで強くなります」


「なら、食事も増やせ」


「それは……努力いたします」


「返事が弱い」


「喜んで、たくさんいただきます!」


 今度こそ、大きな声が石切り場へ響いた。



 訓練を終えて宿舎へ戻ると、門の前へ冒険者ギルドの荷車が二台止まっていた。


 荷台には大きな魔石、黒い毛皮、一本だけで私の腕ほどもある牙が積まれている。昨日、アレス様が退治したBランクの魔物《黒鎧虎》の素材だった。鎧のように硬い黒い毛皮と、長い牙を持つ虎型の魔物だ。


 解体場の職員が、私を見つけるなり頭を下げる。


「セルジュさん。品の価値を調べ終えましたので、お持ちしました」


「ロイド殿の倉へお願いいたします」


「それが、もう入らないと言われまして……」


 荷車の向こうから、ロイド殿が疲れた顔を出した。


「先週、ゲオルグに棚を増やしてもらったばかりです。アレス様が三日前に持ち込まれた甲殻も、まだ半分しか売れておりません」


「では、第二倉庫へ」


「そちらはティアナさんの薬草と、フェルの鳥の餌で埋まりました」


「第三倉庫は?」


「まだ建てている途中です」


 全員の視線が、アレス様へ集まった。


「昨日は、一頭しか持ち帰っていない」


「Bランクの魔物は、一頭で倉庫の一角を埋めるのでございます」


「傷をつけずに倒した。高く売れる」


「それは大変ありがたいのですが、売れるまで置く場所が必要です」


 アレス様は少し考え、ゲオルグ殿を見る。


「第三倉庫を早く完成させろ」


「坊ちゃん。人手が足りません」


「増やせ」


「金は?」


「セルジュ」


 今度は私へ視線が向いた。


「ございます」


 答えるしかなかった。


「第三倉庫を予定より大きくし、必要な職人を雇います」


「頼む」


「ですが、アレス様」


「何だ?」


「完成までの三日間だけは、魔物を丸ごと持ち帰るのをお控えいただけませんか」


「依頼次第だ」


「二日では?」


「約束はできない」


「では、せめて一日」


「努力する」


 以前の私なら、大金を生む素材が入り切らないなど、夢のような悩みだと思っただろう。今は、切実な問題である。


 ベッツ殿が、荷車いっぱいの素材を見上げた。


「大将が稼ぐのと、俺たちが倉を建てるの、どっちが早いんですかね」


「比べるまでもない」


 ゲオルグ殿が即答する。


「坊ちゃんが魔の森へ入るたび、こっちは負ける」


「なら、世界中へ倉を建てろ」


「本当に建てることになりそうですな……」


 笑いながらも、ゲオルグ殿はすでに新しい倉の大きさを考え始めていた。


 半年で変わったのは、私たちの身体だけではない。


 古びた宿舎は人の笑い声が絶えない家となり、潰れかけていた武器屋には品物があふれ、病に伏していた少女の薬を求めて冒険者が列を作る。腕を失っていた獣人の少年が育てた鳥は、領都の空を飛び始めた。身体を動かせなかった男は、八人の戦う者を率いている。


 そして三人を迎える金さえ足りなかった私たちの前へ、今は置き場所に困るほどの富が集まっていた。


 だが、本当の変化は、荷車に積まれた素材だけでは分からない。


「アレス様。後ほど、お時間を頂けますか」


「帳簿か?」


「はい。この半年で得た金、使った金、雇った者、作った物、集まった情報。すべてお見せいたします」


「分かった」


 私は宿舎の奥にある記録の部屋へ目を向けた。硬貨は数えられる。品物も、建物も、人の数も記録できる。


 だが、アレス様がこの半年で再生させたものの価値を、いったいどのような数字で表せばよいのだろう。


 私は分厚くなった帳簿の表紙へ手を置いた。


 その答えは帳簿の中ではなく、店の扉をくぐる者たちの未来にしか記されないのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。