第79話 八人で挑む
「グレイグ」
「ここに、主様」
「模擬武器を持たせろ。お前を含めた八人で俺を攻めろ」
空気が変わった。
グレイグ殿が木の槍を手に取り、ベッツ殿たちへ目を向ける。半年間、ただ身体を鍛えていただけではない。アレス様が来られない日には、グレイグ殿が足運び、合図、互いの間合いを教えていた。武器こそ十分には振らせなかったが、複数人で動くための土台は作られている。
「主様。八人全員でよろしいのだな?」
「そう言った」
「けがをさせても?」
「できるものならな」
ベッツ殿の口元が引きつった。
「グレイグ教官。その聞き方は、俺たちまで死ぬ気で向かう流れになるんじゃ……」
「安心しろ。殺されはせん」
「俺が心配したのは、アレス様ではなく自分たちの方です」
「分かっているなら、構えろ」
八人がアレス様を囲んだ。グレイグ殿が正面で木の槍を構える。ベッツ殿とドラン殿が左右へ分かれ、ミラ殿とラグ殿はさらに外側へ回る。マーク殿、ノル殿、ハイム殿も、逃げ道を塞ぐように位置を取った。
半年前の彼らなら、我先にと飛びかかっていただろう。今は誰一人として動かない。中央に立つアレス様の呼吸と視線を読み、最も有利な瞬間を待っている。
「始めろ」
最初に動いたのはグレイグ殿だった。木の槍が真っすぐ胸元へ突き出される。しかし、それは本命ではない。アレス様が半歩横へ動いた瞬間、ドラン殿の木剣が足元をなぎ、ベッツ殿が逆側から肩を狙った。
さらに、後方へ回ったラグ殿が細い縄を投げる。アレス様が避ければ、その先にはミラ殿の模擬短剣が待っていた。
見事な動きだった。少なくとも私には、どこへ逃げても誰かの攻撃が届くように見えた。
アレス様は、グレイグ殿の木の槍へ右手を添えた。力で止めるのではない。穂先が進む方向をわずかにずらし、そのままベッツ殿の木剣へぶつける。
「なっ!」
二つの模擬武器が弾かれた。そこへドラン殿が踏み込むが、アレス様は身を沈め、木剣の下を潜り抜ける。ラグ殿の縄が迫った瞬間には、ドラン殿の背後へ回っていた。
「止めろ!」
グレイグ殿の命令で、ラグ殿が縄を引く。半年前なら、そのまま仲間まで縛っていただろう。今は違う。縄が空中で止まり、左右からマーク殿とノル殿が同時に迫る。
アレス様が初めて、二歩下がった。八人の顔へ喜びが浮かぶ。
「喜ぶのは早い」
姿が消えた。
「上だ!」
フェル殿の声に、全員が顔を上げる。アレス様はドラン殿の肩へ片足を置き、そこからさらに跳んでいた。空中で身体を捻り、八人の輪の外へ降りる。
グレイグ殿だけが、その場所を読んでいた。着地と同時に木の槍を短く持ち替え、アレス様の胸元へ突き出す。
穂先が、訓練着へ触れた。
「入った!」
ベッツ殿が叫んだ。
だが、布がわずかに沈んだところで木の槍は止まっている。アレス様の左手が柄をつかみ、右拳がグレイグ殿の胸元へ添えられていた。
「悪くない」
その一言と同時に、グレイグ殿の大柄な身体が宙へ浮いた。投げられた先はベッツ殿たちではない。柔らかな土の上へ背中から落とされる。
そこからは、早かった。
ベッツ殿の足を払い、ミラ殿の手首を返して短剣を落とす。マーク殿とノル殿の間をすり抜け、二人の背を押して衝突させる。ドラン殿の木剣は二本の指で挟まれ、ラグ殿は自分の縄で足を取られた。ハイム殿が最後まで粘ったが、気づいた時には首筋へ二本の指を当てられていた。
「終わりだ」
始まってから、五十を数えるほど。半年前なら十にも届かなかっただろう。今は八人が役割を守り、アレス様を二歩退かせ、グレイグ殿の木の槍は服へ触れた。
倒れた者たちは荒い息を繰り返しながらも、誰一人として悔しそうな顔をしていない。
「半年前とは別人だ。連携も悪くない」
地面へ転がったまま、ベッツ殿たちの顔が明るくなる。
「では、基礎は合格ということで?」
「最低限はな」
「やった……!」
「明日から、武器を使った訓練へ移る」
歓声が上がった。半年間、何度地面へ倒れても続けてきたのだ。喜ぶのも当然だった。
「ただし、基礎訓練を止めるとは言っていない」
歓声が消えた。
「走り込みも石運びも今日までと同じだ。その後に武器を加える」
「増えるんですかい?」
「強くなるのだろう?」
「はい……」
「返事が小さい」
「喜んで鍛えさせていただきます、大将!」
七人の声が、石切り場へ響いた。
「グレイグ。武器の訓練はお前が中心になって見ろ。ベッツたちを、どの商隊へ出しても全員で生きて戻れる護衛にしろ」
「承知した、主様」
「フェルも加われ。ただし、同じ戦い方をする必要はない。先に敵を見つけ、仲間へ知らせ、必要なら戦わずに戻る技術を覚えろ」
「はい、アレス様」
「ティアナは引き続き全員の身体を見ろ。薬師が、護衛より先に倒れることも許さん。自分の訓練も続けろ」
「はい」
最後に、アレス様の目が私へ向いた。
「セルジュ」
「私は、商隊の護衛に加わる予定はございませんが」
「まだ何も言っていない」
「半年のお付き合いで、先に申し上げた方がよいことも分かるようになりました」
「安心しろ。お前に武器を持たせるつもりはない」
胸をなで下ろす。
「明日から、逃げる訓練を倍にする」
「安心とは、何でございましたかな」
周囲から笑いが起きた。
「戦える者を置いて、お前を捕まえようとする敵もいる。情報を持ち帰る者は、誰よりもしぶとく生き残れ」
「かしこまりました。この組織で一番の逃げ足を手に入れてみせます」
「目標が低い。王国一を目指せ」
「商会の責任者へ、ずいぶんと不名誉な一番を求められますな」
「生きて帰れば、それでいい」
笑い事ではない。
アレス様は、戦わない私にも役目を与える。強い者だけを必要としているのではない。人を鍛える教官、薬師、建築職人、商人、情報を集める者。そして今は遊び、学ぶことしかできない子供まで。
その者ができないことではなく、これからできることを見ている。だから私たちは、どれほど厳しく働かされても、この方についていこうと思えるのだ。
◇
八人の訓練試合が終わると、石切り場の奥へ六枚の小さな土板がつるされた。ひもの長さは一枚ずつ異なり、風を受けて不規則に揺れている。その正面へ、ニーナ様が立った。
「魔力を一つの塊にするな。五つへ分けろ」
「はい」
「火へ変えるのは、放つ直前だ。形を作るために燃やし続ければ、それだけ魔力を捨てることになる」
「はい、アレス様」
ニーナ様が胸の前で両手を重ねる。指の間へ五つの赤い光が生まれ、小さな炎へ変わった。
半年前、ニーナ様の火魔法は、かまどへ火をつけるだけでも大半の魔力を失っていた。十の魔力を使い、炎へ変えられるのは二か三。火は大きく揺れ、同じ形を保つことさえ難しかった。今、五つの炎はクルミほどの大きさへそろい、ニーナ様の周囲で静かに浮かんでいる。
「《火弾》」
五つの炎が飛んだ。
一つ目が左端の土板へ当たる。二つ目、三つ目も続き、赤い炎が土の表面だけを焼いた。四つ目は揺れる板を追うようにわずかに進む向きを変え、中央へ命中する。
最後の一つだけが、板の端をかすめて後方へ抜けた。
「あっ!」
火弾の先にいたのは、土板を揺らすための縄を引いていた私だった。




