第75話 命令は目的ではない
グレイグ視点
ベッツたち七人は、兵士として見れば未熟だった。力任せに動く者が多く、周囲と歩調を合わせることにも慣れていない。返事はするが、命令の意図を考えず、目の前の作業だけを終わらせようとする。戦場へ出せば、一人の失敗に仲間が巻き込まれるだろう。
だが、悪いところばかりではない。ベッツは自然と仲間の中心へ立ち、誰かが失敗すれば自分の責任として前へ出る。
ドランとマークは腕力があり、重い物を運ぶ時にも決して途中で放り出さない。ミラとラグは身軽で、高い場所や狭い場所でも怖がらず動ける。
ノルは体力こそないが、一度受けた指示を誰より忠実に守る。ハイムは口数が少ない代わりに周囲をよく見ており、誰かが道具を必要とする前に手渡していた。
鍛え方を間違えなければ、使える。何より、七人は互いを見捨てなかった。
「待て! その板は外すな!」
俺の声に、壁板へ手をかけていたドランが動きを止める。
「こいつも腐ってますぜ?」
「先に横の柱を支えろ。その板へ屋根の重みがかかっている」
「ですが、ゲオルグの親方からは、腐った板を全部外せと」
「全部外せと言われたから、目についたものから考えずに外すのか?」
ドランが言葉に詰まった。
「命令は目的ではない。この宿舎を、安全に使えるよう直すことが目的だ。板を外した結果、屋根を落とせば、命令どおりに動いたことにはならない」
「……すみません」
「謝る前に、周囲を見ろ。どこへ重みがかかっている?」
ドランだけでなく、近くにいた者たちも壁と屋根を見上げた。すぐにハイムが、板の上へ渡されたはりを指さす。
「あのはりです。横の柱へつながっています」
「そのとおりだ。マークは支えに使える材を持ってこい。ドランはゲオルグを呼べ。外し方は、建物を知る者に確認する」
「承知しました」
二人がすぐに動き出す。
「命令されたことでも、おかしいと思ったら勝手に止めていいんですかい?」
ベッツが俺に尋ねる。
「勝手に、ではない。分からなければ聞け。考えたうえで危険だと思ったなら、必ず声を上げろ」
「ですが、戦いの最中に一々聞いていたら、間に合わないでしょう」
「だから、普段から目的を理解しておく。戦いの最中に迷わず動けるまで訓練する。それでも指揮する者が間違えることはある」
かつての上官は、自分が間違えることなどないと思っていた。敵の数も、地形も、味方の疲労も見ず、ただ前へ出ろと命じた。
俺が反対すると、兵は命令へ従って死ぬのが役目だと言い放った。あの日、命令どおりに進めば、部下の多くは戻らなかった。だから俺は退かせた。結果として部下は生き残り、俺は軍を追われた。
後悔はしていない。
「お前たちを率いる俺が間違えた時は、遠慮なく言え。だが、自分が楽をしたいだけの言い訳なら認めん」
「俺たちが大将へ意見しても、いいんですかい?」
「主様は、考えずに従うだけの者を求めていない」
今朝、主様は俺へ、壊れる手前で止めろと命じた。苦しいだけなのか、続ければ怪我をするのかを見極めろと。ただ厳しくしろと言ったのではない。
鍛えることと、使い潰すことは違うと、十二歳の子供が当然のように口にした。王国軍にいたころ、その違いを理解している上官が、どれだけいただろう。
「大将なら、聞くでしょうな」
ベッツが頭をかきながら笑った。
「聞いたうえで、間違っていれば手加減なく言い返してきます。俺たちが何も考えていなければ、訓練が増えるか、仕事が増えるか、その両方でしょうが」
「それは、お前たちに考える習慣がないからだ」
「まったく、そのとおりで」
ベッツは苦笑した後、真剣な顔で俺を見る。
「ですが、ありがたい話です。俺たちは少し前まで、金さえもらえれば何をしてもいいと思っていました。命じられたとおりに動いただけだと言えば、自分のしたことから逃げられると思っていた」
「何をした?」
周囲にいた七人の動きが、一瞬止まった。
「俺たちは、人さらいを引き受けました」
ベッツは誤魔化さなかった。
「ニーナ様をさらえと、顔も知らない依頼人から金を受け取った。山菜採りで裏山へ来たところを襲い、眠らせて連れ去りました。ですが、引き渡す前に大将に見つかり、七人全員、手も足も出ずにたたきのめされました」
俺は思わず、遠くで子供たちと寝具を運んでいるニーナへ目を向けた。午後になって屋敷での仕事にひと区切りつけ、手伝いに来たらしい。朝の訓練にも加わっていた、おだやかな顔の少女だ。
「よく生きていたな」
「俺たちも、そう思います」
「主様が許したのか?」
「許されたとは思っていません」
ベッツは首を横へ振った。
「最初は、命令を出した者を探すために生かされただけだと思っていました。それでも大将は、俺たちへ食事と仕事を与え、働いた分は払うと言ってくださった。二度と同じことをしないよう鍛え、いつか人を守れる力に変えると」
「だから従っているのか?」
「最初は、怖かったからです」
正直な答えだった。
「今は違うのか?」
「今も怖いです」
周囲から、小さな笑いが漏れた。
「ですが、それだけじゃない。大将は、俺たちがしたことを忘れさせてはくれません。それでも、やり直す道は残してくださいました。胸を張って傭兵を名乗れるようになれと言われた時……俺たちにも、そんな未来があるのかと思いました」
ベッツの後ろで、六人が黙ってうなずいた。
俺たちは、違う理由で道を失った。ベッツたちは、自ら間違えて道を踏み外した。俺は正しいと思う道を選び、軍を追われ、その後に身体まで失った。
だが、主様はどちらも切り捨てなかった。過ちをなかったことにはしない。傷ついた過去も消さない。それでも、今から何をするかで、これからの生き方を変えさせる。
「ならば、言葉だけで終わらせてはいけないな」
「もちろんです」
「今日から、お前たちは俺が鍛える。訓練中は、仲間だからとかばい合うな。できていないことは、互いに指摘しろ。だが、苦しんでいる者を置いていくことも許さん」
「承知しました」
「返事だけなら誰にでもできる。まずは、この宿舎を日が暮れるまでに使えるようにするぞ」
「へい!」
「返事は?」
「承知しました、グレイグ教官!」
ベッツが言い直すと、残る六人も声をそろえた。
「承知しました、グレイグ教官!」
「誰が教官と呼べと言った?」
「いずれ、そうなるんでしょう?」
「好きにしろ。ただし、その名で呼ぶなら、朝の訓練で甘えは許さん」
「呼び方を変えても、許してはもらえませんよね?」
「よく分かっている」
「やはり、鬼が一人増えたようですな」
ベッツたちは笑いながら、それぞれの持ち場へ戻っていった。
悪くない。まだ傭兵とは呼べない。兵士としても、土台すらできていない。それでも、鍛えたいと思える者たちだった。
◇
日が沈むころには、宿舎の一階にある六部屋が使えるようになった。
屋根の大きな穴を塞ぎ、傷んだ窓には仮の板を打ちつけた。床と壁のほこりを払い、炊事場のかまども火を起こせるところまで掃除した。すべてを直すには何日もかかるが、少なくとも今夜、雨と風を避けて眠ることはできる。
セルジュは自分の店からベッドと椅子を運び、受け取った報酬で新しい毛布、食器、食料、灯りに使う油を買いそろえていた。荷車から次々と物が下ろされる様子を見たベッツたちは、立派な宿屋でも始めるのかと目を丸くした。
「すべて帳簿へ記しております」
誰も尋ねていないのに、セルジュは胸を張って言った。
「アレス様から、使った金は必ず残せと命じられておりますので」
「そこまで細かく言われたのか?」
「金の流れが分からない組織は、内側から腐ると」
「十二歳の子供が言う言葉ではないな」
「私も、時折アレス様のご年齢が分からなくなります」
セルジュが苦笑する。
俺も同じだった。今朝、初めて主様の訓練を受けた。幼い身体で大人たちの動きを見ながら、呼吸、歩幅、重心のわずかなずれまで見抜いていた。俺が右脚をかばって左へ重心を逃がしていることにも、一目で気づいた。戦場で長く人を見てきた者でも、あれほど正確に一人一人の限界を測ることは難しい。
世界中へ組織を根づかせると語った時も、主様は、王国、帝国、その先にある国々へ人と物をどう動かし、情報をどう集めるのかまで考えていた。まだ小さな武器屋一軒しかないというのに、すでにそこへ至る道筋を見ていたのだ。
あれは、いつか叶えばよい夢を語る者の目ではない。
ならば主様は、何を見て、何に備えようとしているのか。
その時の俺には到底理解などできるはずもなかった。
だが、主人様に生涯忠誠を誓うという想いは確かなものになっていた。




