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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者:
第六章 冒険者活動編

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第73話 情報という最大の武器

 誰も言葉を発しなかった。ベッツとドランは口を開けたまま固まり、ノルは話の大きさについていけず何度も瞬きをしている。ゲオルグは途中から数えることを諦め、頭を抱えていた。ティアナは、自分の作った薬が国境を越える姿を思い描いているのか、胸元で両手を握っている。


 セナたちだけは、世界中という言葉の意味がよく分かっていないらしい。ルゥが俺を見上げた。


「せかいって、ここよりひろい?」


「はるかに広い」


「いっぱい遊んでも、ぜんぶ行けない?」


「今のお前の足ではな。だから大きくなれ」


「はい!」


 素直な返事に、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。


「アレス様」


 セルジュが、圧倒されたように尋ねる。


「それほど多くの店と人を動かすには、とても多くの金が必要になります」


「分かっている。金は大切だ。働く者へ報酬を払い、物を仕入れ、店と倉を建てる。金がなければ何も続かない」


「では、まず金を集めることが目的でございますか?」


「違う」


 俺ははっきりと否定した。


「金以上に必要なものがある。情報だ」


 商売をすれば、人と物が集まる。どの村で作物が採れなくなったのか。どの道で商隊が消えたのか。どの町で薬が不足しているのか。どこで見慣れない魔物が現れ、誰が大量の武器を買い集めているのか。店へ出入りする客の話と、売れる物の変化だけでも、異変の兆しは見える。


 傭兵は、守った商隊から道の様子を聞ける。建築に携わる者は、町の壁や橋、井戸がどれほど傷んでいるかを知る。冒険者は、森と荒野の変化を誰より早く見つけられる。


 セルジュは人の流れを追い、フェルが育てる魔鳥は、遠くの知らせを運ぶ。すべての情報を一つへ集めれば、何かが起きてから動くのではなく、起きる前に備えられる。


「金は失っても、また稼げる。だが、知らなかったために失った命は戻らない」


 俺は全員を見回した。


「危機が起きてから知ったのでは遅い。誰よりも早く異変をつかみ、必要な物と人を、必要な場所へ動かす。そのために、世界中へ店を作る。人を置く。道を通す」


「情報が、最大の武器になる」


 滅びた未来で、俺はいつも遅すぎた。町が焼かれたと聞いて駆けつけた時には、生き残った者がいなかった。


 魔物があふれたと知って山を越えた時には、村はすでに食い尽くされていた。魔族の企みへ気づいた時には、いくつもの国が内側から崩されていた。


 俺一人にどれほどの力があっても、知らなければ動けない。たどり着くべき場所が分からなければ、救えない。


 しかも、今度の歴史が以前と同じように進む保証はなかった。俺が動けば、歴史は変わる。ニーナを救い、ベッツたちを配下にし、グレイグたちの未来を再生した。すでに、以前にはなかった道を歩き始めている。


 ならば、魔族も同じ手を使い続けるとは限らない。俺の知る未来だけを頼りにすれば、変わった先で必ず後手に回る。奴らの次の手を、今度こそ誰より早くつかまなければならない。だが、そのすべてを話すことはできない。


「俺が欲しいのは、金を集めるだけの商会でも、人を倒すだけの傭兵団でもない。遠くで起きた異変を知り、実際に人を守れる組織だ」


 過去のことも、これから起きることも伝えられない。それでも、何を作るべきかは伝えられる。


「お前たち一人一人が、俺の目となり、耳となり、手足となれ」


 誰も笑わなかった。十二歳の子供が、王国を越え、帝国を越え、世界中へ組織を広げると言っている。普通なら、幼い子供の夢物語だと笑われて当然だ。だが、ここにいる者たちは知っている。俺が、できないことをできるとは言わないことを。


「大将なら……」


 最初に口を開いたのはベッツだった。


「本当にやっちまいそうですな」


「やってしまうのではない。やる」


「そうでした」


 ベッツが苦笑し、姿勢を正した。


「俺たちみたいな小悪党が、世界の役に立てるかは分かりません。ですが、大将が鍛えてくださるなら、どこまでもついていきます」


「小悪党のままでいるつもりなら置いていく。胸を張って傭兵を名乗れるようになれ」


「承知しました、大将」


「私も、お供いたします」


 ティアナが続いた。


「アレス様に頂いた未来で薬を作り、その薬が遠くの誰かを救えるのなら、これ以上の生き方はありません」


「俺も行く」


 フェルの灰色の耳が、真っすぐ立っていた。


「魔獣を育てる。鳥に手紙を運ばせる。どこにいても、アレス様へ知らせられるようにする」


「まずは読み書きを覚えろ。手紙を運べても、書けなければ意味がない」


「……覚える」


「返事は?」


「はい!」


 ロイドは、自分の両手を見つめていた。


「両親から受け継いだ小さな武器屋が、世界へ続く最初の店になるのですね」


「お前が潰さなければな」


「必ず大きくしてみせます」


「建物がいくつ必要になるのか、想像もつきませんな」


 ゲオルグが困ったように笑う。


「だが、坊ちゃんが建てろとおっしゃるなら、俺は造ります。宿舎でも倉でも、国境を越える道でも」


「道は一人で造るものではない。お前も人を育てろ」


「承知しました」


 セルジュは、胸へ片手を当てた。


「昨日、いつかアレス様が大きなことを成される時、その助けとなるよう報酬を使うと誓いました。まさか、翌朝には世界中という言葉を伺うとは思いませんでしたが」


「遅い方がよかったか?」


「いいえ」


 セルジュは迷いなく首を横へ振った。


「私が歩むべき道を、これほど明確に示していただいたことはございません。人を売るためではなく、人に働く場所をつなぐために、これまでの知識と縁を使います。アレス様の組織が世界へ根を張るその日まで、必要な人と情報を集め続けます」


「働きに期待している」


「はい」


 最後に、グレイグが俺の前へ進み出た。


「主様。一つ、伺いたいことがあります」


「何だ?」


「世界中へ手を伸ばし、そのすべてを手に入れるおつもりですか?」


「違う」


 支配したいわけではない。王になりたいわけでも、国を奪いたいわけでもない。


「世界が失われないようにするためだ」


 グレイグは、しばらく俺の目を見つめていた。やがて右手を胸へ当て、深く頭を下げる。


「ならば俺は、主様の手が届くまでの道を守ります。商会の荷も、そこで働く者も、助けを待つ者も守れる傭兵団を作ります」


「作るだけでは足りない。世界のどこへ出しても生きて戻れる者たちにしろ」


「承知しました」


 グレイグが顔を上げた。その目にあるのは、昨日までのような恩への感謝だけではない。俺が見ている先を、自分も見届けようとする決意だった。隣を見ると、ニーナが柔らかく笑っていた。


「驚かないのか?」


「驚いております」


「そうは見えない」


「アレス様が皆様を救い、七日間で大金を稼ぎ、できないと言われたことを次々と成し遂げるところを見てまいりましたから」


 ニーナは、集まった者たちを見回す。


「アレス様なら、世界中へ本当に根を張ってしまわれるのでしょうね」


「当然だ」


「はい。私も、そのおつもりでお仕えいたします」


 今あるのは、領都の小さな武器屋が一軒。修理途中の旧石切り場と、これから直す古い宿舎。配下は大人と子供を合わせても、まだ十六人しかいない。


 世界から見れば、土の上へ落ちたばかりの小さな種にすぎない。


 だが、根は目に見えない場所で広がる。商売を通して人と物をつなぎ、道を造り、その道を守り、遠くの異変を知らせる。


 一本の根が隣の町へ届けば、そこからまた次の根を伸ばす。領地へ、王都へ、王国中へ。帝国を越え、やがて世界中へ。


 滅びた世界では、すべてが崩れた後、俺一人だけが残された。今度は、崩れる前につないでおく。俺がすべての場所へ間に合わなくても、俺の代わりに動く者がいるように。危機を誰より早く知り、一人でも多く守れるように。その最初の根が、この朝、確かに大地へ下りた。


 皆が新たな役目について話し始める中、俺はニーナを連れてその場を離れた。組織を作るための最初の人材はそろった。だが、まだ足りない。


「そろそろ、あいつらを迎えに行きたいな」


 思わず、声が漏れた。だが、今すぐ向かうわけにはいかない。


「今の俺では、まず勝てない。あと半年は、徹底的に鍛える必要があるか」


「ん? 何かおっしゃいましたか、アレス様?」


 隣を歩いていたニーナが、俺の顔をのぞき込んだ。


「いや、何でもない」


「そうですか?」


 ニーナは不思議そうに首を傾げながらも、それ以上は尋ねなかった。


 今はまだ、俺自身を鍛え、集まった者たちがそれぞれの役目を果たせるようにする時だ。そして昨日、《再生》で身体を取り戻した三人にも、今日から働いてもらう。


 傷を治すことは、救いの終わりではない。


 もう一度、自分の力で働き、生きていくための始まりだ。

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