第72話 世界へ伸ばす根
最後は、重さの違う石を抱えて坂を上らせる。グレイグには、ベッツたちの半分ほどの石を渡した。今の右脚と右腕には、それで十分に重い。
「軽くはありませんか?」
「一往復してから言え」
「承知しました」
一往復目を終えた時には、グレイグの額から汗が流れていた。二往復、三往復と重ねるたび、治った右脚が震え始める。それでも石を捨てず、決められた場所まで運び切った。
「終わりだ」
「まだできます」
倒れ込んだベッツたちの顔が、一斉に上がった。
「グレイグさん」
ラグが、ひどく真剣な声で呼びかける。
「ここでは『まだやれる』と言わない方がいいです」
「なぜだ?」
「本当に増やされるからです」
「できるのでしたら、増やしていただいて構いません」
「新入りが、言ってはいけない言葉を二つ続けて……」
ラグが絶望したようにつぶやいた。
「よし。グレイグは、石を一つ軽くして、もう二往復だ」
「承知しました、主様」
「ほかの者は、その場で身体を動かしながら待て」
ベッツたちが安心したように息を吐く。
「グレイグ一人を働かせて休むつもりか? 腕立てを続けろ」
安心は長く続かなかった。
「だから言ったでしょう……」
ラグが、誰にも届かないほど小さな声で嘆いた。グレイグは追加の二往復も、最後まで音を上げなかった。
だが、自分の訓練だけへ集中していたわけではない。途中でノルの呼吸が乱れれば、歩幅を小さくするよう声をかけた。ティアナがふらつけば、石を置かずに身体を支え、落ち着いて息を吐かせた。セルジュが回数を数えられなくなると、通り過ぎながら代わりに数えている。
「セルジュ、今ので八回だ」
「助かります、グレイグ殿」
「先ほども八回と申しておりましたよ」
「では、まだ八回だ」
「グレイグ殿まで、アレス様と同じことを……」
「数を飛ばしたお前が悪い」
厳しいが、周囲をよく見ている。自分が苦しい時にも、誰が遅れ、誰が無理をしているのかを見失わない。人を鍛え、率いる者に必要な目を持っていた。
朝日が森の向こうから姿を見せるころ、俺は訓練を終わらせた。立っているのは俺と、子供たちだけだ。ニーナを含め、残る全員が地面へ倒れている。
「新しく加わった三人も、初日にしては悪くない」
「主様。俺はまだ立てます」
グレイグが両手を地面へつき、震える脚で立ち上がろうとする。
「立つな。今は休むのも訓練だ」
「……承知しました」
すぐに指示へ従い、あお向けになる。やはり、意地だけで動く男ではない。
俺は一人ずつ身体の状態を確かめ、《再生》を流した。傷ついた筋肉を治し、腫れと熱を消し、次の負担に耐えられるようわずかに強く作り直す。グレイグの右腕と右脚、フェルの左腕は特に念入りに確認したが、異常はない。最後にセルジュを治すと、男は生き返ったように大きく息を吸った。
「毎朝、死と再生を経験している気分でございます」
「実際には死んでいない」
「そこだけが、私の心の支えでございます」
「全員、よく聞け」
起き上がった者たちが、こちらへ顔を向ける。
「今後、俺がここへ来られない日もある。その時はグレイグ、お前が全員の訓練を見ろ」
ベッツたちの表情が、わずかに明るくなった。俺がいなければ訓練が軽くなると考えたらしい。
「承知しました、主様。主様から示された内容は、一つも省かずやらせます」
明るさが消えた。
「勝手に量を増やす必要もない。俺が治せない日は、壊れる手前で必ず止めろ。苦しいだけなのか、続ければけがをするのかを見極めろ」
「承知しました。鍛えることと、使い潰すことは違います」
「そのとおりだ」
グレイグは一度の説明で、俺が求めていることを理解した。
「皆も聞いたな。俺がいない日は、グレイグの指示に従え」
「承知しました、大将」
返事はそろっていたが、誰一人としてうれしそうではなかった。
「安心しろ。主様がおられないからといって、楽をさせるつもりはない」
「そこを安心しろと言う方が二人になっちまった……」
ベッツの言葉に、配下たちが深くうなずいた。
◇
「アレス様。一つ、ご提案がございます」
訓練を終え、それぞれが朝食へ向かおうとした時、セルジュが俺を呼び止めた。
「何だ?」
「新たに加わった皆様と、フェル殿が守ってこられた子供たちの住まいについてです。領都の南門近くに、私が所有している古い宿舎がございます」
「宿舎?」
「以前、商隊の護衛や荷運び人を泊めるために使われていた建物です。長く使っておらず、決してきれいとは申せません。屋根にも数か所、傷みがございます。ただ、井戸と炊事場があり、中庭と小さな倉もございます。詰めれば二十名ほどまで暮らせるかと」
セルジュは昨日受け取った報酬の袋へ手を添えた。
「頂いた報酬の一部で、寝具と生活に必要な物をそろえ、修理したいと考えております。まずは仲間のために使うと誓いましたので」
「よい使い道だ。だが、お前一人がすべての金を出す必要はない。必要な費用を出し、帳簿へ残せ。働いた者にも報酬を払う」
「かしこまりました」
「ゲオルグ。見られるか?」
「場所を教えてもらえれば、すぐにでも」
セルジュから建物の位置と造りを聞いたゲオルグは、頭の中で修理の手順を組み始めた。
「柱と土台が腐っていなければ使えます。屋根、壁、窓、炊事場の順で直しましょう。寝る場所だけなら、三日もあれば何とかします」
「人手は?」
「そこに、元気な若い衆が七人おります」
ベッツたちが、一斉に目を逸らした。
「俺たち、ついさっきまで倒れてたんですが……」
「治した」
「そうでした」
「自分たちが使う場所でもある。丁寧に働け」
ベッツは古い宿舎の姿を想像したのか、先ほどまでより真面目な顔でうなずいた。
「分かりました、大将。自分たちの家になるなら、手は抜きません」
「宿舎ではなく、俺たちの最初の拠点にする。暮らすだけではない。人が集まり、仕事を決め、物と情報を一度集める場所だ。空いている部屋は、学ぶ場所にも使う」
「学ぶ場所、ですか?」
ティアナが尋ねた。
「セナたちへ、文字と計算を教えると約束した」
「それでしたら、私にお任せいただけませんか」
申し出たのはロイドだった。
「武器屋のお前が教えられるのか?」
「店を営む者が、文字も勘定もできなくては商売になりません。父から帳簿のつけ方まで教わっています。店を開ける前か、閉めた後でよろしければ、読み書きと簡単な計算を教えられます」
「では、任せる。必要な紙と筆記具は、こちらで用意する」
「ありがとうございます!」
セナの灰色の耳がぴんと立った。
「私たちも、字を覚えていいのですか?」
「当然だ。学べる時に学べ。お前たちが将来、何を選ぶにしても役に立つ」
「はい!」
「ついでに、ここにいる者で文字と計算が十分にできない者も、ロイドから学べ」
ベッツたち七人のうち、何人かが静かに視線を逸らした。
「ラグ」
「はい、坊ちゃん」
「読めるのか?」
「酒場の看板と、硬貨の数なら」
「教わる側だ」
「朝の訓練の後に、勉強まで……」
「人の話、物の数、場所の名。見聞きした情報を正しく残せなければ、お前たちはいつまでも使い走りのままだ」
「立派な使い走りになるために、頑張ります」
「目指すところが低い。もっと働かせる」
「やはり、口にしなければよかった……」
子供たちは学べることへ目を輝かせ、大人たちは新たな訓練が増えたような顔をしている。だが、誰からも反対は出なかった。
「ちょうどいい。今後の方針を、全員へ伝えておく」
俺はその場にいる者たちを見回した。昨日まで、互いの名すら知らなかった者もいる。武器屋、大工、奴隷商、元小悪党、元兵士、薬師、獣人の少年。そして、行き場を失っていた子供たち。今は、寄せ集めにしか見えない。
だが、それぞれが持つ力をつなげれば、俺一人では決して作れないものを作れる。
「俺たちは、今後四つの働きへ分かれる」
俺は指を一本立てた。
「一つ目は商会だ。ロイドを中心に武器や防具、薬、食料、生活用品を扱う。必要な物を集め、売り、運び、常に一定量を蓄える。セルジュは商売に必要な人と情報を集めろ。ティアナが作る薬も、品質が整い次第、商会で扱う」
「承知しました」
ロイドとセルジュが頭を下げ、ティアナも強くうなずいた。
「二つ目は、報酬を受けて人や荷物を守る兵の団体、傭兵団だ。グレイグが鍛え、ベッツたちを中心に組織する。最初の仕事は商会の荷と人を守ることだ。力がつけば、魔物の退治、村や町を守る仕事も引き受ける」
「承知しました、主様」
「三つ目は建築だ。ゲオルグを中心に、宿舎、店、倉、道を造る。商売を広げるにも、人を守るにも、物を置く場所と進める道が必要になる。いずれは領内の傷んだ道を直し、危険が起きた時に人が逃げ込める場所も造れ」
「坊ちゃん。ずいぶんと仕事が増えそうですな」
「働き手も増やす」
「なら、いくらでも造ってみせます」
「四つ目は冒険者のチームだ。当面は俺が一人で動く。魔の森で素材を集め、未知の場所を調べ、必要な依頼を受ける。お前たちの力がついた後は、適性のある者を加えて複数のチームを作る。フェルには、魔獣と魔鳥を育て、探索と連絡を助けてもらう」
「俺も、魔の森へ行く」
「今すぐではない。まず身体を作り、魔獣と信頼を結ぶ方法を身につけろ。準備のできていない者を危険な場所へ連れていくつもりはない」
「……分かった」
「四つは別々に動くが、目的は同じだ。商会が物と金を動かし、傭兵団が道を守る。建築部門が店と倉と道を造り、冒険者が素材と外の情報を持ち帰る。どれか一つだけでは広がらない。互いに支えろ」
全員が、黙って俺の言葉を聞いている。
「まずは、このアークハルト領で力をつける。領都の武器屋一軒から始め、扱う品と働く者を増やす。村や町へ物を届け、領内のどこで何が起きても、すぐに動けるようにする」
ここまでは、ロイドたちにも想像できる話だったのだろう。真剣な顔でうなずいている。
「次は、グランベル辺境伯領を含む近隣の領地へ店と拠点を作る」
何人かの目が大きくなった。
「その次は王都だ。王国中の主要な町へ、俺たちの店、人、倉を置く」
「王国中……」
ゲオルグがつぶやいた。頭の中で、必要になる建物の数を考え始めたらしい。
「そこで終わりではない。ヴァルガ帝国にも進出する」
「帝国にまでですか!?」
ロイドが初めて大きな声を上げた。隣国とは交易があるものの、国境では緊張が絶えない。男爵家の跡継ぎが、自分の組織を帝国へ広げると言えば驚くのも当然だ。
「敵になる可能性がある相手ほど、何をしているのか知らなければならない。帝国の先にも国はある。人が暮らし、道が続く限り、俺たちは進む」
俺は指先を、遠くへ向けた。
「世界中に、俺たちの組織を根づかせる」
だが、世界へ根を伸ばすために最も必要なのは、金でも兵の数でもない。
滅びた未来で、俺が何よりも欠いていたものだった。




