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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者:
第六章 冒険者活動編

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第72話 世界へ伸ばす根

 最後は、重さの違う石を抱えて坂を上らせる。グレイグには、ベッツたちの半分ほどの石を渡した。今の右脚と右腕には、それで十分に重い。


「軽くはありませんか?」


「一往復してから言え」


「承知しました」


 一往復目を終えた時には、グレイグの額から汗が流れていた。二往復、三往復と重ねるたび、治った右脚が震え始める。それでも石を捨てず、決められた場所まで運び切った。


「終わりだ」


「まだできます」


 倒れ込んだベッツたちの顔が、一斉に上がった。


「グレイグさん」


 ラグが、ひどく真剣な声で呼びかける。


「ここでは『まだやれる』と言わない方がいいです」


「なぜだ?」


「本当に増やされるからです」


「できるのでしたら、増やしていただいて構いません」


「新入りが、言ってはいけない言葉を二つ続けて……」


 ラグが絶望したようにつぶやいた。


「よし。グレイグは、石を一つ軽くして、もう二往復だ」


「承知しました、主様」


「ほかの者は、その場で身体を動かしながら待て」


 ベッツたちが安心したように息を吐く。


「グレイグ一人を働かせて休むつもりか? 腕立てを続けろ」


 安心は長く続かなかった。


「だから言ったでしょう……」


 ラグが、誰にも届かないほど小さな声で嘆いた。グレイグは追加の二往復も、最後まで音を上げなかった。


 だが、自分の訓練だけへ集中していたわけではない。途中でノルの呼吸が乱れれば、歩幅を小さくするよう声をかけた。ティアナがふらつけば、石を置かずに身体を支え、落ち着いて息を吐かせた。セルジュが回数を数えられなくなると、通り過ぎながら代わりに数えている。


「セルジュ、今ので八回だ」


「助かります、グレイグ殿」


「先ほども八回と申しておりましたよ」


「では、まだ八回だ」


「グレイグ殿まで、アレス様と同じことを……」


「数を飛ばしたお前が悪い」


 厳しいが、周囲をよく見ている。自分が苦しい時にも、誰が遅れ、誰が無理をしているのかを見失わない。人を鍛え、率いる者に必要な目を持っていた。


 朝日が森の向こうから姿を見せるころ、俺は訓練を終わらせた。立っているのは俺と、子供たちだけだ。ニーナを含め、残る全員が地面へ倒れている。


「新しく加わった三人も、初日にしては悪くない」


「主様。俺はまだ立てます」


 グレイグが両手を地面へつき、震える脚で立ち上がろうとする。


「立つな。今は休むのも訓練だ」


「……承知しました」


 すぐに指示へ従い、あお向けになる。やはり、意地だけで動く男ではない。


 俺は一人ずつ身体の状態を確かめ、《再生》を流した。傷ついた筋肉を治し、腫れと熱を消し、次の負担に耐えられるようわずかに強く作り直す。グレイグの右腕と右脚、フェルの左腕は特に念入りに確認したが、異常はない。最後にセルジュを治すと、男は生き返ったように大きく息を吸った。


「毎朝、死と再生を経験している気分でございます」


「実際には死んでいない」


「そこだけが、私の心の支えでございます」


「全員、よく聞け」


 起き上がった者たちが、こちらへ顔を向ける。


「今後、俺がここへ来られない日もある。その時はグレイグ、お前が全員の訓練を見ろ」


 ベッツたちの表情が、わずかに明るくなった。俺がいなければ訓練が軽くなると考えたらしい。


「承知しました、主様。主様から示された内容は、一つも省かずやらせます」


 明るさが消えた。


「勝手に量を増やす必要もない。俺が治せない日は、壊れる手前で必ず止めろ。苦しいだけなのか、続ければけがをするのかを見極めろ」


「承知しました。鍛えることと、使い潰すことは違います」


「そのとおりだ」


 グレイグは一度の説明で、俺が求めていることを理解した。


「皆も聞いたな。俺がいない日は、グレイグの指示に従え」


「承知しました、大将」


 返事はそろっていたが、誰一人としてうれしそうではなかった。


「安心しろ。主様がおられないからといって、楽をさせるつもりはない」


「そこを安心しろと言う方が二人になっちまった……」


 ベッツの言葉に、配下たちが深くうなずいた。



「アレス様。一つ、ご提案がございます」


 訓練を終え、それぞれが朝食へ向かおうとした時、セルジュが俺を呼び止めた。


「何だ?」


「新たに加わった皆様と、フェル殿が守ってこられた子供たちの住まいについてです。領都の南門近くに、私が所有している古い宿舎がございます」


「宿舎?」


「以前、商隊の護衛や荷運び人を泊めるために使われていた建物です。長く使っておらず、決してきれいとは申せません。屋根にも数か所、傷みがございます。ただ、井戸と炊事場があり、中庭と小さな倉もございます。詰めれば二十名ほどまで暮らせるかと」


 セルジュは昨日受け取った報酬の袋へ手を添えた。


「頂いた報酬の一部で、寝具と生活に必要な物をそろえ、修理したいと考えております。まずは仲間のために使うと誓いましたので」


「よい使い道だ。だが、お前一人がすべての金を出す必要はない。必要な費用を出し、帳簿へ残せ。働いた者にも報酬を払う」


「かしこまりました」


「ゲオルグ。見られるか?」


「場所を教えてもらえれば、すぐにでも」


 セルジュから建物の位置と造りを聞いたゲオルグは、頭の中で修理の手順を組み始めた。


「柱と土台が腐っていなければ使えます。屋根、壁、窓、炊事場の順で直しましょう。寝る場所だけなら、三日もあれば何とかします」


「人手は?」


「そこに、元気な若い衆が七人おります」


 ベッツたちが、一斉に目を逸らした。


「俺たち、ついさっきまで倒れてたんですが……」


「治した」


「そうでした」


「自分たちが使う場所でもある。丁寧に働け」


 ベッツは古い宿舎の姿を想像したのか、先ほどまでより真面目な顔でうなずいた。


「分かりました、大将。自分たちの家になるなら、手は抜きません」


「宿舎ではなく、俺たちの最初の拠点にする。暮らすだけではない。人が集まり、仕事を決め、物と情報を一度集める場所だ。空いている部屋は、学ぶ場所にも使う」


「学ぶ場所、ですか?」


 ティアナが尋ねた。


「セナたちへ、文字と計算を教えると約束した」


「それでしたら、私にお任せいただけませんか」


 申し出たのはロイドだった。


「武器屋のお前が教えられるのか?」


「店を営む者が、文字も勘定もできなくては商売になりません。父から帳簿のつけ方まで教わっています。店を開ける前か、閉めた後でよろしければ、読み書きと簡単な計算を教えられます」


「では、任せる。必要な紙と筆記具は、こちらで用意する」


「ありがとうございます!」


 セナの灰色の耳がぴんと立った。


「私たちも、字を覚えていいのですか?」


「当然だ。学べる時に学べ。お前たちが将来、何を選ぶにしても役に立つ」


「はい!」


「ついでに、ここにいる者で文字と計算が十分にできない者も、ロイドから学べ」


 ベッツたち七人のうち、何人かが静かに視線を逸らした。


「ラグ」


「はい、坊ちゃん」


「読めるのか?」


「酒場の看板と、硬貨の数なら」


「教わる側だ」


「朝の訓練の後に、勉強まで……」


「人の話、物の数、場所の名。見聞きした情報を正しく残せなければ、お前たちはいつまでも使い走りのままだ」


「立派な使い走りになるために、頑張ります」


「目指すところが低い。もっと働かせる」


「やはり、口にしなければよかった……」


 子供たちは学べることへ目を輝かせ、大人たちは新たな訓練が増えたような顔をしている。だが、誰からも反対は出なかった。


「ちょうどいい。今後の方針を、全員へ伝えておく」


 俺はその場にいる者たちを見回した。昨日まで、互いの名すら知らなかった者もいる。武器屋、大工、奴隷商、元小悪党、元兵士、薬師、獣人の少年。そして、行き場を失っていた子供たち。今は、寄せ集めにしか見えない。


 だが、それぞれが持つ力をつなげれば、俺一人では決して作れないものを作れる。


「俺たちは、今後四つの働きへ分かれる」


 俺は指を一本立てた。


「一つ目は商会だ。ロイドを中心に武器や防具、薬、食料、生活用品を扱う。必要な物を集め、売り、運び、常に一定量を蓄える。セルジュは商売に必要な人と情報を集めろ。ティアナが作る薬も、品質が整い次第、商会で扱う」


「承知しました」


 ロイドとセルジュが頭を下げ、ティアナも強くうなずいた。


「二つ目は、報酬を受けて人や荷物を守る兵の団体、傭兵団だ。グレイグが鍛え、ベッツたちを中心に組織する。最初の仕事は商会の荷と人を守ることだ。力がつけば、魔物の退治、村や町を守る仕事も引き受ける」


「承知しました、主様」


「三つ目は建築だ。ゲオルグを中心に、宿舎、店、倉、道を造る。商売を広げるにも、人を守るにも、物を置く場所と進める道が必要になる。いずれは領内の傷んだ道を直し、危険が起きた時に人が逃げ込める場所も造れ」


「坊ちゃん。ずいぶんと仕事が増えそうですな」


「働き手も増やす」


「なら、いくらでも造ってみせます」


「四つ目は冒険者のチームだ。当面は俺が一人で動く。魔の森で素材を集め、未知の場所を調べ、必要な依頼を受ける。お前たちの力がついた後は、適性のある者を加えて複数のチームを作る。フェルには、魔獣と魔鳥を育て、探索と連絡を助けてもらう」


「俺も、魔の森へ行く」


「今すぐではない。まず身体を作り、魔獣と信頼を結ぶ方法を身につけろ。準備のできていない者を危険な場所へ連れていくつもりはない」


「……分かった」


「四つは別々に動くが、目的は同じだ。商会が物と金を動かし、傭兵団が道を守る。建築部門が店と倉と道を造り、冒険者が素材と外の情報を持ち帰る。どれか一つだけでは広がらない。互いに支えろ」


 全員が、黙って俺の言葉を聞いている。


「まずは、このアークハルト領で力をつける。領都の武器屋一軒から始め、扱う品と働く者を増やす。村や町へ物を届け、領内のどこで何が起きても、すぐに動けるようにする」


 ここまでは、ロイドたちにも想像できる話だったのだろう。真剣な顔でうなずいている。


「次は、グランベル辺境伯領を含む近隣の領地へ店と拠点を作る」


 何人かの目が大きくなった。


「その次は王都だ。王国中の主要な町へ、俺たちの店、人、倉を置く」


「王国中……」


 ゲオルグがつぶやいた。頭の中で、必要になる建物の数を考え始めたらしい。


「そこで終わりではない。ヴァルガ帝国にも進出する」


「帝国にまでですか!?」


 ロイドが初めて大きな声を上げた。隣国とは交易があるものの、国境では緊張が絶えない。男爵家の跡継ぎが、自分の組織を帝国へ広げると言えば驚くのも当然だ。


「敵になる可能性がある相手ほど、何をしているのか知らなければならない。帝国の先にも国はある。人が暮らし、道が続く限り、俺たちは進む」


 俺は指先を、遠くへ向けた。


「世界中に、俺たちの組織を根づかせる」


 だが、世界へ根を伸ばすために最も必要なのは、金でも兵の数でもない。


 滅びた未来で、俺が何よりも欠いていたものだった。

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