第69話 失われた身体を取り戻す
「次はティアナだ。こちらへ来い」
「はい」
ティアナは長椅子へ座るだけで、また小さくせきき込んだ。
「深く息を吸えるか?」
「少しだけなら。大きく吸うと、胸の奥が痛みます」
「背中へ触れるぞ」
「はい」
肩甲骨の間へ手を当て、《超再生》の力を流す。薬毒によって硬く変質した肺の組織を取り除き、失われた部分を元の形へ再生した。
「うっ……けほっ、けほっ!」
ティアナが激しくせきき込んだ。
「アレス様!」
セルジュが一歩近づく。
「動くな。肺に残っていた薬毒を外へ出している」
ティアナは口元へ布を当て、何度もせきをした。黒ずんだたんと共に残っていた薬の毒を外へ出し、細い空気の通り道まで治してから手を離す。
「もう一度、息を吸え」
ティアナは恐る恐る胸を膨らませた。せきも痛みもなく、肺の隅々まで空気が入っていく。
「苦しく、ない……」
ティアナは驚いたように、何度も呼吸を繰り返した。
「胸も痛くありません。こんなに息を吸えたのは、事故の前以来です」
「なら、薬を作れるな」
ティアナの目から涙がこぼれた。
「はい。作れます」
「泣いている暇はない。まず身体へ肉をつけろ。調合室と道具は用意する。必要な薬草と素材を書き出し、セルジュへ渡せ」
「はい」
「魔の森から持ち帰った素材も調べてもらう。傷薬、解毒薬、回復薬。作れる物から作れ。売れる品質になれば、ロイドの店で扱わせる」
「はい!」
「それから、お前も明日の夜明け前に旧石切り場へ来い」
ティアナの返事が止まった。
「私も、でございますか?」
「当然だ。薬師が最初に倒れてどうする。最低限の体力はつけてもらう」
「あの、今日治していただいたばかりなのですが……」
「グレイグと同じく、今日一日は休ませる」
「明日からは、休めないのですね」
「安心しろ。今のお前に合わせた量から始める」
なぜかセルジュが目を逸らした。
「セルジュ。何か言いたいことがあるのか?」
「アレス様にとっての『合わせた量』と、一般的な意味が少々異なることを思い出しただけでございます」
「無理をさせるつもりはない」
「私も初日に、同じお言葉を伺いました」
「実際、死んでいないだろう」
「おっしゃるとおりでございます」
ティアナが不安そうにセルジュを見る。
「大丈夫です。すべて終われば、アレス様が身体だけは元どおりにしてくださいます」
「身体だけ、なのですか?」
「心に刻まれた記憶までは、治していただけません」
「余計なことを教えるな」
「失礼いたしました」
ティアナは涙を拭いながら、今度は小さく笑った。
「それでも、お願いいたします。師匠から教わった薬を、もう一度作ります。私のように、けがや病気で未来を失う人を、一人でも減らしてみせます」
「それでいい」
「そして、アレス様が必要となさる薬を、必ず作れる薬師になります」
また一人、ずいぶんとよい目をするようになった。
◇
「最後はフェルだ」
名を呼ぶと、フェルは左袖を右手で押さえた。
「怖いのか?」
「怖くない」
「なら、こちらへ来い」
「……本当に、生えるのか?」
「見ていれば分かる」
長椅子へ座らせ、肘の下で結ばれた袖を解く。左腕は肘から少し先まで残り、その先は古い傷跡に覆われていた。欠損した腕の再生には、先ほどまでとは比べものにならない魔力が必要になる。それでも、できる。俺はフェルの左腕を両手で包んだ。
「痛みが出る。耐えられなければ叫べ」
「耐える」
「叫ぶなとは言っていない。必要なら声を出せ。黙って苦しむことが強さではない」
フェルは少し迷った後、うなずいた。《超再生》を発動し、身体と魂に残された本来の形を探る。骨を伸ばし、その周りへ筋肉と、骨と筋肉をつなぐ筋を作る。そして、血管と神経をつないでいく。
「う、ああっ……!」
フェルの身体が大きく震えた。
「動くな。もう始まっている」
閉じた傷跡の先から前腕が伸び、手首と手のひら、五本の指が形を取り戻していく。魔力が急速に減り、額から汗が落ちた。だが、途中で止めるつもりはない。最後の神経を指先までつなぎ、つめと皮膚を再生する。左右の腕の長さを確かめ、俺は力を止めた。
「終わったぞ」
フェルは返事をしなかった。新しく生えた左手を、ただ見つめている。
「指を動かせ」
親指が曲がる。残る四本も続き、ゆっくり拳が作られた。開く。もう一度、握る。フェルは右手で左の手のひらへ触れた。次に左手で自分の右腕をつかみ、そこに本当に感覚があることを確かめる。
「温かい……」
「お前の腕なのだから当然だ」
その時、扉の外から小さな声がした。
「フェル兄……?」
セルジュが連れてきた三人の子供たちが、わずかに開いた扉のすき間からこちらを見ていた。フェルが立ち上がる。三人は部屋へ駆け込み、その身体へ抱きついた。フェルは反射的に両腕を広げ、子供たち全員を受け止める。失っていた左腕が、小さな背中を抱いていた。
「ある……。俺の腕、本当にある……」
フェルの灰色の耳が震え、子供たちの頭へ涙が落ちた。
「奇跡だ……」
セルジュがつぶやいた。振り向くと、その頬を涙が伝っていた。
グレイグの動かなかった手足が戻った時も、ティアナが苦しまずに息を吸えた時も、セルジュはどうにか立っていた。だが、フェルの両腕に抱かれた子供たちを見て、ついに耐えきれなくなったらしい。セルジュはその場へ両膝をついた。両手を床へ置き、額を深く擦りつける。土下座だった。
「私は……この者たちが、もう二度と元の人生へ戻れないと知りながら、商品として扱いました。その私の目の前で、失った手足も、未来も取り戻された。これを奇跡と呼ばず、何と呼べばよいのでしょう」
「セルジュ――」
「アレス様。本当に、ありがとうございます」
止めるより早く、木の槍を置いたグレイグも、セルジュに釣られるように隣へ土下座した。治ったばかりの両手で床に触れ、額を伏せる。
「この右腕と右脚だけではない。戦う意味まで返してもらった。この先の一生、主様のために使う」
ティアナもその隣へ土下座した。
「私も、薬師として生きる未来を返していただきました。アレス様から頂いたこの命で、必ず多くの人を救います」
そしてフェルも、子供たちをそっと離すと、三人の隣へ並んで土下座した。戻ったばかりの左手が、床へ触れていた。
「俺も。何を返せばいいか、まだ分からない。でも、何でもする。アレス様のためなら、命だって――」
「命はいらん」
フェルの言葉を遮る。
「四人そろって何をしている。俺が欲しいのは、床へ頭を擦りつけるだけの配下ではない」
四人が恐る恐る顔を上げた。
「恩を返したいなら働け。生きて、考えて、役に立て。フェルは子供たちも守れ。魔獣を育て、遠くの異変を見つけ、俺の手が届かない場所へ俺の代わりに手を伸ばせ」
「分かった」
「本当に分かっているのか?」
「生きて、ずっと働く」
「そうだ」
ようやく正しい答えが返ってきた。
「俺は一生、アレス様についていく」
フェルが真っすぐ俺を見る。
「この腕で、今度はもっと大勢を守る。アレス様が守れと言った人を、絶対に見捨てない」
「言葉だけで終わらせるな」
「うん」
「返事は『はい』だ」
「はい!」
「それと、フェル」
「はい」
「悪いが、この子たちとも契約させてもらうぞ」
フェルの耳がぴくりと動いた。すぐに立ち上がり、三人を背へかばう。腕を治され、俺へ忠誠を誓った後でも、守るべき相手のこととなれば無条件にはうなずかない。その姿勢でいい。
だからこそ、この先はフェルだけに決めさせない。守られてきた三人にも、自分の未来を自分で選んでもらう。
奴隷として一度奪われた選択を、今度は誰にも奪わせない。




