第68話 未来を選ぶ契約
グレイグの言葉が止まった。次に、ティアナへ顔を向ける。
「お前は薬師だ」
「見習いでした」
「薬草を見分け、傷薬と解毒薬を調合できる。薬毒の性質にも詳しく、水魔法も使える」
ティアナが息をのんだ。
「どうして、それを……?」
「俺には分かる」
今は、それ以上説明する必要はない。
「魔の森には、薬に使える素材がいくらでもある。だが、今の俺の配下には、それを薬へ変えられる者がいない。お前には、薬の研究と調合を任せる。今後、人が増えれば治療と衛生の管理もしてもらう」
「無理です」
ティアナはうつむき、自分の胸元を押さえた。
「少し調合炉の前に立つだけで、息ができなくなります。薬草の粉を吸えばせきが止まらなくなることもあります。私はもう、薬師には……」
「なりたいのか、なりたくないのか。どちらだ?」
「それは……」
「肺のことは聞いていない。お前自身が、もう一度薬を作りたいのかと聞いている」
ティアナは唇をかんだ。やがて顔を上げた時、その目には涙が浮かんでいた。
「作りたいです」
「なら作れ」
「ですが、私の肺は治りません。高位の治癒魔法でも、これ以上は――」
「治癒魔法では治らない。それだけだ」
ティアナは意味をつかめないまま、俺を見つめている。最後にフェルへ向き直る。
「お前には、魔獣を育ててもらう」
「魔獣……?」
「《魔獣使役》を持っているな」
フェルの耳と尻尾が大きく跳ねた。
「誰にも、言ってない」
「お前が言わなくても分かる。それは、力で魔獣を縛る能力ではない。相手の意思を感じ取り、信頼を結ぶことで力を借りるものだろう」
「なんで、そこまで……」
「将来は、荷を運ぶ魔獣、遠くへ言葉を届ける魔鳥、魔の森で敵を探す獣を育ててもらう。お前の《気配察知》と風魔法も役に立つ」
フェルは失われた左腕へ目を落とした。
「片腕じゃ、できない」
「だから、その腕を戻す」
「うそだ」
「俺は、できないことをできるとは言わない」
「腕が生えるわけない。治癒魔法でも無理だ」
「俺が使うのは、治癒魔法ではない」
三人が俺を見つめる。ここから先に見せる力は、外へ漏らすわけにはいかない。
「俺は、お前たちの身体を元に戻せる。グレイグの右腕と右脚。ティアナの肺。そして、フェルの失われた左腕もだ」
「そんな力が……」
ティアナがかすれた声を漏らした。
「ある。ただし、この力は秘密にしてもらう。ほかにも、これから俺の配下として働けば、外へ漏らせないことを知ることになる」
「それで、主従契約か」
グレイグが言った。
「そうだ。俺を主と認め、命令に従うこと。俺を裏切らず、能力と計画を許可なく他言しないこと。罪のない者を食い物にせず、自分の頭で考えて働くこと」
俺は三人を順に見る。
「俺からは、お前たちを使い捨てにしないと誓う。働く場所と食事と住む場所を与え、働きに応じた報酬を払う。命令に従い、役目を果たす限り、お前たちの命と未来は俺が守る」
「ずいぶんと、都合のよい話に聞こえる」
「まだ続きがある」
グレイグがわずかに口元をゆがめた。やはり、簡単な話ではないと分かっていたらしい。
「俺の下で楽をできるとは思うな。徹底的に働かせる。役に立たなければ、役に立つまで鍛える。役に立つようになれば、その分だけ多くの仕事を任せる」
「結局、逃げ道はないのですね……」
セルジュが小さくつぶやいた。
「何か言ったか?」
「いいえ。以前、私どもも同じお言葉を頂戴したことを思い出しただけでございます」
ティアナは困ったように笑い、フェルは本気なのか見極めようと俺を見ている。グレイグだけは、少し面白そうな顔をしていた。
「条件は分かった。だが、そこまでして俺たちを働かせ、何をするつもりだ?」
「救える者を増やす」
俺一人がどれほど強くなっても、一度に立てる場所は一つしかない。俺が魔族と戦っている間に、別の土地で魔物が人を食らう。俺が一つの町を守っている間に、遠くの村が焼ける。
あの滅びた未来で、何度も思い知らされた。だから、俺の代わりに動く手足が必要だ。人を率いる者。傷ついた者を治す者。遠くの異変を見つけ、物と情報を運ぶ者。こいつらが働けば、救える命が増える。
「世のため、人のため、そして、この俺のために働け」
俺は三人へ告げた。
「それが、俺からお前たちへ求めるすべてだ」
最後が最も大切なのは言うまでもない。だが、こいつらを俺のために働かせることが、巡り巡って世界の崩壊を防ぐ力になる。世界が崩れなければ、こいつらも助かる。家族も、領民も、まだ顔さえ知らない大勢の人々も助かる。ならば、遠慮する理由はない。使える者には、限界まで働いてもらう。
「俺は契約する」
最初に答えたのはグレイグだった。
「まだ、力の話を信じたわけではない。だが、奴隷契約を先に解除したことと、子供たちまで自由にしたことは信じられる。それに、主へ異を唱える者が欲しいと言った貴族は、あんたが初めてだ」
「賢明な判断だ」
「自分で言うのか」
「事実だからな」
グレイグが初めて、声を出して笑った。
「私も、お願いいたします」
ティアナが続く。
「もう一度、薬を作れる可能性があるのなら、諦めたくありません。もし肺が治らなかったとしても、自由にしていただいた分は、働いてお返しします」
「治すと言っている。余計な心配をするな」
「はい」
最後に、フェルを見る。
「お前はどうする?」
「子供たちと、一緒に暮らせるのか?」
「望むならな。ただし、世話はお前一人へ押しつけない。子供が子供三人を養えるとは思っていない」
「俺は、子供じゃない」
「十二歳は子供だ」
「あんたは十二歳だろ」
「俺のことはいい」
「よくない」
「フェル。今は契約するかどうかを聞いている」
話が進まない。フェルは不満そうに耳を伏せたが、やがて残された右手を差し出した。
「する。あの子たちを守れるなら、あんたのために働く」
「よし」
セルジュへ、三人それぞれの契約書を二枚ずつ作らせる。条件を一つずつ読み上げると、三人は最後まで聞き、自分の意思でうなずいた。
グレイグ、ティアナ、フェルの順に、俺と共に契約書へ血を一滴落とす。セルジュが《契約術》を発動すると、文字が淡い金色に光り、一筋の光となって俺たちの胸へ吸い込まれた。三本の新しいつながりが、身体の奥へ結ばれる。こいつらは、もう奴隷ではない。俺が守り、俺のために徹底的に働かせる配下だ。
◇
「最初は、グレイグだ」
「何をすればよろしいでしょうか?」
グレイグの言葉使いが変わっている。
「そこへ座れ。右腕の固定を外し、右脚を出せ」
セルジュが長椅子を用意する。グレイグが腰を下ろし、布で身体へ固定していた右腕を左手だけで外した。細くなった腕が力なく垂れる。右膝は不自然に腫れ、曲げられる範囲も狭い。
「痛みはあるか?」
「膝は動かせば痛みます。腕は、もう痛みもほとんど感じません」
「今から両方治す。途中で今までとは違う痛みが出るが、動くな」
「本当に、できるのですか?」
「黙って座っていろ」
俺はグレイグの右肩へ片手を置き、もう一方を右膝へ当てた。自分の魂へ刻まれた《超再生》へ意識を沈め、肉体と魂に残された傷つく前の形を、今の身体へ重ねる。ゆがんだ骨を本来の位置へ戻し、縮んだ、骨と筋肉をつなぐ筋と、傷ついた筋肉をつなぎ直した。
「ぐっ……!」
グレイグが低くうめいた。
「動くな」
「これくらい、どうということはありません」
「なら声を出すな」
「主様は、手加減がありませんな……」
口を動かす余裕があるなら問題はない。右腕へ力を移し、肩から指先まで途切れていた神経をつなぐ。グレイグの右手が震え、人差し指から順に五本の指が曲がった。
「動く……」
グレイグの声が震えていた。
「まだ終わっていない」
傷ついた神経をすべてつなぎ終え、長い間使われなかった筋肉へ血と魔力を巡らせる。右膝からも手を離し、《超再生》を止めた。
「立ってみろ」
グレイグは長椅子へ左手をつき、慎重に腰を上げた。右脚へ体重をかけても、膝は折れない。一歩、もう一歩と、長い間動かなかった脚が身体を前へ運んでいく。
「槍はあるか?」
セルジュが持ってこさせた訓練用の木の槍を、グレイグは右手で握った。左手を添え、足を前後へ開いて腰を落とした瞬間、先ほどまで杖をついていた男から空気が変わる。鋭い突きが、一度だけ放たれる。直後、右膝が震えた。
「そこまでだ」
「まだ動けます」
「傷は治したが、何年も使わなかった筋肉まで鍛え直したわけではない。調子に乗れば、別の場所を痛める」
グレイグが悔しそうに槍を下ろす。
「半年は基礎体力を作り直す。明日の夜明け前、旧石切り場へ来い。お前に合わせた訓練を組む」
「治ったばかりでも、明日からですか?」
「今日一日は休ませてやる」
「十分です」
グレイグは木の槍を右手で握ったまま、俺の前へ片膝をついた。
「この右腕と右脚は、二度と戻らないと思っておりました」
「戻った」
「はい」
グレイグは、拳を何度も開いては閉じる。
「礼は申しません」
「必要ない」
「その代わり、残る一生でお返しします。主様の兵を、誰よりも強く、簡単には死なない兵へ鍛えます。必要なら、再び俺自身が先頭に立ちます」
「勝手に死ぬことは許さない。お前の役目は、部下と共に生きて戻ることだ」
「……承知しました、主様」
呼び方が変わっていた。
グレイグの右手には、二度と握れないはずだった槍が戻った。だが、この部屋で未来を失っているのは、彼一人ではない。
次に取り戻すのは、ティアナが諦めかけていた薬師としての未来だ。




