第65話 魔物の肉を食べる
五日目の朝。ニーナが最初の日より一周多く走り切った。
「よくやった」
「ありがとうございます!」
息を切らしながらも、ニーナはうれしそうに笑った。それを見たセルジュが、期待を込めて俺を見る。
「アレス様。私にも、何かお言葉をいただけますでしょうか?」
「昨日より、止まるまでの距離が十二歩伸びた」
「そこまで細かく見てくださっていたのですね」
「ああ。明日は、さらに十三歩伸ばせ」
「十二歩ではいけませんか?」
「昨日と同じでは成長にならない」
「褒めていただいたはずなのに、なぜ追いつめられているのでしょう」
「セルジュさん。アレス様へ自分から聞くのがいけないんですよ」
ニーナが、すっかり分かったような顔で助言した。
「ニーナ。お前も明日は今日より半周増やす」
「はい!」
「なぜニーナ様は、あれほどうれしそうなのでしょうか」
「俺たちとは作りが違うんじゃねえか?」
ベッツたちが真剣に話し合っていた。
朝食後、俺は五件目の依頼を受けた。炭焼き職人と木こりを襲うようになった、翠羽鳥の群れの退治。翠色の羽を持つ、鶏より一回り大きな鳥型の魔物だ。
翼を振るうたびに、目に見えにくい風の刃を放つ。森の中を飛び回るため、普通の冒険者には厄介な相手である。俺は幹の太い木を背にし、正面から群れを迎えた。飛んでくる風刃を腕、肩、脚で受ける。
一筋ごとの威力は高くない。だが、数が多い。服が裂け、その下の皮膚へ細い傷が増えていく。血のにおいをかぎつけた翠羽鳥が、次々に俺へ集まってきた。
都合がいい。射程へ入った個体から飛び上がり、翼の付け根へ拳をたたき込む。落ちたところで首を折り、すぐに次へ向かう。最後の一体を倒した時、身体に刻まれた傷は百を越えていた。
傷口を確かめる。初めに受けた風刃より、最後に受けたものの方が浅い。刃が皮膚へ触れる直前、身体がわずかに角度を変え、力を受け流している。
《風属性耐性》が根づき始めていた。得たばかりの耐性だ。強い風魔法を受ければ、今でも簡単に身体を切り裂かれるだろう。それでも、積み重ねれば必ず大きな差になる。
俺は十五体の翠羽鳥を、すべてマジックバッグへ入れた。そのうち一体を解体し、素材として利用できる部位を調べる。風切羽、曲がった鋭いつめ、魔石。そして、肉。肉の色、締まった筋肉、内部に蓄えられた魔力。
武王時代の知識と経験から見ても、良質な筋肉を作るための栄養が豊富に含まれていることは間違いない。ただし、ほかの魔物と同じく魔毒がある。普通の人間が食べれば、腹を壊す程度では済まない。魔力の流れを乱され、内臓を傷め、量によっては命を落とす。だから、魔物は食用にされない。だが、魔毒なら耐性を身につけられる。魔毒を処理できるようになれば、この肉は身体を作り、消費した魔力まで補える食料になる。滅びた未来で、食料が尽きた時に魔物を食べ続けて命を繋いだ。
あのころの魔物は、すべて瘴気に侵されていた。焼いても煮ても、腐った泥と血を混ぜたような味しかしなかったが、生きるために飲み込んだ。今の翠羽鳥は、瘴気に侵されていない。ならば、味まで同じとは限らない。試してみる価値はある。
◇
「駄目です」
屋敷へ戻った後。俺の話を聞いたニーナは、珍しく即答した。
「まだ何も頼んでいないぞ」
「そのお肉を調理して、アレス様がお召し上がりになるおつもりなのでしょう?」
「よく分かったな」
「分かります。先ほどから、とても楽しそうなお顔をなさっていますから」
どうやら、顔へ出ていたらしい。夕食まで少し時間がある。俺は翠羽鳥を一体だけ旧屋内訓練場へ運び、休憩室にある小さな調理炉で、ニーナへ調理を頼んだ。屋敷の台所へ魔物を持ち込めば、料理長のハンナに止められるのは分かっている。
「魔物には魔毒がございます。人が食べてはいけないものです」
「知っている」
「では、なぜお召し上がりになるのですか?」
「魔毒への耐性を得るためだ」
「また毒を受けるおつもりなのですか?」
「受けるのではない。食べる」
「同じことでございます!」
ニーナは両手で皿を抱え、俺へ渡すまいと身体の後ろへ隠した。
「少量ずつ食べる。危険になる前に再生する」
「危険になることを、初めからなさらないでください」
「この肉は、身体を作る栄養と魔力を多く含んでいる。魔毒へ耐えられるようになれば、今後の訓練に使える」
「ですが……」
「俺が食べなければ、誰も食べない。仮に失敗しても、俺一人で終わる」
ニーナの顔が曇った。
「アレス様お一人なら、失敗してもよいという意味にはなりません」
「失敗するつもりはない」
しばらく見つめ合う。先に息を吐いたのは、ニーナだった。
「本当に、少しずつでございます」
「分かっている」
「危険だと感じたら、すぐにおやめください」
「約束する」
「私が、すぐお傍で拝見しております」
「好きにしろ」
ようやく皿を受け取る。薄く切った翠羽鳥の肉は、表面が香ばしく焼かれていた。森で採れた香草と塩が使われ、溶けた脂がつやを作っている。俺は一切れだけ口へ入れた。かんだ瞬間、肉汁と旨味が広がった。
「……美味い」
「本当ですか?」
「ああ。驚くほど美味い」
瘴気に侵された魔物とは、まるで違う。弾力はあるが硬すぎず、かむほど味が出る。ニーナが使った香草ともよく合っていた。
「もっと不味ければ、諦める理由になりましたのに……」
ニーナが残念そうにつぶやく。やがて、胃の辺りが熱くなった。魔毒が身体へ回り始める。内臓へ鈍い痛みが走り、魔力の流れが乱れた。
今は、肉から得られる魔力よりも、魔毒を消すために使う魔力の方が多い。俺は《再生》で傷つき始めた内臓を治した。もう一切れ食べる。毒が回る。再生する。食べる。再生する。
八切れ目を食べ終えたころ、同じ量を口にしたはずなのに、内臓へ走る痛みが明らかに弱くなった。乱されていた魔力も、先ほどより早く整っていく。九切れ目では、肉から得られる魔力が、魔毒を処理するために使った量をわずかに上回った。身体が魔毒の消し方を覚えた。《魔毒耐性》が、ようやく根づき始めている。
「成功だ」
「どうして分かるのですか?」
「痛みと、魔力の流れが変わった。完全に無害になったわけではないが、食べた分の魔力が、毒を消すための魔力を上回っている」
残りの肉も食べる。美味い。栄養がある。魔力も回復する。これほど都合のよい食材を、誰も食べずに捨てていたとは。
「ニーナ」
「はい」
「明日からも、翠羽鳥を持ち帰る」
ニーナが、俺の前にある空の皿を見つめる。
「……かしこまりました」
「調理を頼む」
「そちらも、もう決定なのですね」
「お前の料理が一番美味いからな」
ニーナが一瞬だけ黙り、わずかに頬を赤くした。
「それでは、仕方がございませんね」
先ほどまで反対していたはずなのに、今度は少しうれしそうだった。
◇
五件目の依頼を報告すると、俺はギルド長室へ呼ばれた。バルガスは机の上へ、五枚の依頼達成証明を並べていた。
「フォレストウルフ十八体。ポイズントード十四体。フレイムリザード九体。ロックビートル六体。そして翠羽鳥十五体」
「何か問題があったか?」
「問題がなさすぎることが問題だ」
バルガスがまゆの間を押さえる。
「五日でCランク依頼を五件。すべて指定数を大きく上回って達成。森へ入る前と戻った後の報告も欠かさず、期限にも遅れていない。異常がなかったことは、現地へ確認に向かわせた職員からも報告を受けている」
「なら、条件は達成した」
「ああ。今日をもって、単独での活動場所を浅層に限る条件は解除する。正式に、特別条件のないCランク冒険者として扱う」
「分かった」
「もう少し喜んだらどうだ?」
「最初からCランクの実力は認められている。五件は、問題なく依頼をこなせると示すためのものだったはずだ」
「十二歳の子供が五日で終わらせるとは、誰も思っていなかったんだ」
「俺は思っていた」
バルガスは、しばらく何も言わなかった。
「……そうだろうな」
深いため息と共に、五枚の証明をまとめる。
「制限は解除する。だが、無理に森の奥へ入る必要はない。Cランクになったからといって、どこでも生きて帰れるわけではないぞ」
「今の目的は、金と耐性だ。奥へ入ることではない」
「耐性?」
「こちらの話だ」
余計なことまで口にしてしまった。バルガスが不思議そうに俺を見る。
「まさか、毎日服が替わっていることと関係があるのか?」
「森では、服が傷むこともある」
「普通は、五日続けて着られなくなるほど傷まん」
「俺は父上と、必要のない危険は避けると約束している」
「必要なら受ける、と言っているように聞こえるぞ」
「気のせいだ」
バルガスは、何か言いたげにもう一度ため息をついた。




