第64話 毒と炎を越えて
二日目の夜明け前。旧石切り場へ着くと、全員が昨日と同じ場所へ集まっていた。一人も遅れていない。ただし、やる気に満ちている者もいなかった。セルジュは石切り場の外周を見つめたまま、微動だにしない。
「何をしている?」
「昨日の自分が、あの道の途中で何度も倒れかけております」
「幻だ」
「身体の痛みは治していただきましたが、心に刻まれた記憶までは消えておりません」
「心は再生できないからな」
「初めて、アレス様にも治せないものがあると知りました」
セルジュは深刻そうに言った。俺が何かを返す前に、ベッツが両手を打ち鳴らす。
「よし! 昨日と同じだ。覚悟を決めて走るぞ!」
「今日は昨日より、全員の量をわずかに増やす」
歩き出しかけた者たちの足が止まった。
「大将。昨日、明日も同じ時刻に始めると……」
「同じ内容で行うとは言っていない」
「皆、すまねえ。また俺が余計なことを言った」
「頭は、始まる前から俺たちの心を折るのをやめてください」
「ラグ。走る距離を増やされたいのか?」
「ベッツ殿!本日も元気良くがんばりましょう!」
ラグはそう言い残し、真っ先に走り出した。全員がその後へ続く。文句を言いながらも、誰一人逃げない。ならば、必ず強くなる。
朝の訓練を終え、全員を再生させる。食事と本来の仕事を忘れないよう念を押し、俺はニーナと共に屋敷へ戻った。家族と朝食を取った後は、冒険者としての二日目が始まる。
◇
二件目に受けたのは、ポイズントードの毒袋を六つ納品する依頼だった。毒袋を傷つければ、素材として使えない。俺は吐き出される毒液と毒霧を受けながら、一体ずつ腹部を壊さないよう頭だけを砕いた。最初の毒霧を吸った時は、のどが焼け、肺がしびれた。
二度目は、視界が揺れた。三度目には膝へ力が入らなくなり、その場で一度《再生》を使った。毒を消し、身体を戻し、また受ける。
以前の身体なら、何の準備もなく吸い込んでも問題にならない毒だ。だが、今は十二歳の身体である。量を誤れば、耐性を身につける前に魔力を使い果たす。焦らず、致死量を越えない範囲で繰り返した。
四度目に同じ濃さの毒霧を吸い込んだ時、しびれが肺へ広がるまでの時間が明らかに長くなっていた。五度目は、さらに遅い。毒を受けた身体が、その巡り方と消し方を覚え始めている。
《毒耐性》が根づいた感覚を確かめ、残りのポイズントードを倒した。帰り道では、スリープモスの群れを見つけた。
鱗粉を少しずつ吸い込み、意識が沈むたびに自分の舌をかんで目を覚ます。限界を越える前に鱗粉の外へ出て、再び近づいた。何度も繰り返すうちに、同じ量を吸ってもまぶたが落ちなくなる。
眠気そのものが消えたわけではない。意識を保てる時間が延びただけだ。それでも、《睡眠耐性》を得た最初の成果としては十分だった。その日、ギルドへ持ち帰った毒袋は十四個。長い舌、皮、魔石。傷一つないスリープモスの翅も、十二枚あった。
「依頼の品は六つでございます」
ミレイが毒袋を数えながら言った。
「残りは買い取れないのか?」
「買い取れます。確認したかっただけでございます」
「なら、全部頼む」
「……昨日の魔狼で、慣れたつもりだったのですが」
「明日は、もっと別の物を持ってくる」
「先に心の準備だけしておきます」
ミレイは早くも諦め始めていた。
◇
三日目の朝。訓練前に、ベッツが全員を代表して俺の前へ出た。
「大将。皆で話し合ったことがあるんですが」
「話せ」
「朝の訓練は分かります。俺たちも強くなりてえ。ですが、仕事の合間にやる分まで、本当に必要なんでしょうか?」
ベッツの背後で、残る者たちが固唾をのんでいる。誰が俺へ尋ねるか、押しつけ合った末にベッツが負けたらしい。
「必要だ」
「やっぱりですか」
「朝に覚えた身体の使い方を、日中も繰り返す。短い時間でも、毎日積み重ねれば半年後には大きな差になる」
「よく分かりました」
ベッツは一度も反論せず、仲間のもとへ戻った。
「交渉は終わりだ。走るぞ」
「早すぎませんか、ベッツ殿」
「大将に理屈で勝てると思うなら、お前が行け」
「走りましょう。時間が惜しい」
ラグが即座に向きを変えた。切り替えだけは、初日より早くなっている。
朝食後に受けた三件目の依頼は、フレイムリザードの退治だった。火球を正面から受け、短い火炎を両腕へ浴びる。
皮膚が焼ける臭いには、覚えがある。滅びた未来では、これより何百倍も強い炎の中を進んだこともあった。だからこそ、今の身体が耐えられる限界も分かる。
危険になる一歩手前で《再生》し、再び炎を受ける。初めは火球を一発受けただけで皮膚が大きく焼けただれた。何度も焼かれ、治すうちに、同じ火球を受けても傷が広がるのがわずかに遅くなっていく。
炎に触れた瞬間、身体の魔力が薄い膜のように皮膚へ集まるようになったためだ。意識して命じたわけではない。身体が炎を脅威として覚え、自ら身を守ろうとしている。
《火属性耐性》が根づいた証拠だった。九体を倒し、火炎袋と耐火うろこ、魔石をすべて持ち帰る。
三日目の夕方には、買い取り場の職員が俺を見るなり、何も言わず広い場所へ案内するようになっていた。
◇
四日目。朝の訓練を始める前に、ロイドが自分の腰へ手を当てた。
「アレス様。昨日は店の荷を一日運んでも、腰が痛みませんでした」
「身体の使い方が良くなったからだ。今日は運ぶ石を少し重くする」
「はい」
ロイドは素直にうなずいた。隣でゲオルグも口を開く。
「坊ちゃん。俺も、低い場所の作業が前より楽になりました」
「足首と腰が少し動くようになった。お前も今日から屈伸を増やす」
「分かりました」
二人の報告を聞いていたセルジュが、そっと視線を逸らす。
「セルジュ」
「はい」
「お前は何か変わったか?」
「昨日より、椅子から立ち上がることへの恐怖が薄れました」
「そうか。なら回数を増やしても問題ないな」
「報告の仕方を誤りました」
「皆さん。成長は心の中だけで喜んだ方がよさそうですよ」
ラグが小声で仲間へ教える。
「安心しろ。報告がなくても俺が見て増やす」
「逃げ道がねえ……」
ドランがつぶやいた。それでも、以前より全員の動きは良くなっていた。
わずか四日で大きく変わるはずはない。だが、自分の身体をどう動かせば疲れにくいのか、少しずつ理解し始めている。
四件目の依頼は、ロックビートルの甲殻と魔石の納品だった。土魔法で撃ち出される小石を受け、硬い角で跳ね飛ばされる。威力と角度を見極め、致命傷にならない攻撃だけを身体へ通した。
何度も受けるうちに、小石が触れる直前、皮膚と筋肉が自然に締まる。衝撃を一点で受けず、身体の広い範囲へ逃がす動きも洗練されていく。《土属性耐性》が、少しずつ身体へ刻まれていた。
途中で遭遇したスパークラットからは、全身へ雷撃を浴びる。一度目で指先の感覚が消えた。二度目は脚が動かなくなった。三度目に心臓の動きが乱れた瞬間、すぐに距離を取り、《再生》で身体を戻す。雷は加減を誤れば、外傷が少ないまま死ぬ。
無理に回数を重ねることはせず、同じ強さの雷撃を受けた時、しびれがわずかに軽くなったところで切り上げた。
《雷属性耐性》も、最初の種は得られた。再生。戦闘。素材の回収。倒した魔物は、一体も捨てない。四日目を終えた時点で、稼いだ金は、普通のCランク冒険者が一月で得る額を大きく超えていた。




