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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者:
第六章 冒険者活動編

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第63話 冒険者としての初仕事

「若様。石標の件で、ご報告があります」


 皆が仕事へ向かう前、ハイムが俺の前へ出た。


「話せ」


「ご命令どおり、ベッツ殿が旧街道の石標へ赤い布を結びました。それからラグと交代で見張りましたが、引き渡し場所を記した紙は置かれておりません」


「誰も現れなかったのか?」


「一人だけ、灰色のマントを着た者が、街道から離れた尾根に現れました。石標へは近づかず、こちらをうかがった後、すぐに森へ戻っています」


 ベッツが顔をしかめた。


「俺に仕事を持ってきた男も、灰色のマントを着ていました。顔は見ておりませんが、背格好は近いと思います、大将」


「追ったのか?」


「はい」


 ハイムがうなずく。


「気づかれぬ距離を保って追跡しました。しかし、男は森を抜けると人通りの多い街道へ入りました。そこでマントを脱いだのか、同じ姿を見つけることはできませんでした」


「それでいい。無理に追って、お前まで捕まる方がまずい」


 赤い布の結び方を知っている者は限られている。それでも近づかなかったのなら、相手はベッツたちに何かが起きたと気づいている。


 ニーナの誘拐に失敗したこと。ベッツたちが捕らえられたこと。あるいは、石標が見張られていることまで察しているのかもしれない。


「もう接触してくるつもりはない、ということでしょうか?」


 ニーナが不安そうに尋ねた。


「少なくとも、同じ方法では来ないだろう」


「申し訳ございません、大将」


 ベッツが頭を下げる。


「俺が顔さえ見ていれば、もっと――」


「知らないものは仕方がない。今はこれ以上、追わなくていい」


 悔しくないわけではない。捕まえたベッツたちを使い、依頼人まで一息にたどり着くつもりだった。だが、相手が罠に気づいた以上、同じ場所へ人を置き続けても意味はない。むしろ、こちらの動きを探られるだけだ。


「石標から布を外せ。見張りも終わりだ。全員、普段どおりに動け」


「諦めるのですか?」


 ニーナの問いに、俺は首を横へ振った。


「今は、だ。手がかりがなくなったまま闇雲に動けば、関係のない者まで疑うことになる。別の糸が見つかるまで、この件は止める」


 以前の歴史では、ニーナをさらわせた者の存在すら知らなかった。今は違う。誰かが明確な意思を持ち、男爵家で働くニーナを狙っていると分かっている。一度消えた跡も、相手が次に動けば必ずどこかへ残る。


「必ず捕まえる」


 俺はニーナを見た。


「それまで、屋敷の外へ一人で出るな。買い物も山菜採りもだ。俺か、信用できる者を必ず連れていけ」


「ですが、皆様にはそれぞれお仕事がございます。私のためにお手を煩わせるのは……」


「これは頼みではない」


 ニーナの言葉を遮る。


「命令だ。二度と、一人で外へ出るな」


 こはく色の瞳が、まっすぐに俺を見つめる。やがてニーナは、静かに頭を下げた。


「かしこまりました。必ず、お守りいたします」


「それでいい」


 俺が必ず守る。だが、守ると決めた相手を、常に自分の目が届く場所へ置いておくことはできない。だからこそ、ニーナ自身も鍛える。俺の手が届くまでのわずかな時間を、自分で生き延びられるように。



 屋敷へ戻り、家族と朝食を取った後。俺は父上から借りたマジックバッグを腰へ下げ、冒険者ギルドへ向かった。最初に受けた依頼は、炭焼き小屋へ続く道に現れるフォレストウルフの退治だった。


 退治指定数は八体。魔の森へ入る前、受付のミレイへ冒険者証を見せ、向かう場所と受けた依頼を伝える。


「アレス様。本当に、お一人で向かわれるのですか?」


「そのための特別試験だったはずだ」


「分かってはおりますが……日没までには必ずお戻りください。危険を感じた時は、依頼を放棄しても構いません」


「分かった」


 森へ入り、炭焼き小屋へ続く道を半刻ほど進むと、すぐに群れの跡が見つかった。折れた枝。土へ残った足跡。木の幹へつけられたつめ痕。風下から獣の臭いを確かめ、道を外れる。見つけた群れは、十八体だった。


 依頼の倍以上いる。普通のCランク冒険者なら、一人で相手をする数ではない。俺は木々の間へ入り、群れの前へ姿をさらした。先頭の一体が低くうなる。左右から二体が回り込み、その後ろで残りの魔狼が間合いを測っていた。統率が取れている。


 最初の実戦相手としては悪くない。


「来い」


 右から飛びかかってきた一体のあごを、下から拳で打ち抜く。身体が浮き上がり、後ろの木へたたきつけられた。二体目のつめを半歩下がってかわし、伸び切った前脚をつかむ。そのまま身体を振り回し、三体目へぶつけた。骨が砕ける音が、二つ重なる。


 今の身体でも、一体ずつ倒すだけなら難しくない。だが、今日の目的は退治だけではなかった。次に襲いかかってきた魔狼のつめを、俺はあえて左腕で受けた。皮膚が裂け、血が飛ぶ。痛みと傷の深さを確かめる。浅い。もう一度。同じ個体にすきを見せ、今度は右肩をかませる。牙が肉へ沈む直前、筋肉を締めて深さを抑えた。


「この程度か」


 魔狼の頭をつかみ、地面へたたきつける。何も考えずに攻撃を受けているわけではない。


 首、目、心臓、太い血管。致命傷へつながる場所は外し、いつでも倒せるよう一体ずつ孤立させる。受けた傷と残っている魔力を確かめながら、限界へ近づけていく。


 弱い攻撃を一度受けただけでは、耐性は身につかない。同じ種類の傷を負い、再生し、また受ける。その積み重ねによって、身体は少しずつ攻撃へ適応していく。


 十一体目のつめを受けた時、最初とほぼ同じ方向、同じ力だったにもかかわらず、傷はわずかに浅かった。皮膚が硬くなったわけではない。つめが触れた瞬間、身体が自然に力を逃がしている。斬撃への耐性が、ようやく俺の身体へ根づき始めた証拠だ。無効化などではない。


 今のうちに育てるための、最初の種にすぎない。群れをすべて倒した後、俺の両腕と肩には無数の傷が刻まれていた。それでも、魔力にはまだ十分な余裕がある。死骸をマジックバッグへ収納し、森の中をさらに進む。


 途中でホーンラビットの突進を腹と太ももへ受け、グリーンスライムの酸液を手の甲へ浴びた。角を受けるたびに衝撃を逃がす身体の動きが洗練され、酸を浴びた箇所も、初めに比べれば焼ける痛みがわずかに弱くなっていく。


 《刺突耐性》に加え、《斬撃耐性》と《酸耐性》。どれも、まだ大きな攻撃を防げるほどではない。それでも、同じ攻撃を百回、千回と受ける戦いになれば、このわずかな差が生死を分ける。


 陽が傾き始めたところで、俺は街道へ戻った。傷そのものは多いが、命に関わるものはない。この状態で次の群れと戦うのは、必要のない危険になる。森を出る直前まで周囲を警戒し、街道へ出たところで《超再生》を発動した。裂けた皮膚が塞がり、かみ跡が消え、失った血まで補われていく。破れた服までは直らないため、マジックバッグから替えの服を取り出した。父上が、必要な物はできる限り持っていけと言ったが、マジックバックを借りる事ができたのは本当にありがたかった。



 冒険者ギルドへ戻ると、ミレイが俺の姿を見て安心した。


「お帰りなさいませ。おけがはございませんか?」


「ない。森にも異常はなかった」


「それは何よりです。退治は――」


「終わった」


 裏手の買い取り場へ移動し、マジックバッグからフォレストウルフを取り出す。一体。二体。三体。五体目で、解体担当の男が目を見開いた。八体目で、ミレイが依頼書を見直した。


 十体目を越えると、近くにいた冒険者たちが集まり始めた。最後の十八体目を置いた時には、買い取り場の床が魔狼で埋まっていた。


「依頼は、八体の退治だったはずですが……」


「群れに十八体いた」


「それを、お一人で?」


「そうだ」


「退治証明だけでなく、すべて持ち帰られたのですか?」


「牙だけより、毛皮もつめも魔石もあった方が高く売れるだろう」


「それは、もちろんでございますが……」


 ミレイは、十八体の魔狼と俺を何度も見比べた。依頼達成の報酬。指定数を超えた魔狼の退治報奨。牙、つめ、毛皮、魔石を含む死骸の買い取り。


 初日だけで、普通のCランク冒険者が数日かけて得る額を稼ぐことになった。だが、三人を迎えるには、まだ足りない。


「明日も来る」


 金をマジックバッグへ入れ、俺はギルドを後にした。



 夕食までには必ず屋敷へ戻る。それが、父上と交わした約束だ。


「兄様、今日は何を倒したのですか?」


「魔狼だ」


「何頭ですか?」


「十八体」


 弟と妹が目を丸くした。母上は俺の手と顔へ傷がないことを確かめ、それからようやく安心したように笑う。父上は違った。


「依頼は無事に終えたのだな?」


「はい」


「森に異変はなかったか?」


「ありません。魔物の数も生息域も、学んだ内容と大きな違いはありませんでした」


「そうか。それならよい」


 父上がわずかにうなずく。


「ところでアレス。朝に着ていた服と違うようだが」


「魔狼のつめで破れました」


「けがは?」


「ありません」


「服だけが破れたのか?」


「最終的には」


 父上のまゆの間へしわが寄った。


「その言い方は、途中にはけがをしたという意味ではないのか?」


「父上。今日の肉料理も美味しいです」


「話を逸らすな」


 母上が口元へ手を当て、弟と妹が楽しそうに笑った。家族と囲む食卓は、今日も温かい。朝と夕方。一日に二度、家族と同じ食卓を囲む。


 滅びた未来では、望んでも二度と戻らなかった時間だ。だから、どれだけ忙しくても、この約束だけは破らない。


 夕食を終えると、旧屋内訓練場へ向かった。床へ座り、身体に残った魔力を細く長く巡らせる。


 指先。腕。胸。腹。脚。一日の再生で魔力が減っているからこそ、無駄なく操る訓練になる。魔力を尽きさせないぎりぎりまで使い、今度は闘気を全身へ巡らせた。骨、筋肉、皮膚。必要な場所へ必要な量だけ通し、一滴も外へ漏らさない。


 魔力操作。闘気の訓練。終われば、ベッドへ入る。目を閉じると、すぐに眠りへ落ちた。


 そして夜明け前には起き、また旧石切り場へ向かう。配下を鍛える。朝食を取る。冒険者として魔の森へ入り、依頼を果たし、身体を鍛え、素材を持ち帰る。夕食には家族のもとへ戻り、夜は魔力と闘気を磨く。これが、俺の新しい一日になった。


 七日間で、三人を迎えるための金を稼ぐ。その初日は、まだ始まりにすぎない。

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