第61話 三人の配下候補
父上からマジックバッグを借りた後、俺は森へ持っていく物をニーナと確認した。
水、携帯食、着替え、雨除けのマント、包帯、傷薬、解毒薬、火起こしの道具。俺自身には不要な物もあるが、森で傷ついた冒険者や領民を見つける可能性もある。
マジックバッグへ余裕がある以上、持っていかない理由はない。準備を終えても、夕食まではまだ時間があった。魔の森へ入る前に、もう一つ確かめておきたいことがある。
俺は目立たないマントへ着替え、屋敷を出た。向かったのは、領都の西側にある奴隷商の店だ。表通りから一本入った場所に建つ、二階建ての石造りの建物。看板に刻まれているのは、鎖でつながれた二つの手だ。
以前なら何とも思わなかっただろう。だが、ニーナが奴隷として売られかけたばかりの今は、あまり気分のよい印には見えなかった。
扉を開けると、帳場にいた男が顔を上げた。セルジュだ。俺の姿を認めた瞬間、椅子を蹴るように立ち上がる。
「アレス様」
「声を抑えろ」
「も、申し訳ございません」
店内にいた従業員と客が、何事かとこちらを見た。俺はマントの頭巾を少し深く被る。
「奥で話す」
「かしこまりました。こちらへ」
セルジュは従業員へ帳場を任せ、俺を建物の奥へ案内した。鍵のついた扉を二つ抜けた先に、奴隷たちが暮らす区画がある。石切り場で命令してから、まだ日も浅い。それでも、以前より環境は改善されているようだった。
床には新しいわらが敷かれ、水おけの水も濁っていない。窓は小さいが、空気を入れ替えるために開けられている。手かせや足かせをつけられた者も、今見える範囲にはいなかった。
「扱いを変えたのか?」
「はい。逃亡や他者を傷つける恐れがある者を除き、縛りは外しました。食事も、一日二度から三度へ増やしております」
「当然だ。売るまでに弱らせれば、商品として考えても損をする」
「おっしゃるとおりでございます」
「それだけではない。人として扱え」
「はい」
セルジュが深く頭を下げる。その顔には、以前のような金だけを見ている卑しさはなかった。主従契約で悪事を禁じたから従っているだけなのか。それとも、本当に自分のしてきたことを変えようとしているのか。判断するには、まだ時間が必要だ。
「怪しい経路から来た者は?」
「新たな買い付けは、すべて止めました。現在は、以前から店にいた者と、借金を返すため奴隷になることへ本人が同意した者だけでございます。不当に売られた可能性がある者については、出身地と、ここへ来た事情を調べ始めております」
「そのまま続けろ。犯罪奴隷と、行き場を失った者を同じように扱うな。本人へ説明せず、契約を増やすことも許さない」
「契約に定めたとおり、必ず守ります」
「今日は、ここにいる者を全員見せろ」
セルジュがわずかに目を見開いた。
「お買い上げになるおつもりでしょうか?」
「まだ決めていない。まず見る」
「承知いたしました」
セルジュの案内で、区画を順に回る。農村が凶作に見舞われ、家族を食べさせるため自ら契約した男。商売に失敗し、借金を返すまで働くことになった夫婦。盗みを繰り返し、罰として売られた若者。雇い主に賃金を持ち逃げされ、故郷へ戻る金さえ失った者。奴隷となった理由は、一人ずつ違う。
俺は歩きながら、右目へわずかに魔力を流した。
《鑑定眼》
視界に、一人一人の名前と能力が浮かぶ。《農耕》《伐採》《採掘》《裁縫》《清掃》《荷運び》。今後、領地を支えるうえで役立つ能力は多い。だが、スキルが役に立つというだけで、全員を引き取ることはできない。本人が何を望み、どう生きたいのかも確かめなければならない。
それに、今の俺が必要としているのは、命令された仕事だけをこなす者ではなかった。自分で考え、いずれはほかの者を導ける人材だ。最初に足が止まったのは、壁際へ座る大柄な男の前だった。
三十代半ばほど。伸び放題の黒髪とひげに顔を覆われ、右脚を投げ出すように座っている。身体は痩せているが、肩幅と左手の指の節を見れば、長く武器を扱っていたことが分かる。
一方で、膝の上に置かれた右腕は不自然なほど動いていない。男がゆっくりと顔を上げた。目は死んでいない。だが、右手の指はわずかにも動かなかった。俺は右目に浮かんだ名前と能力を確認する。続いて、右膝と右腕へ意識を向けた。砕かれた膝は、骨も、骨と筋肉をつなぐ筋も、ゆがんだまま固まっている。右肩から先は神経がひどく傷つき、力を込めるどころか、指先の感覚さえほとんど失われていた。
「この男は?」
「元兵士だと聞いております。部隊を追われた後、傭兵となりましたが、護衛中に魔物の襲撃を受け、右脚と右腕を負傷しました。右利きであったため、今は武器を握ることもできません」
「治療は?」
「強い治癒魔法も試したそうですが、傷を負ってから日が経ちすぎていたため、元には戻らなかったと。治療費を払えず、借金を返すため奴隷となった者です」
「部隊を追われた理由は?」
「詳しくは話そうとしません」
「後で本人から聞く」
右脚も、右腕も、失われてはいない。傷ついた状態で治癒し、身体がそれを今の形だと覚えてしまっているだけだ。ならば、傷を負う前の状態まで《超再生》させればいい。
次に目を引いたのは、十五歳ほどの少女だった。薄い茶色の髪を肩口で切りそろえ、細い身体をさらに小さくするように座っている。ほかの奴隷がせきをすると、すぐに水を渡し、背中へ手を添えていた。
少女自身の指先には、薬草を扱う者に特有の色が染みついている。その少女が立ち上がろうとして、不意に口元を押さえた。
「大丈夫です。少し、せきが出ただけですから」
周囲を心配させまいと笑っているが、呼吸は浅く、顔色も悪い。《鑑定眼》に浮かんだ能力を見た後、俺は少女の胸元へ意識を向けた。肺の一部がひどく傷つき、硬くなっている。大量の薬毒を含んだ煙を吸った跡だ。治癒魔法によって悪化だけは抑えられているが、このままでは満足に走ることも、長時間の調合を続けることもできない。放置すれば、いずれ命にも関わる。
「この娘は?」
「薬師のもとで見習いをしていたそうです。調合中の薬品が爆発した際、薬毒を含む煙を吸い込み、肺を傷めたと聞いております。その事故で師が亡くなった後、店と治療の借金を押しつけられました。本人は、働いて返すことに同意しております」
「その借金は、本当にこの娘が負うべきものか?」
「現在、調べております」
「調べた結果は、必ず俺へ報告しろ」
「かしこまりました」
肺そのものが損なわれている以上、通常の治癒魔法では元に戻せない。だが、まだ生きている。生きているのなら、俺の《超再生》で取り戻せる可能性はある。
最後の一人は、区画の最も奥にいた。十二歳ほどの獣人の少年だ。灰色の耳を伏せ、こちらを警戒するように見ている。人が近づくとおびえるのではなく、同じ部屋にいる幼い子供たちをかばうように前へ出た。左袖は、肘の少し下で固く結ばれていた。
その先にあるはずの腕はない。片腕しかなく、身体も痩せている。それでも、幼い子供たちを背後へ隠す動きに迷いはなかった。右目に浮かんだ名前。そして、並んだ能力。今まで見てきた者の中で、同じものを持つ者はいなかった。
「この少年は、なぜここにいる?」
「故郷の集落が魔物に襲われた際、年下の子供をかばい、左腕を失ったそうです。その後、生き残った子供たちと逃げる途中で人買いに捕まりました。私の店へ来た時には、すでに奴隷契約を結ばれておりました」
セルジュの声がわずかに沈む。
「以前の私は、経緯を知りながら買い取りました」
「契約を解除できるか?」
「可能です。ただし、契約に記された借金をすべて払わなければなりません。店が買い取る時に支払った金もございますので、安い額ではございません」
「腕を失ってから、どれほど経っている?」
「半年ほどかと」
俺は少年の左腕へ視線を向けた。傷口はすでに塞がり、古い傷跡となっている。通常の治癒魔法では、存在しない腕を生やすことなどできない。
だが、《超再生》ならば。失われた腕も、魂と身体に刻まれた本来の形から再生できる。少年は俺たちの会話を理解しているはずだ。それでも何も言わず、子供たちを守るようにこちらをにらんでいる。その目でいい。主人が現れたからといって、何も考えず尻尾を振る者より、守るべき相手のために警戒できる者の方が信用できる。
区画をすべて見終え、俺はもう一度、三人のいる方向へ視線を向けた。
利き腕と右脚を失ったも同然の元傭兵。
薬毒によって肺を傷めた薬師見習い。
左腕を失った獣人の少年。
三人とも、今の俺の配下にはない力を持っている。そして三人とも、身体の一部と共に、自分の未来まで奪われていた。だが、まだ終わってはいない。失ったものがあるのなら、取り戻せばいい。俺は名前も能力も、治すべき場所も、すべて記憶へ刻んだ。
もっとも、能力があるというだけで従わせるつもりはない。奴隷契約で縛れば、命令どおりに動かすことはできるだろう。しかし、それでは俺が求める者にはならない。
「セルジュ」
「はい」
「あの三人を引き取るために必要な金額を出せ」
「三人とも、お買い上げになるのでしょうか?」
「まだ決めていない。まず、本人たちと話す」
なぜここにいるのか。何を失い、これから何を望んでいるのか。すべて聞いたうえで、それでも俺と共に来る意思があるのかを確かめる。
「俺が欲しいのは、命令されなければ何もできない人形ではない。自分の頭で考え、自分の意思で働く者だ」
「奴隷の意思を、お確かめになるのですか?」
「当然だ」
セルジュは一瞬だけ目を見開いた後、手にしていた帳簿をめくった。それぞれを買い取った金額、契約に記された借金、これまでにかかった食費と治療費。確認を終えたセルジュが、三人を引き取るために必要な金額を告げる。
十二歳の子供が自由にできる額ではなかった。父上へ頼めば、用意してくれるかもしれない。だが、三人はアークハルト家の使用人としてではなく、俺自身の配下候補として選んだ者たちだ。ならば、迎えるための金も俺が用意する。
「七日、待ってくれ」
「七日、でございますか?」
「その間、三人をほかの者へ売らないでほしい。必要な金は、俺が用意する」
「アレス様のご命令とあれば、何日でも――」
「違う」
俺はセルジュの言葉を遮った。
「命令して、お前の商売に損をさせるつもりはない。七日間待たせる分も含め、正当な金額を支払う」
「しかし、これほどの額を、わずか七日で……。領主様へお願いなさるのでしょうか?」
「父上の金には頼らない」
「では、どのように?」
「冒険者として稼ぐ」
セルジュが言葉を失った。無理もない。普通の冒険者なら、何か月もかけて稼ぐ額だ。だが、普通に稼いで間に合わないのなら、普通ではない稼ぎ方をすればいい。
依頼を達成し、魔物を倒し、価値のある素材を余すことなく持ち帰る。父上から借りたマジックバッグがあれば、ほかの冒険者が運びきれずに諦める素材まで、すべて回収できる。実戦で身体を鍛える。必要な耐性を獲得する。そして、三人を迎えるための金を稼ぐ。
「セルジュ。七日だけだ」
しばらく俺を見つめていたセルジュは、やがて深く頭を下げた。
「かしこまりました。七日間、あの三人をどなたにもお売りいたしません」
「必ず、それまでに戻る」
明日から、Cランク冒険者としての活動が始まる。最初の目標は決まった。七日間で、三人を迎えるための金を用意する。冒険者として、大金を稼がせてもらおう。




