第60話 聖女の成長3
聖女リシア・フォン・アルトリア視点
「先ほどは、驚きました」
会議室から母の部屋へ戻る途中、母が言った。
「申し訳ございません。勝手に発言してしまいました」
「謝っているのではありません。うれしかったのです」
「うれしい?」
「ええ。二か月前のあなたなら、重臣たちの考えに疑問を感じても、自分が我慢すればよいと黙っていたでしょう」
否定することができなかった。聖女に選ばれた日の私は、自分が大神殿で暮らすことになっても、皆のために必要なら従わなければならないと思っていた。嫌だと言ってよいと、母に教えられるまで。
「アレス様が、少しうらやましかったのです」
「なぜですか?」
「自分の進む道を、自分で決めているからです」
特別試験に合格しても、ギルド長は年齢を理由にDランクから始めるよう求めたという。アレス様は、それを受け入れなかった。
試験の目的と、自分がすべての項目に合格した事実を示し、互いが責任を果たせる条件を自ら提案した。その結果、大人たちは考えを変え、Cランク登録を認めた。
「わたくしは、聖女として誰を治すのかも、どこへ行くのかも、一人では決められません」
「それが不満ですか?」
「必要なことだと分かっています。わたくし一人では、誰の治療を優先すべきか、正しく判断できません。護衛を置かずに外へ出れば、皆へ迷惑をかけることも分かります」
「では、何がうらやましいのでしょう」
少し考えた。
「アレス様は、できないと言われた時に、自分の考えを伝えました。そして、大人たちに認めてもらいました」
「あなたも、先ほど同じことをしたではありませんか」
思わず、足を止めた。
「わたくしが?」
「ええ。王国のためだとアレス様の行き先を決めようとした大人たちへ、本人の意思を確かめるべきだと伝えました。あなたの言葉で、お父様は王家の方針を明確になさいました」
「ですが、わたくしは、アレス様の答えを借りただけです」
「学んだ言葉を、自分で考えて使ったのでしょう。それは借りただけとは申しません」
母が柔らかくほほ笑む。
「自分の人生を自分で決めるということは、何もかも一人で行うことではありません。必要な時に助けを求め、違うと思った時には考えを伝え、そのうえで自分が納得できる道を選ぶことです」
二か月前、母から言われた言葉を思い出した。どのような聖女になるかは、自分自身で決められる。すべてを自由にできなくても、何も決められないわけではないのかもしれない。
「お母様」
「何ですか?」
「アレス様へ、お手紙を書いてもよいでしょうか?」
母は驚かなかった。
「何をお書きになるのですか?」
「試験に合格したお祝いと……聞いてみたいことがあります」
「なぜ、あれほど強くなろうとしているのか?」
「はい。それから、どうして誰かが死ぬことを最初から諦めてはならないと、十二歳で考えられるようになったのか」
「あなたが第一王女として手紙を送れば、アレス様は王家から目的を問い質されたと感じるかもしれません」
「聖女として送っても、同じですか?」
「聖女から直接手紙が届けば、さらに大きな意味を持つでしょう」
王女から男爵家の跡継ぎへ送られる手紙。たとえ私が純粋に質問しただけでも、周囲は王家がアークハルト家へ特別な関心を向けていると考える。
ユリウスお兄様を王太子に推す動きと結びつける者も現れるかもしれない。私は、アレス様が誰かに進む道を決められることを嫌だと思った。それなのに、自分の立場で相手を縛るようなことはしたくない。
「では、今はやめておきます」
「よいのですか?」
「はい。お返事をしなければならないと思わせたくありません」
「そうですか」
「ですが、いつかお会いしてみたいです」
「王女としてですか? それとも、聖女として?」
私は少しだけ迷った後、首を横へ振った。
「どちらでもありません」
「では、何として会いたいのです?」
「リシアとして、お話ししてみたいです」
その答えを聞き、母が優しく目を細めた。
「それは、少し難しい願いかもしれませんね」
「はい」
「けれど、不可能ではありません」
「本当ですか?」
「アークハルト領は、グランベル領の隣です。セレスティアに会いに行く機会があれば、自然にアレス様と顔を合わせることもあるでしょう」
セレス。その名前を聞いた時、廊下の向こうから侍女が近づいてきた。
「第二王妃様。リシア様。グランベル辺境伯領から、王家の伝書魔鳥が到着いたしました」
「ローズからですか?」
「セレスティア様から、リシア様宛てのお手紙でございます」
母と顔を見合わせた。
「ずいぶんとよい時に届きましたね」
「はい」
部屋へ戻り、届けられた手紙を開く。書き出しから、いつものセレスらしい勢いのある文字が並んでいた。
『親愛なるリシアへ。
今日、アレス君が冒険者になったという報告を読みました。
リシアも、王都ですでに知っている?
ローガンに、今の私では百回戦っても勝てないと言われました。
とても悔しいです。
だから、百回で勝てないなら、百一回目に勝つことにしたの。
今日からアレス君は、私の好敵手です。
次に会った時は、必ず訓練試合を申し込むつもりです。
リシアがグランベル領へ来る時は、一緒にアークハルト領へ行こうね。
私がアレス君と戦った後で、リシアにも紹介するわ。
セレスティアより』
最後まで読み、思わず小さく笑ってしまった。
「何と書かれていたのですか?」
「アレス様を好敵手と定めたそうです」
「まだ、お会いしたこともないのでしょう?」
「はい。ですが、セレスですから」
勇者になっても、セレスは何も変わっていない。強い相手がいると知れば、落ち込むより先に追いつこうと走り出す。
百回勝てないと言われても、百一回目には勝つと言い切る。少しだけうらやましく、同じくらい心配になった。私は便箋を用意してもらい、すぐに返事を書き始めた。
『親愛なるセレスへ。
王都にも、アレス様の報告が届きました。
百一回戦う前に、まずはご挨拶をしてください。いきなり訓練試合を申し込んでは、アレス様も困ってしまいます。
それから、強い相手と戦う時ほど、無茶をしてはいけません。
わたくしも、アレス様にお会いしてみたいです。
強さを確かめたいのではありません。
なぜ、あれほど急いで強くなろうとしているのか。
どうして、誰かの命を最初から諦めてはならないと考えるようになったのか。
お会いできたら、聞いてみたいと思っています。
あなたがアークハルト領へ行く時は、必ずわたくしにも教えてください。
あなたの従姉妹、リシアより』
書き終えた手紙を読み返す。まだ会ったこともない相手について、セレスとこれほど言葉を交わすことになるとは思わなかった。
「リシア」
母に呼ばれ、顔を上げる。
「楽しそうですね」
「そう見えますか?」
「ええ。今日、大神殿から戻った時より、ずっと」
自分の胸へ、そっと手を当てた。
治せない人の多さを思い、重くなっていた心が、少しだけ軽くなっている。アレス様の言葉が、すべてを解決してくれたわけではない。
明日になれば、大神殿にはまた大勢の人が訪れる。救えない人もいる。どれほど力を尽くしても、届かない命があるかもしれない。それでも、最初から諦める必要はない。
今の自分に使えるものを、すべて使う。足りなければ学び、誰かの力を借り、それでも手を伸ばし続ける。会ったこともない十二歳の少年から、聖女である私が教えられた。
「明日の治療について、老神官と相談してみます」
「人数を増やすのですか?」
「いいえ。今のまま無理に増やせば、治療に失敗するかもしれません。治癒師や薬師の方々が、どのように大勢の患者を診ているのか教えていただきます」
「それを学んで、どうするのです?」
「わたくし一人の魔力だけで治そうとするのではなく、皆さんと一緒に、もっと多くの方へ手を伸ばせる方法を考えます」
「よい答えです」
母がほほ笑んだ。私はもう一度、手紙へ目を落とした。
アレス・アークハルト。
大人たちを相手に、自分の進む道を自分の言葉で認めさせた少年。
誰か一人が死ぬことを、最初から諦めてはならないと言った少年。セレスにとっては、生まれて初めてできた同じ年の好敵手。
そして私にとっては――。
聖女でも、第一王女でもない。ただのリシアとして、会って話してみたい。
そう思った、初めての男の子だった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
これにて第五章 『勇者、聖女、成長編』終了となります。
次章は
『冒険者活動編』になります。
次章もお楽しみください。




