第59話 聖女の成長2
聖女リシア・フォン・アルトリア視点
「王国の記録に残っている限り、最年少です」
宰相が答え、実戦試験の結果を続けて説明した。相手は、元Bランク冒険者。アレス様は武器も防具も身につけず、闘気も魔法も使わなかった。そして、開始から三呼吸も経たないうちに相手を投げ倒し、拳をのど元へ止めた。
「三呼吸……」
あまりにも短すぎて、戦っている姿を想像することさえ難しかった。
「試験官は、身体能力だけならBランクへ届くかどうか。しかし、技術と戦闘中の判断力はAランク冒険者以上と評価しております」
「それが事実なら、今のうちに王都へ招くべきでしょう」
一人の重臣が口を開いた。
「王都へ招き、王国が責任を持って教育することも検討すべきです」
「十二歳でこれほどの力を持つなら、将来は騎士団の中心となる人物です。国外へ名が広まる前に、王国との結びつきを強めておく必要があるかと」
「アークハルト家は第二王子ユリウス殿下とも近いグランベル家の隣領です。この機会に、より確かな関係を――」
「本人は、王都へ来ることを望んでいるのですか?」
気づけば、声を発していた。重臣たちの視線が、一斉に私へ向けられる。
「それは……報告には記されておりません」
「では、王都で教育を受けたいとは?」
「そのような申し出もございません」
「それなのに、もう王都で何をさせるかを決めるのですか?」
会議室が静かになった。責めるつもりはなかった。けれど、先ほどまでの話を聞いていると、胸の奥が落ち着かなかった。
聖女に選ばれた直後、大神殿で暮らすべきだ、王選のためにユリウスお兄様の傍へ置くべきだと、大人たちは私の行き先を決めようとした。
今、アレス様はこの場にいない。まだ一度も王都へ来たいと言っていないのに、その力を知っただけで、同じように進む道を決められようとしている。
「リシア殿下。優れた才能を王国のために育てることも、我々の責務でございます」
「はい。そのことは分かります」
私は宰相が持つ報告書へ目を向けた。
「ですが、その方の判断力を高く評価しているのであれば、本人の意思を確かめるべきではありませんか?」
「と、おっしゃいますと?」
「先ほど、知識と判断力の試験にも合格したと伺いました。報告書には、護衛対象から報酬を倍にすると言われても、命を危険にさらす道なら拒むと答えたと記されているのですよね」
「はい。金を受け取ることではなく、目的地まで生きて届けることが護衛の役目だから、と」
「でしたら、わたくしたちも同じではないでしょうか」
重臣たちがわずかに顔を見合わせる。
「王国のためという言葉で、本人が望んでいない道を進ませるのは、報酬を理由に危険な道を選ばせることと、あまり変わらないように思います」
言い終えた途端、自分が国王や重臣たちの前で何を言ったのかに気づいた。礼を欠いたつもりはない。それでも、十二歳の王女が口を挟んでよい話ではなかったかもしれない。
「申し訳ございません。差し出がましいことを――」
「謝る必要はない」
父が私の言葉を遮った。怒ってはいなかった。むしろ、どこか満足そうに見える。
「リシアの言うとおりだ。ガレスは、長年にわたって魔の森から王国を守り続けている。忠誠を疑う理由もなければ、その跡継ぎを手柄も意思も無視して召し出す必要もない」
「しかし陛下。他国が接触する可能性もございます」
「だからこそ、王家の側から信頼を損なうような真似をしてはならぬ。優れた者をつなぎ止めるのは命令ではなく、信頼だ」
父が会議室を見渡す。
「ガレスへ祝いの手紙を送る。アレス本人にも、王家がその働きを正当に評価していると伝えよ。ただし、王都へ正式に呼び出すことも、王都での教育も命じない。本人が何を望み、何を目指しているのかを、まず確かめる」
「承知いたしました」
宰相が頭を下げた。ほかの重臣たちも異論を唱えなかった。
「話を戻そう」
父が告げる。
「アレス・アークハルトの価値は、戦う力だけではない」
判断力試験の最後には、勝てない魔物と遭遇し、仲間の一人が足を折った場合、どうするかという問いが出された。アレス様は誰かを犠牲にするのではなく、負傷者を背負い、全員で生還するために使える方法を一つずつ示したという。
「自分が死んででも仲間を逃がすとは、言わなかったのですね」
「ああ」
父がうなずく。
「報告には、こう記されている」
父が報告書を受け取り、その一文を読んだ。
「最初から誰か一人が死ぬことを前提にするのは、判断ではなく諦めだ。使えるものをすべて使い、それでも届かなかった最後に命を懸ける。順番を間違えるな」
胸の奥へ、その言葉が静かに沈んでいった。最初から、諦めてはならない。けれど、何でもできると言っているわけでもない。使えるものをすべて使う。それでも届かなかった、最後に。
二か月前から、私は何度も考えていた。聖女なのに救えない人がいたら、どうすればよいのだろう。今も、その答えは分からない。けれど、救えない人がいるかもしれないからといって、最初から手を伸ばすことを諦める必要はない。
一人で届かないなら、神官や治癒師の力を借りる。治癒魔法で治せない病なら、薬師の知識を学ぶ。今日三人しか治せないなら、明日は同じ魔力で四人を治せるように鍛える。できることを、すべてする。それは、老神官が先ほど教えてくれたことと同じだった。
「この方は、本当にわたくしと同じ十二歳なのですか?」
「年齢を偽っている形跡はないそうだ」
「どうして、十二歳でこのようなことを知っているのでしょう」
誰かを救えなかったことがある者の言葉のように感じた。けれど、それを口にすることはできなかった。
「私にも分からない」
父の表情から、わずかに笑みが消えた。
「実戦の技術だけではない。知識も、物事の考え方も、十二歳の子どもが身につけられる範囲を大きく超えている」
「それほどの力を持ちながら、なぜCランク冒険者になろうとしたのでしょうか?」
「魔の森へ入るためだ」
「魔の森へ?」
「Cランク以上でなければ、森の内部へ入ることは認められていない。アレスは、その資格を得るために特別試験を受けたそうだ」
「危険な場所なのですよね」
「ああ。アークハルト領の者にとって身近な森ではあるが、十二歳の子どもが一人で入るような場所ではない」
強いから、危険な森へ入りたい。それだけなのだろうか。元Bランク冒険者を三呼吸で倒せるほど強い。それでも、まだ足りないと考えているように思えた。
「何を、そんなに急いでいるのでしょう……」
小さくつぶやくと、父が私を見た。
「急いでいる?」
「はい。十二歳でCランクになるほど強いのに、さらに危険な森へ入ろうとしています。強くなることを楽しんでいるだけなら、試験であのような答えをするでしょうか」
父はすぐには答えなかった。報告書へ目を落とし、そこに書かれていない何かを探すように目を細める。
「確かに、何か目的があるのかもしれない」
「調べますか?」
一人の重臣が尋ねた。
「探るような真似はするな」
父は即座に答えた。
「祝いの手紙とともに、ガレスへ尋ねる。それで話せぬと言うなら、今はそれ以上踏み込む必要はない」
「承知いたしました」
会議は、それから間もなく終わった。重臣たちが退室した後も、私は報告書に記された名前を見つめていた。
アレス・アークハルト。
会ったことも、顔を見たこともない。それなのに、その人がどのような目で魔の森を見ているのか、知りたいと思った。




