第6話 取り戻した《魔眼》
食事を終えた俺は、一度自室へ戻った。父上が屋敷の主要な者を集めるまで、少し時間があるらしい。部屋の扉を開けると、ニーナが後ろからついてきた。
「何かお飲み物をご用意いたしましょうか?」
「いや、必要ない」
「では、お着替えを?」
「それも必要ない」
「お部屋のお掃除を――」
「ニーナ」
「はい」
「少し、一人にしてくれ」
ニーナの表情がこわばった。俺が一人になりたいと言えば、かつては決まって何かを壊していたからだろう。
「心配するな。物には当たらない」
「そ、そのような心配はしておりません」
していた顔である。
「父上に呼ばれたら知らせてくれ。それまでは、誰も入れるな」
「承知いたしました」
ニーナが扉を閉める。足音が遠ざかったことを確認し、俺は内側から鍵をかけた。鏡の前へ立つ。そこには、十二歳の黒髪の少年が映っている。まだ丸みの残る顔。細い首。細い肩。そして、何の力も宿していない二つの瞳。
「まずは、これを取り戻すか」
滅びた未来。俺は魔族との戦いで、右眼をえぐられた。再生する眼に求めたのは、元と同じ視力ではなかった。
魔力を見たい。相手の能力を見抜きたい。敵の肉体と、その弱点を見極めたい。術式の流れを読み、わずかな綻びを見つけたい。隠されたものを見抜ける眼が欲しい。そう強く願いながら《超再生》を使った結果、再生した右眼は、元とは異なる器官へ進化した。
魔力や能力。肉体の弱点。術式の構造。世界に隠されたものを見抜くための特殊な眼。《魔眼》。
最初から、すべてが見えたわけではない。生まれたばかりの《魔眼》が捉えられたのは、ごく身近な魔力。そして、相手が持つスキル、魔法、耐性を文字として認識する一つの力だけだった。《鑑定眼》。それが、《魔眼》へ最初に宿った機能だった。
戦いを重ねるたびに《魔眼》も傷つき、《超再生》によって修復と進化を繰り返した。やがて魔力の流れをより鮮明に捉えられるようになり。肉体のわずかなゆがみから、急所を見抜けるようになり。敵が構築した術式の弱点さえ、眼で見て理解できるようになった。だが、それは長い時間をかけて進化した末の力だ。
十二歳へ戻った今の身体で、全盛期と同じ《魔眼》をいきなり再現することはできないだろう。まず取り戻すべきなのは、最初の一歩。《鑑定眼》だ。
これから先、情報が何よりも重要になる。人の才能。敵の能力。仲間に必要な訓練。それらを早い段階で把握できれば、未来を変えられる可能性は大きくなる。
俺は鏡の前に椅子を置き、腰を下ろした。深く呼吸する。普通の人間が同じことをしても、ただ眼を失うだけだ。《超再生》を持っているだけでも足りない。かつて完成させた眼の構造を、魂へ刻みつけるほど記憶している俺だからこそできる。
「《追憶》」
意識の奥へ、ゆっくりと沈んでいく。《追憶》は、《超再生》から派生した力の一つだ。過去に見た光景や文字。忘れかけていた音。意識の奥へ沈んでいる記憶。それらを鮮明に呼び起こす。一度目にしたものなら、脳内でほぼ完全に再現できる。
俺は、滅びた未来で使っていた右眼を思い出す。眼球の構造。魔力を感知するために変化した細胞。情報を脳へ伝える神経。視覚と魔力感知を重ね合わせるために形成された器官。そして、その眼に最初に宿った《鑑定眼》。
何度も損傷し。何度も再生し。長い時間をかけて完成した《魔眼》。その最も初期の姿を、鮮明に思い描く。全盛期の完成形ではない。今の肉体でも再現できる、最初の段階。
「ただ元へ戻すのではない」
机の上に置かれていた細身のペーパーナイフを手に取る。食事は十分に取った。魔力も、ある程度は回復している。
今なら、《超再生》を一度だけ発動できる。そんな確信があった。先ほど父上から、自分の身体を大切にしろと言われたばかりだ。だが、未来を変えるために必要な力を取り戻すことまで、諦めるわけにはいかない。
「もう一度、《魔眼》へ進化させる」
刃先を、右眼の前へ運ぶ。鏡に映った十二歳の少年が、細い刃を自らの眼へ向けている。端から見れば、狂気の沙汰だ。実際、正気の人間がすることではない。
だが、必要なことだ。痛みを恐れて、未来は変えられない。俺は迷わず、刃を右眼へ突き刺した。すぐに引き抜く。一瞬。右側の視界が、赤く弾けた。焼けるような激痛が、目の奥から頭の奥まで突き抜ける。
「ぐっ……!」
歯を食いしばる。
痛い。
痛い。
痛い。
発狂しそうなほどの激痛が、頭の中を駆け巡る。七十年以上生きても、痛いものは痛い。今の十二歳の肉体には、痛みに対する耐性がまるでない。だが、意識は手放さない。ここで気を失えば、ただ眼を治しただけで終わってしまう。
「《超再生》」
潰れた右眼へ、魔力を集中させる。ただ治しては駄目だ。元の眼球へ戻すのではない。記憶の中にある《魔眼》。その最初の構造を再現する。損傷の状態を解析する。破壊された眼球へ魔力を通す。切断された神経をつなぐ。魔力を感知する細胞を形成する。情報を視覚として認識するための器官へ作り替える。《超再生》が、失われた眼を復元していく。だが、元どおりではない。傷つく前よりも優れた形へ。望んだ機能を持つ、新たな眼へ。
激痛の中で、温かな感覚が広がった。失われた視界が、少しずつ戻ってくる。暗闇。光。色。輪郭。そして――魔力。部屋の中に漂う、微かな魔力の粒。壁に残された生活魔法の跡。机の上に置かれた魔道具へ流れる、細い魔力。普通の眼では見えないものが、淡い光となって視界に浮かび上がった。
「ぐっ……!」
頭の奥を、無数の針で刺されたような痛みが駆け抜けた。情報が多すぎる。十二歳の脳が、変化した視覚へ追いついていない。眼から脳へつながる神経が、過剰な負荷によって傷ついていく。まだ続いている《超再生》が、その損傷まで修復していく。
俺は椅子の背へ身体を預け、右眼を閉じた。何度も深く呼吸する。余計な情報を遮断する。通常の視覚と、魔力を見る視覚を分ける。必要な時だけ、《魔眼》を発動させる。かつて行っていた制御を思い出しながら、少しずつ感覚を整えていく。
やがて痛みが弱まった。俺はゆっくりと右眼を開く。鏡の中。右の瞳には、以前にはなかった赤色の輪が浮かんでいる。成功だ。《魔眼》は、確かに再現された。
ただし、全盛期の《魔眼》とは比べものにならないほど弱い。今の眼で見えるのは、周囲に漂う魔力の存在程度。相手の肉体の弱点や、魔法術式の綻びまで見抜くことはできない。十二歳の身体。少ない魔力。たった一度の《超再生》。当然だろう。
だが、問題はない。《魔眼》そのものを取り戻すことには成功した。あとは、最初の機能が使えるかどうかだ。俺は鏡に映る自分へ意識を向ける。右眼の赤色の輪が、わずかに輝いた。
「《鑑定眼》」
視界の中に、淡い文字が浮かび上がる。
【スキル】
体術魔眼
【魔法】
無属性
【耐性】
痛覚耐性
刺突耐性
「……成功だ」
思わず、笑みが浮かんだ。《魔眼》は、間違いなく俺の右眼へ定着している。痛覚耐性と刺突耐性も獲得していた。ただし、まだ一度の経験によって芽生えただけだ。耐性そのものは低い。先ほどと同じように眼を刺せば、今度も相応の激痛を味わうことになるだろう。
そして、現在使える《魔眼》最初の機能が《鑑定眼》。他者や自分のスキル、魔法、耐性を見抜く力だ。ただし、《鑑定眼》は《魔眼》から派生した機能であり、独立したスキルではない。そのため、《体術》から派生した技と同じく、鑑定結果には表示されない。
ギフト《超再生》や、その派生能力である《再生》《追憶》も表示されていない。魂そのものへ刻まれたギフトと、その派生能力は、《鑑定眼》でも読み取ることができないからだ。だが、先ほど実際に《追憶》と《超再生》を使用した。表示されなくとも、残っていることは証明されている。
一方、《身体強化》や《闘気》は、まだ表示されていない。知識と技術は残っていても、この身体は、それらを扱える段階へ達していないということだろう。
無属性魔法も同じだ。無属性の適性が表示されていても、術式を発動できるとは限らない。生活魔法。空間魔法。滅びた未来で習得した術式の知識は残っている。だが、現在の肉体と魔力量では使用できない。一つずつ取り戻すしかない。
「それでいい」
最初からやり直せる。今度は無駄なく。最短で。俺は《鑑定眼》を解除した。続けて、《魔眼》へ流していた魔力を止める。右の瞳から赤色の輪が消え、外見上は普通の眼へ戻った。これなら、誰かに気づかれる心配も少ない。
もっとも、長時間使えば魔力を大きく消耗する。今の俺では、連続使用は難しいだろう。頭にも、わずかな痛みが残っている。《魔眼》を鍛えるには、使用と休息を繰り返し、眼と脳の両方を慣らす必要がある。魔力量の底上げも重要だ。
俺は水差しの水を使い、顔と刃に残った血を丁寧に洗い流した。跡をニーナに見つけられれば、何をしたのか問い詰められかねない。だが、焦ることはない。失った力を、一つ取り戻した。
まだ《魔眼》に宿っているのは、《鑑定眼》だけ。全盛期には遠く及ばない。それでも、この眼があれば、かつて見落としていたものを見つけることができる。敵の能力だけではない。仲間の才能。隠された可能性。身近にいながら、俺が知ろうともしなかった人々の価値。滅びた未来の俺は、あまりにも多くのものを見落としていた。
家族の愛情。使用人たちの忠誠。仲間たちの思い。失ってから、その大切さに気づいた。今度は違う。この眼で見る。見つける。そして、二度と見落とさない。十二歳へ戻って最初に取り戻した力は、敵を殺すための拳ではなかった。かつての俺が見ようとしなかったものを見つけるための――《魔眼》だった。




