第57話 勇者の成長3
勇者セレスティア・グランベル視点
「もちろん覚えているとも」
お父様が楽しそうに笑う。私は少し頬を膨らませた後、改めて手紙を見つめた。
「もしあの時の私が、アレス君のように、自分に何ができるのか、周りの方が何を心配しているのかを考えていたら……お父様を納得させられたのでしょうか」
「いいや」
はっきりと否定された。
「そこは、少し考えてください」
「考えても同じだよ。今のセレスを国境へ出すことはできない」
「では、アレス君と同じではありません」
「同じだよ」
お父様は笑みを消し、真っ直ぐに私を見る。
「今のアレス君には、魔の森の浅層から生きて戻るための力と知識がある。だからガレスは同意書を書き、ダリオ殿は推薦状を書いた。彼自身も、その信頼に応えられる条件を示した」
お父様の指が、手紙に記されたCの文字へ触れる。
「今のセレスには、国境で帝国兵と戦いながら、自分だけでなく周囲の兵士まで守る力がない。だから許可できない。勇者だから止めているのでも、アレス君だから許されたのでもない。背負える責任が違うんだ」
胸へ刺さる言葉だった。けれど、以前のように腹は立たなかった。アレス君は、自由に魔の森へ行けるのではない。自分にはその力があると証明し、何かあれば自ら責任を取ると示した。その結果として、森へ入ることを認められたのだ。
「なら、私も証明します」
「何をかな?」
「私にも、自分と周りの方を守る力があることです」
「すぐに国境へ出すつもりはないよ」
「分かっています。今すぐとは言いません」
それを認めることは、以前なら悔しかった。今は違う。足りないのなら、足りるまで鍛えればいい。知らないのなら、分かるまで学べばいい。アレス君がそうしたように。
「お父様」
「なんだい?」
「私は、アレス君と戦いたいです」
「やはり、そこへ戻るんだね」
お父様が声を上げて笑った。
「笑わないでください。真剣です」
「分かっているよ。ガレスと話した時から、いずれそうなると思っていた」
「アレス君は、受けてくれるでしょうか」
「それは、本人に聞かなければ分からないね」
「断られたら?」
「諦めるのかい?」
「いいえ。受けてくれるまでお願いします」
「相手の迷惑も考えなさい」
お母様に注意される。
「では、迷惑にならない回数にします」
「何回のつもりなのですか?」
「一日一回です」
「十分迷惑です」
今度はローガンがわずかに顔を背けた。口元が少しだけ動いたのを、私は見逃さなかった。
「ローガン、今、笑った?」
「いいえ」
「笑ったわ」
「気のせいでございます」
いつも無表情なローガンまで誤魔化している。お父様とお母様も顔を見合わせ、楽しそうに笑った。私だけが笑われているようで、少し納得できない。
「とにかく、私はアレス君に必ず勝ちます」
「百回戦っても難しいと言われたばかりだよ」
「ですから、百一回目に勝ちます」
私が言い切ると、お父様の目がわずかに見開かれた。やがて、とてもうれしそうに笑う。
「それでこそ、私の娘だ」
「負けず嫌いなところまで、あなたに似てしまいましたね」
「諦めないところが似たのだと思いたいな」
「同じことではありませんか?」
お父様とお母様の会話を聞きながら、私はもう一度、手紙の最初へ視線を戻した。アレス・アークハルト。
六週間ほど前、初めて話を聞いた時は、同じ年で、武器を使わず、二人の騎士を倒した変わった男の子というだけだった。いつか会ったら、少し話してみたい。できれば剣を交えてみたい。その程度に考えていた。けれど、今は違う。
私より強い。私より多くを学び、自分の進む道を自分の力で切り開いている。勇者という名を持たないのに、勇者である私よりはるか先を歩いている。悔しい。けれど、不思議と嫌ではなかった。追いつきたいと思える人がいる。追い越したいと思える相手がいる。
皆から勇者と呼ばれ、同じ年の子どもとは違うのだと言われるようになってから、初めてだった。
「この手紙を、いただいてもよいですか?」
「構わないよ。どうするんだい?」
「部屋に飾ります」
「飾るのですか?」
お母様が驚いたように尋ねる。
「はい。朝、目を覚ました時と、眠る前に見ます」
「アレス君の報告書を?」
「今日の悔しさを、忘れないためです」
「それなら、丁寧に扱いなさい。先ほどのように握り締めてはなりませんよ」
「気をつけます」
手紙を折り目に沿って丁寧に畳む。
「それでは、訓練へ戻ります」
「今日はもう十分ではないかい?」
「まだ午前中です」
「先ほどまで、五戦もしていたのだろう?」
「アレス君は、今日も訓練していると思います」
「張り合いすぎて身体を壊しては意味がないよ」
「分かっています。休むことも訓練です」
「それも、アレス君から聞いたのかい?」
「ガレス様がおっしゃっていました」
私は手紙を胸へ抱え、執務室の扉へ向かう。
「セレス」
お父様に呼び止められ、振り返った。
「一つだけ、覚えておきなさい」
「何でしょうか」
「アレス君に追いつくことを目標にするのは構わない。けれど、あの子と同じ道を歩く必要はない」
お父様の声は、おだやかだった。
「剣を持たずに戦うアレス君と、剣を選んだセレスでは、強くなるための道も、守れるものも違う。誰かを追うあまり、自分が何を守りたかったのかを見失ってはいけないよ」
私は少し考えた後、うなずいた。
「大丈夫です」
「なぜ、そう言い切れるんだい?」
「アレス君へ追いつきたいのも、追い越したいのも、強くなって皆を守りたいからです」
負けたくない。それだけではない。オーウェンたちが傷ついて戻った日、何もできなかった自分を覚えている。国境で戦う兵士も、この街で暮らす人たちも、いつか自分の力で守りたい。そのために進む道の先に、アレス君がいる。
「だから、見失いません」
「そうか」
お父様が満足そうにうなずいた。
「行っておいで」
「はい」
◇
訓練場へ戻ると、セドリックは別の騎士と打ち合っていた。ローガンは、私が戻ることを分かっていたように、先ほど置いた木剣の傍で待っている。
「休憩は終わったわ」
「そのようですな」
私は胸へ抱えていた手紙をミレイユへ預け、木剣を手に取った。
「ローガン。次は、相手をしてくれる?」
「まだ早いでしょう」
「勝てないことは分かってる」
「では、なぜ私を?」
「今までより強い相手と戦わなければ、今までより速く強くなれないわ」
ローガンは黙って私を見つめた。やがて、訓練場の端に立てかけてあった木剣を手に取る。
「一本だけです」
「十分よ」
向かい合い、木剣を構える。ローガンの構えには、どこにもすきがない。
先ほど戦ったセドリックとは、比べることさえできない。今の私では勝てない。おそらく、一度も剣を当てることはできないだろう。
それでも、胸は高鳴っていた。勝てない相手がいることは、恥ずかしいことではない。負けたままでよいと思うことの方が、ずっと悔しい。
「始め!」
合図が響く。私は、今出せるすべての力で踏み込んだ。
その日から、私にとってアレス・アークハルトは、いつか会ってみたい同い年の少年ではなくなった。必ず追いつき、必ず追い越す。
生まれて初めてできた、同じ年の好敵手となった。




