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怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う  作者:
第五章 勇者、聖女の成長編

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第57話 勇者の成長3

勇者セレスティア・グランベル視点


「もちろん覚えているとも」


 お父様が楽しそうに笑う。私は少し頬を膨らませた後、改めて手紙を見つめた。


「もしあの時の私が、アレス君のように、自分に何ができるのか、周りの方が何を心配しているのかを考えていたら……お父様を納得させられたのでしょうか」


「いいや」


 はっきりと否定された。


「そこは、少し考えてください」


「考えても同じだよ。今のセレスを国境へ出すことはできない」


「では、アレス君と同じではありません」


「同じだよ」


 お父様は笑みを消し、真っ直ぐに私を見る。


「今のアレス君には、魔の森の浅層から生きて戻るための力と知識がある。だからガレスは同意書を書き、ダリオ殿は推薦状を書いた。彼自身も、その信頼に応えられる条件を示した」


 お父様の指が、手紙に記されたCの文字へ触れる。


「今のセレスには、国境で帝国兵と戦いながら、自分だけでなく周囲の兵士まで守る力がない。だから許可できない。勇者だから止めているのでも、アレス君だから許されたのでもない。背負える責任が違うんだ」


 胸へ刺さる言葉だった。けれど、以前のように腹は立たなかった。アレス君は、自由に魔の森へ行けるのではない。自分にはその力があると証明し、何かあれば自ら責任を取ると示した。その結果として、森へ入ることを認められたのだ。


「なら、私も証明します」


「何をかな?」


「私にも、自分と周りの方を守る力があることです」


「すぐに国境へ出すつもりはないよ」


「分かっています。今すぐとは言いません」


 それを認めることは、以前なら悔しかった。今は違う。足りないのなら、足りるまで鍛えればいい。知らないのなら、分かるまで学べばいい。アレス君がそうしたように。


「お父様」


「なんだい?」


「私は、アレス君と戦いたいです」


「やはり、そこへ戻るんだね」


 お父様が声を上げて笑った。


「笑わないでください。真剣です」


「分かっているよ。ガレスと話した時から、いずれそうなると思っていた」


「アレス君は、受けてくれるでしょうか」


「それは、本人に聞かなければ分からないね」


「断られたら?」


「諦めるのかい?」


「いいえ。受けてくれるまでお願いします」


「相手の迷惑も考えなさい」


 お母様に注意される。


「では、迷惑にならない回数にします」


「何回のつもりなのですか?」


「一日一回です」


「十分迷惑です」


 今度はローガンがわずかに顔を背けた。口元が少しだけ動いたのを、私は見逃さなかった。


「ローガン、今、笑った?」


「いいえ」


「笑ったわ」


「気のせいでございます」


 いつも無表情なローガンまで誤魔化している。お父様とお母様も顔を見合わせ、楽しそうに笑った。私だけが笑われているようで、少し納得できない。


「とにかく、私はアレス君に必ず勝ちます」


「百回戦っても難しいと言われたばかりだよ」


「ですから、百一回目に勝ちます」


 私が言い切ると、お父様の目がわずかに見開かれた。やがて、とてもうれしそうに笑う。


「それでこそ、私の娘だ」


「負けず嫌いなところまで、あなたに似てしまいましたね」


「諦めないところが似たのだと思いたいな」


「同じことではありませんか?」


 お父様とお母様の会話を聞きながら、私はもう一度、手紙の最初へ視線を戻した。アレス・アークハルト。


 六週間ほど前、初めて話を聞いた時は、同じ年で、武器を使わず、二人の騎士を倒した変わった男の子というだけだった。いつか会ったら、少し話してみたい。できれば剣を交えてみたい。その程度に考えていた。けれど、今は違う。


 私より強い。私より多くを学び、自分の進む道を自分の力で切り開いている。勇者という名を持たないのに、勇者である私よりはるか先を歩いている。悔しい。けれど、不思議と嫌ではなかった。追いつきたいと思える人がいる。追い越したいと思える相手がいる。


 皆から勇者と呼ばれ、同じ年の子どもとは違うのだと言われるようになってから、初めてだった。


「この手紙を、いただいてもよいですか?」


「構わないよ。どうするんだい?」


「部屋に飾ります」


「飾るのですか?」


 お母様が驚いたように尋ねる。


「はい。朝、目を覚ました時と、眠る前に見ます」


「アレス君の報告書を?」


「今日の悔しさを、忘れないためです」


「それなら、丁寧に扱いなさい。先ほどのように握り締めてはなりませんよ」


「気をつけます」


 手紙を折り目に沿って丁寧に畳む。


「それでは、訓練へ戻ります」


「今日はもう十分ではないかい?」


「まだ午前中です」


「先ほどまで、五戦もしていたのだろう?」


「アレス君は、今日も訓練していると思います」


「張り合いすぎて身体を壊しては意味がないよ」


「分かっています。休むことも訓練です」


「それも、アレス君から聞いたのかい?」


「ガレス様がおっしゃっていました」


 私は手紙を胸へ抱え、執務室の扉へ向かう。


「セレス」


 お父様に呼び止められ、振り返った。


「一つだけ、覚えておきなさい」


「何でしょうか」


「アレス君に追いつくことを目標にするのは構わない。けれど、あの子と同じ道を歩く必要はない」


 お父様の声は、おだやかだった。


「剣を持たずに戦うアレス君と、剣を選んだセレスでは、強くなるための道も、守れるものも違う。誰かを追うあまり、自分が何を守りたかったのかを見失ってはいけないよ」


 私は少し考えた後、うなずいた。


「大丈夫です」


「なぜ、そう言い切れるんだい?」


「アレス君へ追いつきたいのも、追い越したいのも、強くなって皆を守りたいからです」


 負けたくない。それだけではない。オーウェンたちが傷ついて戻った日、何もできなかった自分を覚えている。国境で戦う兵士も、この街で暮らす人たちも、いつか自分の力で守りたい。そのために進む道の先に、アレス君がいる。


「だから、見失いません」


「そうか」


 お父様が満足そうにうなずいた。


「行っておいで」


「はい」



 訓練場へ戻ると、セドリックは別の騎士と打ち合っていた。ローガンは、私が戻ることを分かっていたように、先ほど置いた木剣の傍で待っている。


「休憩は終わったわ」


「そのようですな」


 私は胸へ抱えていた手紙をミレイユへ預け、木剣を手に取った。


「ローガン。次は、相手をしてくれる?」


「まだ早いでしょう」


「勝てないことは分かってる」


「では、なぜ私を?」


「今までより強い相手と戦わなければ、今までより速く強くなれないわ」


 ローガンは黙って私を見つめた。やがて、訓練場の端に立てかけてあった木剣を手に取る。


「一本だけです」


「十分よ」


 向かい合い、木剣を構える。ローガンの構えには、どこにもすきがない。


 先ほど戦ったセドリックとは、比べることさえできない。今の私では勝てない。おそらく、一度も剣を当てることはできないだろう。


 それでも、胸は高鳴っていた。勝てない相手がいることは、恥ずかしいことではない。負けたままでよいと思うことの方が、ずっと悔しい。


「始め!」


 合図が響く。私は、今出せるすべての力で踏み込んだ。


 その日から、私にとってアレス・アークハルトは、いつか会ってみたい同い年の少年ではなくなった。必ず追いつき、必ず追い越す。


 生まれて初めてできた、同じ年の好敵手となった。

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