第56話 勇者の成長2
勇者セレスティア・グランベル視点
「ですが、ここにCランクと……」
「間違いではないよ。王都のギルド本部が内容を確認し、世界中の全支部へ正式に通達したものだ」
私は再び手紙へ視線を戻した。知識試験では、魔物や薬草、毒への対処だけでなく、護衛依頼や仲間同士の問題についても問われた。
判断力試験では、勝てない魔物から、負傷した仲間を連れて全員で生還する方法を示した。そして、実戦試験。相手を務めたのは、元Bランク冒険者のグラント。大剣を使い、魔の森で長年戦った経験を持つ人物。アレス君は、武器も防具も身につけずに向かい合った。
「素手で……」
そこまでは、以前に聞いたとおりだった。問題は、その先だ。試験官グラントが長剣を一度振るった直後、アレス君はその懐へ入り、相手の力を利用して投げ倒した。長剣を奪い、拳をのど元で止めた時点で、試験終了。開始から、三呼吸以内。
「三呼吸?」
書き間違いだと思い、もう一度読み直す。何度見ても、三呼吸以内と書いてある。
「元Bランクの方を、ですか?」
「そうだよ」
「ですが、その方はすでに引退していたのでしょう?」
「けがを理由に前線を退いている。けれど、現在も特別試験の試験官を任されるほどの実力者だ。少なくとも、セドリックよりは強いだろうね」
つい先ほど、私はセドリックに勝った。二十七呼吸かけて。それも、五十回以上剣を交え、互いの癖を知り尽くした相手に。アレス君は、初めて戦う元Bランク冒険者を、三呼吸で倒した。
「闘気を使ったのですか?」
「使っていないそうだ」
今度こそ、私は顔を上げた。
「一度も?」
「見ていたギルド長、試験官、冒険者の誰も、闘気の気配を感じていない。魔法を使った形跡もなかったそうだよ」
「では、本当に体術だけで……」
「そういうことになるね」
お父様の声は、いつもより楽しそうだった。未知の魔法や、理解できない出来事を前にした時の顔だ。
「試験官は、身体能力だけならBランクへ届くかどうかと評価している。けれど、技術と戦闘中の判断については、自分が現役時代に出会ったAランク冒険者より上だと証言したらしい」
「Aランク……」
Aランク冒険者は、王国全体でも多くない。一人で大きな魔物の群れを退治し、街や村を救うことのできる英雄たちだ。それよりも上の技術を、十二歳のアレス君が持っている。
「ローガン」
私は扉の近くに控えていた剣術の指導役を振り返った。
「はい」
「この報告が本当なら、アレス君はどのくらい強いの?」
「実際に拝見しておりませんので、正確にはお答えできません」
「じゃあ、書かれている内容から分かる範囲で構わないわ」
ローガンは少し黙り、言葉を選ぶように答えた。
「元Bランク冒険者を、闘気も武器も使わず三呼吸で倒したことが事実であれば、少なくとも私は、アレス様を子どもとして扱うことはできません」
「ローガンが戦ったら、勝てる?」
執務室が静かになった。ローガンはグランベル騎士団でも特に優れた剣士だ。幼いころから私へ剣を教え、今も訓練試合では一度も触れることさえできない。
「勝つつもりで戦います」
「勝てるとは、言わないのね」
「戦う前から、勝てると断言してよい相手ではございません」
ローガンがこれほど慎重に答える相手を、私は初めて知った。
「じゃあ、今の私が戦ったら?」
尋ねる前から、答えは分かっていた。それでも、聞かずにはいられなかった。
「勝てません」
迷いのない言葉が返ってくる。
「一度も?」
「現時点では、百回戦っても難しいかと存じます」
胸の奥へ、何か重いものが落ちた。私はこの二か月、毎日訓練を続けてきた。雨の日も、腕が上がらない日も、朝から木剣を振った。
剣だけでは守れないと分かり、魔法も、戦いの作戦も、歴史も学んでいる。それでも、同じ十二歳の少年へ、百回戦っても勝てない。
悔しかった。騎士に負けた時とは違う。ローガンは大人で、私が生まれる前から剣を振っている。負けても、いつか追いつけばいいと思えた。けれど、アレス君は同じ十二歳だ。私と同じ日に鑑定の儀式を受け、そこから訓練を始めたと聞いている。
私は勇者に選ばれた。誰もが、特別な力を持っていると言う。誰よりも強くなれると期待している。それなのに、勇者ではない同い年の少年が、私のはるか先にいる。
「セレスティア」
お母様の優しい声に、手紙を握り締めていたことへ気づいた。慌てて指の力を抜く。
「ご、ごめんなさい。しわになってしまいました」
「手紙のことではありません」
お母様が私の前へ来て、少し乱れた紙をそっと伸ばした。
「悔しいのですね」
「……はい」
隠しても仕方がない。
「勇者である自分より強い者がいることが、許せませんか?」
「違います」
私はすぐに首を横へ振った。
「強い方がいるのは、うれしいです。お父様も、ローガンも、私よりずっと強いです。王国中には、私の知らない強い方が大勢いることも分かっています」
「では、なぜ悔しいのですか?」
「同じ十二歳だからです」
もう一度、手紙へ目を落とす。
「私は、勇者に選ばれてから、たくさんの方に褒めていただきました。少し剣が上手くなれば、さすが勇者様だと言われます。魔法で木の葉を動かしただけでも、素晴らしい力だと驚かれました」
その言葉がうそだとは思わない。皆が喜び、期待してくれることもうれしい。けれど、勇者に選ばれてから向けられる称賛の中には、私自身ではなく、勇者という職業へ向けられたものも多い。
「いつの間にか私は、同じ年の誰よりも強くなっていると思っていました。皆がそう言うので、きっとそうなのだと」
「それが違っていた?」
「はい」
お母様はしからなかった。ただ、続きを待つように私を見つめている。
「アレス君は勇者ではありません。《体術》は外れだと笑う方もいたと、ガレス様から聞きました。それでも、毎日訓練を続けて、自分の力でここまで強くなったのですよね」
「そう聞いているよ」
お父様が答えた。
「ガレスの話では、鑑定の儀式を受けた日のアレス君は、訓練場を五周することさえ難しかったそうだ。それが二週間後には五十周を走り、二人の騎士を素手で倒した。そして今日届いた報告では、元Bランク冒険者に三呼吸で勝っている」
「二か月で……」
「それだけではない」
お父様が、私の手にある手紙の後半を指差した。
「続きを読んでごらん」
実戦試験の内容ばかりに気を取られ、その先を読んでいなかった。アレス君は、実戦試験に合格した後、年齢と経験を理由にDランクから始めるよう求められた。
けれど、それを断った。男爵家の名を使ったわけではない。試験の目的と、自分がすべての項目に合格した事実を示し、それでも年齢だけを理由に認めないのなら、特別試験の意味がないとギルド長へ問い返した。
そのうえで、魔の森へ入る場所、ギルドへの報告、達成すべき依頼の数、違反した場合の処分まで、自ら条件を示している。その結果、ギルド長は条件付きでCランク登録を認めた。
「すごい……」
今度の言葉は、先ほどまでとは違う意味で漏れた。
「この条件を、アレス君が考えたのですか?」
「そう報告されている」
「十二歳の子どもが、ギルド長を相手に?」
「その十二歳の子どもには、セレスも含まれるけれどね」
「私は、このような話し合いはできません」
少なくとも今は、何をどう言えば相手に認めてもらえるのかさえ分からない。
「以前、私は国境へ行きたいと言いました」
「覚えているよ」
「お父様に止められて、怒りました」
「夕食の間、一度も目を合わせてくれなかったね」
「そのことは、もう謝りました」
けれど、確かめたいのは謝罪のことではない。
アレス君の報告を読んだ今だからこそ、お父様へ聞かなければならないことがある。
百回戦っても勝てない相手を知った私は、これから何を目指し、どう進むべきなのか。
その答えを探すため、私はもう一度、お父様へ顔を上げた。




