第54話 若様を語る夜2
トーマ・リード視点
「実戦試験に合格したのであれば、そのままCランクになられたのですか?」
エド殿の問いに、私は首を横へ振る。
「いいえ。ギルド長は、アレス様の実力を認めながらも、最初はDランクで登録するとおっしゃいました」
「やはり、十二歳という年齢が問題になったのでしょうな」
「はい。依頼を受けた経験も、魔の森で活動した記録もないことを理由に挙げておりました」
「それは、仕方がないのではありませんか?」
エマ殿の言葉はもっともだった。周囲にいた冒険者たちも、ギルド長の判断を当然だと考えていた。ただ一人、アレス様を除いて。
「アレス様は、その場で断るとおっしゃいました」
「断ったのですか?」
「はい。受験資格を満たし、知識、判断力、実戦能力のすべてで合格した。それでも年齢を理由にDランクとするなら、特別試験は何のためにあるのかと、ギルド長へ問い返されたのです」
「まさか、男爵家の名を使って認めさせたのではないでしょうね」
エマ殿の目が厳しくなる。
「そのようなことは一切なさいませんでした」
私はすぐに否定した。
「むしろ、ギルド長から、アレス様に何かあれば男爵家や騎士団長から責任を問われると言われた時も、父上は同意書を、ダリオ様は推薦状を書いた。自分も自らの意思で試験を受けた。それでも森で負った傷までギルドの責任になるのかとおっしゃいました」
「では、力ずくで認めさせたわけでも、身分を使ったわけでもないのですね」
「はい。アレス様は、互いに責任を果たせる条件を決めればよいと提案されました」
単独で入る場所は、当面の間、魔の森の浅層まで。森へ入る前と戻った後には必ずギルドへ報告する。異常を発見した場合は、退治できたかどうかにかかわらず知らせる。
Cランクの依頼を五件、問題なく達成するまでは、その条件を守る。日没までに戻れなかった場合は理由を説明し、うその報告をした時はCランク資格を停止する。アレス様とギルド長が交わした条件を伝えると、オルド殿は深くうなずいた。
「見事でございます」
「オルド殿も、そのように思われますか」
「もちろんです。アレス様は、ただご自分の要求を通したのではありません。ギルド長が何を恐れ、何を守ろうとしているのかを理解した上で、その不安を取り除く条件を示されたのです」
オルド殿は、どこか遠くを見るように目を細めた。
「力を示すだけなら、強者であればできます。ですが、異なる立場の者と話し合い、互いに納得できる形へまとめる力は、領主となる者にとって欠かせぬものです。トーマ、あなたがこの一か月余りで教えたことは、確かにアレス様の中で生きておりますな」
「もったいなきお言葉でございます」
胸の奥が熱くなった。私が教えたことなど、ほんのわずかにすぎない。
一度説明すれば、アレス様はそのすべてを覚え、自ら考え、私では思いつかない答えへたどり着いてしまう。それでも、自分の教えたことがアレス様の役に立っていると言われるのは、執事として何よりもうれしかった。
「以前の私は、いつかアレス様へお仕えすることを恐れておりました」
気づけば、私はそう口にしていた。
「トーマ?」
「申し訳ございません。ですが、皆にも聞いていただきたいのです」
私は一度立ち上がり、オルド殿へ頭を下げた。
「オルド殿から、いずれ私が後を継ぎ、次代のアークハルト家を支える執事になるのだと言われてまいりました。それを誇りに思う一方で、以前のアレス様を見て、この方へ一生お仕えできるのだろうかと不安に思ったこともございます」
誰も私を責めなかった。以前のアレス様を知る者なら、誰もが一度は似た思いを抱いたことがあるのだろう。
「ですが、今は違います」
私は顔を上げた。
「誰よりも学び、誰よりも鍛え、得た力を誇ることなく、人を守るために使われる。元Bランク冒険者を一瞬で倒されても思い上がらず、男爵家の名に頼ることなく、ギルド長と対等に話し合われました」
今日、ギルドで向けられた視線を思い出す。初めは、場違いな貴族の子供を見る目だった。それが試験を終えた時には、誰もが一人の冒険者としてアレス様を見ていた。
「この方にお仕えできる。いつかオルド殿の後を継ぎ、アレス様をお支えできる。それは、執事としてこれ以上ない喜びです。私は、その日に恥じぬ者となれるよう、これまで以上に学びたいと考えております」
「よく言いました」
オルド殿が、おだやかにほほ笑んだ。
「ですが、アレス様をお支えするのは、あなた一人ではありません」
「はい」
「この屋敷で働く、我々全員です」
オルド殿の言葉を受け、皆の表情が引き締まった。
「エマ」
「はい」
「あなたは、いかがですかな」
突然問われたエマ殿は、すぐには答えなかった。侍女長であるエマ殿は、誰よりも厳しく使用人たちを指導している。その厳しさは、アレス様に対しても変わらなかった。
鑑定の儀式の日。アレス様がこれまでの振る舞いを謝罪した時も、エマ殿は言葉だけでは信用しないと、はっきり告げていた。
「私は、あの日、アレス様が本当に変わられたかどうかは、これからの行動で判断すると申し上げました」
「覚えております」
「ですから、この一か月余り、見てまいりました」
エマ殿はテーブルの上へ視線を落とす。
「朝、誰よりも早く起きて訓練なさる姿。どれほどお疲れでも、学ぶ時間を後回しにされない姿。廊下で会うすべての使用人へ挨拶を返し、料理や洗濯にも必ず礼をおっしゃる姿。カイル様とリリア様へ優しく接し、旦那様と奥様との夕食を大切になさる姿」
食堂にいる使用人たちの中に、静かにうなずく者が何人もいた。
「そして、ニーナを守り、この子が自分の考えを言えるようになるまで、辛抱強く向き合ってくださいました」
エマ殿が隣に座るニーナへ目を向ける。
「アレス様は、変わられました」
その言葉には、もう疑いがなかった。
「いいえ。もしかすると、私たちがこれまで知らなかった、本来のアレス様になられたのかもしれません」
「エマ叔母様……」
「私は今のアレス様を信じます」
ニーナの目に涙が浮かんだ。オルド殿も静かに目を閉じた。その頬を一筋の涙が伝ったが、今度は誰も指摘しなかった。
「だったら、決まりだね」
ハンナ殿が、湿りかけた空気を吹き飛ばすように太い腕をまくる。
「アレス様がこれから冒険者として動くっていうなら、あたしたちは、アレス様が腹いっぱい食べられるだけの料理を用意する。ニーナ、森へ持っていく携帯食を考えるよ。動きながら食べられて、傷みにくく、力がつくものがいい」
「はい。干し肉と硬焼きパンだけでは足りないと思います。蜂蜜や干した果物も組み合わせます」
「帰ってきた後の食事も大事だ。肉と卵は今までより増やそう。野菜もしっかり用意するよ」
「はい。アレス様は、野菜も残されませんから」
「知ってるさ。だから作っただけの喜びがあるんじゃないか」
ハンナ殿が豪快に笑う。
「では私は、森で動きやすい衣服を用意いたします」
エマ殿が続いた。
「今お使いの訓練着では、生地が薄すぎます。動きを妨げず、枝やとげでは簡単に破れないものを仕立てさせましょう。雨除けのマントと、予備の着替えも必要です」
「私は傷薬と解毒薬を用意します」
エド殿が眼鏡を掛け直す。
「アレス様はおけがを隠してしまわれそうですから、森から戻られた日には、必ず私の診察を受けていただきます」
「それは、アレス様が嫌がられるのではないですかな」
「嫌がられても受けていただきます。私は治癒師です。身体に関しては、十二歳の子供の判断だけに任せるつもりはございません」
エド殿はきっぱりと言い切った。普段は物静かな人物だが、治療のことになると一歩も退かない。アレス様が相手でも変わらないらしい。
「では、私はギルドでの依頼や報酬、必要経費をすべて記録いたします。素材のふつうの値段も調べ、アレス様が不当に安く買い取られることがないようにいたします」
私も自らの役目を口にする。
「ニーナは、これまでどおりアレス様の一番近くで、体調とお食事の管理を」
「はい」
ニーナが力強くうなずいた。
「私は、皆がそれぞれの役目を果たせるよう、屋敷全体を整えましょう」
オルド殿が食堂にいる者たちを見渡す。
「アレス様がどれほど速く進まれても、帰ってこられる場所が変わらずここにあるように。それが、我々の務めです」
「はい」
皆の声が重なった。鑑定の儀式の日まで、アレス様の足音が廊下から聞こえるだけで、使用人たちは会話を止めて道を譲っていた。
できるだけ目を合わせず、何事もなく通り過ぎてくださることを願っていた。今は違う。誰もが、アレス様のために自分には何ができるのかを考えている。命じられたからではない。男爵家の跡継ぎだからでもない。あの方を支えたいと、自ら望んでいるのだ。
私は今日、ギルドでアレス様の偉大さを知ったつもりでいた。だが、本当に驚くべきことは、元Bランク冒険者を一瞬で倒したことではないのかもしれない。
わずか一か月余りで、これほど多くの者の心を変えたこと。それこそが、アレス様の成し遂げた最も大きなことなのだと、今になって気づいた。
「では、明日から――」
オルド殿が話をまとめようとした時だった。食堂の扉が、静かに開いた。全員が一斉に振り返る。
「まだ起きていたのか」
扉の前に立っていたのは、寝間着の上から薄い上着を羽織ったアレス様だった。
「ア、アレス様……」
私は椅子を倒しかけながら立ち上がった。他の者たちも慌てて姿勢を正す。先ほどまで誰よりも大きな声でアレス様の素晴らしさを語っていたことを思い出し、顔が熱くなった。
「どうして、こちらへ?」
「のどが渇いたから、水をもらいに来ただけだ」
アレス様はテーブルを囲む私たちを見渡した。
「ずいぶんと楽しそうだったな」
「も、申し訳ございません。お休みのところを騒がしくしてしまい……」
「責めているわけではない」
アレス様は小さく息を吐いた後、私たちへ向けてわずかに頭を下げた。
「こんな遅くまでいつもありがとな。」
誰も声を発することができなかった。
「だが、明日も仕事があるのだろう。俺のために無理をする必要はない。話が終わったら、皆も早く休め」
「かしこまりました」
オルド殿が深く頭を下げ、私たちもそれに続く。ニーナがすぐに立ち上がり、水差しから杯へ水を注いだ。
「アレス様、どうぞ」
「ありがとう、ニーナ」
アレス様は水を飲み干すと、空になった杯をニーナへ戻した。
「では、おやすみ」
「おやすみなさいませ、アレス様」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。しばらくの間、誰も動かなかった。
「……どこから聞かれていたのでしょうか」
私が恐る恐る尋ねると、ハンナ殿が顔を赤くしながら口を開く。
「まさか、元Bランクを三呼吸で倒したところからじゃないだろうね」
「もっと前かもしれません」
ニーナも恥ずかしそうにうつむいている。
「構わぬではありませんか」
オルド殿だけが、おだやかにほほ笑んでいた。
「今夜、我々が口にしたことに、アレス様へ聞かれて困るような言葉は一つもございません」
そのとおりだった。私たちは顔を見合わせ、やがて誰からともなく笑い始めた。
その夜、使用人たちは遅くまで若様を語った。語っていたのは、今日の勝利だけではない。自分たちがこれから一生をかけて支えていく、一人の主の未来だった。
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これにて第四章 冒険者登録編終了となります。
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