第49話 冒険者登録3
グラントが地面を蹴った。一歩で間合いを詰め、俺の左肩へ長剣を振り下ろす。速い。今の騎士団で、この一撃を正面から受け止められる者は多くないだろう。
だが、素直すぎる。
俺が半歩右へ動くと、長剣が左肩のすぐ横を通り過ぎた。
グラントの腕がわずかに止まる。振り下ろしは誘いだった。本命は、避けた相手を追う横なぎだ。手首を返し、長剣が俺の胴へ向かってくる。
俺は後ろへ下がらず、さらに前へ出た。
「なっ――」
剣は、振るう者の懐へ入れば威力を失う。長剣を持つグラントの右手首へ左手を添え、肘を右手で押さえる。
同時に、右足を相手の左足の外へ置いた。力は要らない。グラントが剣を振るうために生み出した勢いを、倒れる方向へわずかに変える。
大きな身体が宙へ浮いた。次の瞬間、訓練場に激しい音が響く。
背中から地面へ落ちたグラントの手を捻り、長剣を奪う。その剣を遠くへ放りながら胸の上へ片膝を置き、右の拳をのど元で止めた。
開始から、三呼吸も経っていなかった。訓練場は、異様なほど静まり返っていた。誰も言葉を発しない。
地面へ倒されたグラントでさえ、自分ののど元にある小さな拳を見つめたまま動かなかった。
「これで終わりか?」
俺が尋ねると、グラントがゆっくりと両手を上げた。
「……参った」
拳を下ろし、グラントの胸から退く。差し出した手を、グラントはしばらくあき然と見つめていた。やがて俺の手をつかみ、身体を起こす。
「何をなさったのですか?」
「お前が振った剣の勢いを利用した」
「それは分かります。分かりますが……」
グラントは自分の右腕と、地面へ転がった長剣を見比べた。
「俺は、受け身すら取れませんでした」
「取らせなかった」
「俺の左膝が悪いことにも、気づいておられたのですか?」
「歩き方を見れば分かる。だが、今の動きで狙ったわけではない。傷めていない右足へ仕掛けても、結果は変わらない」
グラントが大きく息を吐いた。
「俺の負けです。それも、言い訳のできない完敗です」
その言葉をきっかけに、止まっていた時間が動き出した。
「う、うそだろ……」
「グラントが、投げられた?」
「剣を一度振っただけだぞ」
「ガレス様のご子息が、これほどとは……」
「アレス様は、闘気を使われたのか?」
「いや、何も感じなかった……」
驚きの声が次々と上がる。闘気は使っていない。今の身体で扱える闘気には限りがある。Cランク試験で見せる必要もなかった。
バルガスだけは声を上げず、最初に俺が立っていた場所と、グラントが倒れた場所を交互に見ていた。
「もう一度やるか?」
俺は尋ねた。
「今度は、最初から本気で来てもいい」
「やめておく」
答えたのはグラントだった。
「今の一度で十分です。アレス様は、最初から俺の動きをすべて読んでおられました。俺が本気になれば、もっと無様に負けるだけでしょう」
グラントは服についた砂を払い、苦笑する。
「身体の力だけなら、Bランクへ届くかどうかってところだ。だが、技術と戦いの判断は……」
そこで言葉を止め、バルガスを見る。
「俺が現役だったころに会ったAランクでも、あれほどじゃなかったぞ」
再び、周囲がざわめいた。俺は訓練場の端へ目を向けた。ニーナの両手から、ようやく力が抜ける。
試験が始まる前から俺を信じると言っていたが、不安までなくなったわけではなかったらしい。グラントの長剣が振り下ろされた瞬間には、小さく唇を開き、悲鳴をこらえるように身体をこわばらせていた。今、そのこはく色の瞳にあるのは安心だけではない。
周囲の冒険者たちは、今日初めて俺の戦いを見た。だが、ニーナは、この一か月、俺が誰よりも早く起き、どれほど身体が疲れていても訓練を続ける姿を一番近くで見てきた。毎日の食事を用意し、汗にぬれた訓練着を洗い、俺が昨日よりどれだけ長く走り、何度多く拳を振るえるようになったのか、すべて記録している。その目に宿っているものが、驚きではなく誇りなのだと、俺にも分かった。
一か月ほど前、ニーナは、俺が強くなる姿を一番近くで見ていたいと言った。さらに二日前には、見ているだけではなく、自分も強くなり、いつか俺の隣へ立つことを望んだ。
ニーナは、先ほどまで恐怖で握り締めていた両手を、今度は自らの決意を確かめるように重ねた。その隣で、トーマも言葉を失っていた。
俺がこの一か月余りで三年分以上の領主学を修めたことも、騎士団の訓練へ参加し、日ごとに強くなっていることも、トーマは知っている。それでも、実際に自分の目で見た衝撃は、報告書の言葉とは比べものにならなかったらしい。
元Bランク冒険者が、一度も俺へ触れられずに敗れた。たくましい冒険者たちが、十二歳の子供を前に息をのんでいる。トーマは、何かをこらえるように口元を引き結んでいた。そこに試験前までの不安はない。背筋を伸ばし、誇らしげに俺を見つめる姿は、仕える主の勝利を喜ぶ執事そのものだった。
「実戦試験も合格だ」
バルガスの声が、訓練場へ響いた。
「身体能力はBランクへ届くかどうか。だが、技術と戦闘判断はAランク級。少なくとも、Cランクとして実力が不足しているとは言えん」
「では、Cランクで登録してもらう」
「お待ちください」
すぐに受付へ戻ろうとした俺を、バルガスが止める。
「実力があることは認める。だが、アレス様は十二歳だ。冒険者として依頼を受けた経験もなければ、魔の森で活動した記録もない」
「それが?」
「最初はDランクで登録させていただきたい。いくつか依頼を達成し、問題がないと確認できればCランクへ上げます」
周囲の冒険者たちから、当然だという声が聞こえる。俺はバルガスを見上げた。
「断る」
「なぜです?」
「特別試験は、Cランクからの登録が可能か判断するためのものだと聞いている。俺は受験資格を満たし、知識、判断力、実戦能力のすべてで合格した。それでもDランクにするなら、この試験は何のためにある?」
「十二歳でのCランク登録は前例がないんだ」
「俺より実力の低い十五歳ならCランクにし、俺は十二歳だからDランクにするのか?」
バルガスのまゆの間にしわが寄る。
「年齢だけの問題じゃない。経験がないと言っている」
「経験がない者の実力を確かめるために、特別試験があるのだろう」
「男爵閣下が、私情でギルドへ圧力をかけるような方ではないことは知っております。この街の誰よりも公正で、責任を重んじるお方だ」
バルガスの言葉に、周囲の冒険者たちが当然のようにうなずいた。
「だからこそです。あの方が守り続けてきた街で、そのご跡継ぎを何の実績もないまま魔の森の内部へ送り出し、万一のことがあれば、領民はギルドを許さない。騎士団長も、推薦した者として責任を問われるでしょう」
「領主様ご本人が責めなくても、俺たちが納得できません」
誰かが発した声に、あちこちから同意が続いた。
「父上は同意書を書いた。ダリオは推薦状を書いた。俺は自分の意思で試験を受けた。それでも、俺が森で負った傷までギルドの責任になるのか?」
「世の中は、書類一枚で何もかも割り切れるほど簡単じゃねえ」
「それは分かる。皆が父上を慕い、俺を案じてくれていることには感謝する。だが、父上の名を理由に、俺だけを特別扱いしてほしくはない。試験に合格した一人の冒険者として、実力で判断してほしい」
俺の言葉を聞き、周囲から声が消えた。
「だから、互いに責任を果たせる条件を決めればいい」
バルガスが黙る。
「俺をCランクで登録する。その代わり、当面の間、単独で入る場所は魔の森の浅層までとする。森へ入る前と戻った後には、必ずギルドへ報告する。異常を発見した場合は、退治の成否にかかわらず伝える。これでどうだ?」
「当面とは、いつまでだ」
「Cランクの依頼を三件、問題なく達成するまで」
「三件では少なすぎる。十件だ」
「多すぎる。五件」
「加えて、日没までに必ず戻れ。報告を怠るか、許可なく浅層より奥へ入った場合は、その時点でCランク資格を一時停止する」
「いいだろう。ただし、思わぬ問題で日没までに戻れない場合は、戻った時点で理由を説明する。それまでは決まりを破ったとは扱わないでもらう」
「認める。うその報告をした場合は、理由にかかわらず資格停止だ」
「異論はない」
訓練場に、再び沈黙が落ちた。
グラントとの勝負は、三呼吸もかからずに終わった。
だが、俺が本当に欲しい答えを待つ次の三呼吸は、それよりもずっと長く感じられた。




