第47話 冒険者登録1
馬車が冒険者ギルドの正面で止まった。先に降りたトーマが扉を開き、俺に続いてニーナも馬車を降りる。
朝の冒険者ギルドは、すでに多くの人間でにぎわっていた。依頼へ向かうために武器を確かめる者。仲間と今日の予定を話し合う者。早朝に終えた仕事の報告をするため、血のついた革袋を抱えて入っていく者もいる。その中で、領主家の紋章が刻まれた馬車はひどく目立った。
「アークハルト家の馬車だ」
「領主様の使いか?」
周囲から向けられる視線を受けながら、俺はギルドの建物へ入った。中は想像していたとおりの造りだった。正面には長い受付台があり、右手の壁には依頼票がすき間なく貼られている。左手には冒険者たちが使う酒場が併設され、朝だというのに酒を飲んでいる者もいた。
革と金属、酒、それにわずかな血の臭いが混じっている。滅びた世界で何度も通った場所と、ほとんど変わらない。もっとも、あのころの俺は、酒場で一番安い酒を飲み、日銭を稼ぐための依頼が残っていないか掲示板を眺める側だった。
領主家の跡継ぎとして、執事と専属メイドを連れて入ったことなど一度もない。ギルド内にいた者たちの視線が、一斉に俺たちへ集まった。領都で暮らす者なら、馬車に刻まれたアークハルト家の紋章を見間違えるはずがない。俺の顔まで知る者は少ないようだが、トーマとニーナを伴う俺が男爵家の人間であることは、誰の目にも明らかだった。
だが、俺の腰には剣がない。背にも弓や槍はなく、防具さえ身につけていない。訓練で使っている動きやすい服を着ているだけだ。
「男爵家のご子息か?」
「武器も防具もお持ちではないぞ。何のご用だ?」
小声で交わされる言葉を聞き流し、空いている受付へ向かう。受付にいたのは、三十歳前後に見える茶髪の女性だった。俺たちを見ても必要以上に慌てることなく、落ち着いた様子で一礼する。
「おはようございます。本日は、どのようなご用件でしょうか」
「冒険者登録をしたい」
女性の視線が俺へ向けられた。わずかに目を見開いたものの、すぐに受付係の表情へ戻る。
「失礼ですが、登録を希望されるのは、そちらのお二人ではなく……」
「俺だ」
「年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「十二歳だ」
女性は一瞬だけ黙り、俺の後ろに立つトーマへ確認するような目を向けた。
「間違いございません。こちらはアークハルト男爵家のご跡継ぎ、アレス・アークハルト様でございます。本日は冒険者登録のため、私どもが同行しております」
「アークハルト家の……」
「アレス様だ」
「ガレス様のご跡継ぎが、なぜ冒険者ギルドへ?」
その名を聞き、周囲に驚きのざわめきが広がった。この街で父上の名を知らぬ者はいない。領民を第一に考え、魔の森の脅威から領地を守り続けてきたガレス・アークハルト男爵は、領民から厚い信頼を寄せられている。
その跡継ぎだと分かったことで、俺へ向けられていた好奇の視線は、一瞬で慎重なものへ変わった。女性も姿勢を正し、改めて俺へ向き直る。
「申し遅れました。私は受付主任のミレイと申します。冒険者登録は十二歳から認められております。また、十五歳以下の方が登録される場合、保護者の同意書が必要となりますが、お持ちでしょうか」
「こちらにございます」
トーマがかばんから同意書を取り出し、受付台の上へ置く。ミレイは書面に目を通し、最後に押されたアークハルト家の印を丁寧に確認した。
「確かに、ガレス・アークハルト男爵閣下の同意を確認いたしました。登録料は銀貨一枚です。こちらの用紙へ、お名前、年齢、職業、使用する武器、扱える魔法をご記入ください。規定により皆様へご案内しておりますが、ご希望があれば代筆も承ります」
「登録料はこちらに」
トーマがすぐに銀貨一枚を受付台へ置いた。父上から命じられたとおり、書類と金銭に関することは任せることにする。
「代筆は必要ない」
差し出された羽根ペンを受け取り、必要な項目を順に埋めていく。名前、アレス・アークハルト。年齢、十二歳。職業、武闘家。使用する武器、なし。魔法、無属性。固有ギフトの《超再生》について書く欄はない。仮にあったとしても、正直に記すつもりはなかった。俺が書き終えた用紙を受け取ったミレイは、使用する武器の欄で手を止めた。
「アレス様。こちらは、書き忘れではございませんか?」
「書いたとおりだ。武器は使わない」
「職業が武闘家ですので、拳や手を守る武具の、拳甲や手甲をお使いになるのでは?」
「必要ない。己の身体だけで戦う」
静かだった酒場の方から、誰かが息を吐く音が聞こえた。
「アレス様。失礼を承知で申し上げます」
声をかけてきたのは、片手に杯を持った四十歳ほどの男だった。使い込まれた革の鎧を身につけ、腰には短剣を下げている。男は杯を置くと、俺へ向き直った。
「悪いことは申しません。冒険者になるなら、せめて短剣くらいはお持ちになった方がいい。武器を持たず、体術だけで魔物と戦う者は、ほとんどいません」
「そうなのか」
「そうなのかって……。いえ、魔物は人間よりつめも牙も鋭い。身体が大きい奴も多い。拳が届くところまで近づけば、一度の失敗で腹を裂かれます」
馬鹿にしているわけではないらしい。声には、見知らぬ子供が命知らずな真似をしようとしていることへの本気の心配があった。
「俺たちがこの街で安心して暮らせるのは、領主様と騎士団のおかげです。そのご跡継ぎが命知らずな真似をなさろうとしているのを、黙って見ていることはできません。どうか、命を大切になさってください」
「忠告には感謝する」
俺は男へ向き直り、頭を下げた。
「だが、俺にとっては武器を持つ方が戦いにくい。自分の命を投げ出すつもりもない」
「……そうですか」
男は納得していない顔をしていた。それでも、それ以上は何も言わず、杯を口へ運ぶ。ミレイが困ったように用紙と俺を見比べた。
「通常の登録では、皆様Fランクからの開始となります。Fランクで受けられるのは、領都内の雑用や薬草採取など、危険の少ない依頼です。依頼を達成して実績を重ねれば、順にランクが上がります」
「その必要はない」
「必要がない、と申しますと?」
「Cランクからの登録を懸けた、特別試験を受けたい」
俺の言葉が響いた直後、ギルド内から音が消えた。酒場にいた者も、依頼票を見ていた者も、受付で話していた者まで動きを止める。皆の視線が、今度こそ俺一人へ集まった。
「Cランクの特別試験だと?」
「ガレス様はご存じなのか?」
「特別試験……ですか?」
「そうだ」
ミレイは俺がからかっているのではないか確かめるように、その目をまっすぐ見つめてきた。俺が視線を逸らさずにいると、やがて静かに息を吸う。
「特別試験を受けるには、Cランク以上の冒険者、領内騎士団長、もしくはギルドが実力を認めた者からの推薦が必要です」
「これで足りるはずだ」
父上から渡されたもう一枚の書類を受付台へ置く。アークハルト騎士団長、ダリオ・ローデンの署名と印が入った推薦状だ。ミレイの表情が変わった。先ほど同意書を確認した時よりも時間をかけ、署名と印を何度も見比べている。やがて推薦状を受付台へ戻すと、俺へ深く一礼した。
「確認いたしました。受験資格に問題はございません。ただし、私の判断だけで試験を行うことはできません。恐れ入りますが、こちらで少々お待ちください」
「分かった」
ミレイが足早に受付の奥へ消えていく。
「アレス様」
後ろからニーナに呼ばれ、振り返った。ニーナは胸の前で両手を重ね、わずかにまゆを下げていた。
「特別試験を受けられることは、旦那様もご存じなのでしょうか」
「いや。父上は、俺がFランクから始めると思っている」
「やはり、そうでしたか……」
ニーナの表情に、はっきりと心配が浮かんだ。
「黙っていたわけではない。聞かれなかったから答えなかっただけだ」
「それを、黙っていたと申すのではないでしょうか」
「そうとも言うな」
ニーナが小さく息を吐く。その隣で、トーマも難しい顔をしていた。
「私も、アレス様は通常の登録をなさるものとばかり思っておりました。旦那様からは、書類や金銭に関する問題が起きた時は対応するよう申しつけられておりますが、特別試験となりますと……」
「止めるか?」
「いいえ」
答えたのは、ニーナだった。その声に迷いはない。心配そうな表情は変わらないまま、それでも俺をまっすぐに見ている。
「アレス様が、ご自身に必要だと判断なさったのでしょう?」
「ああ。魔の森の内部へ入るには、Cランク以上でなければならない。Fランクから実績を積み上げる時間は惜しい」
「でしたら、私はお止めいたしません」
ニーナは重ねていた両手をゆっくりと下ろした。
「ただ、お怪我だけはなさらないでください」
「約束はできない」
「アレス様」
「戦えば、傷を負うことはある。だが、負けるつもりはない」
ニーナは何か言いたそうに口を開き、結局、言葉を飲み込んだ。
「……分かりました。アレス様を信じます」
以前のニーナなら、心配を口にすることさえできなかっただろう。今は俺へ自分の考えを伝え、それでも最後には俺の判断を信じると決めたらしい。トーマも一度目を閉じ、覚悟を決めるようにうなずいた。
「私も、アレス様をお止めいたしません。騎士団長が推薦状をお出しになった以上、相応のお力があることは承知しております」
そこで一度言葉を切り、声を潜める。
「ですが、旦那様にお聞きになられた際は、私も今ここで初めて知ったと、どうかお伝えください」
「事実だからな」
「ありがとうございます」
トーマが心から安心したように頭を下げた。




