第46話 家族との約束
父上も、俺がFランクから地道に依頼をこなしていくものだと思っている。通常の登録なら、その認識で間違いはない。
しかし、冒険者ギルドには、十分な実力を持つ者のための特別試験が存在する。その試験に合格すれば、Fランクから実績を積み上げることなく、最初からCランクで登録することができる。
俺が狙っているのは、当然そちらだ。だが、今ここで口にすれば話がややこしくなる。母上は再び不安になるだろうし、父上から試験について細かく問われる可能性もある。特別試験を受けることは、今は黙っておくことにした。
「明日の手続きには、トーマを連れていけ」
父上が言う。
「同意書と推薦状は用意したが、ギルドでどのような手続きが行われるかまでは分からん。書類や金銭に関する問題が起きた時は、トーマに任せればいい」
「承知いたしました」
トーマは深々と頭を下げた。
「アレス様の記念すべき第一歩に同行できるとは、光栄の極みでございます。ギルドの者たちにも、アレス様がどれほど素晴らしいお方なのか、私から詳しく――」
「聞かれたことだけに答えろ」
「……承知いたしました」
父上に遮られ、トーマが残念そうに口を閉じる。
「旦那様」
今度はニーナが一歩前へ出た。
「私も、ご一緒してよろしいでしょうか」
「ニーナもか?」
父上に尋ねられ、ニーナは静かにうなずいた。
「はい。アレス様が冒険者として歩み始められる大切な日を、私も一番近くで見届けたいのです」
ニーナは一度俺を見てから、さらに言葉を続ける。
「それに、いつか私もアレス様のお傍でお役に立てるようになるために、冒険者ギルドがどのような場所なのか、今のうちに知っておきたいと思っております」
その言葉を聞き、一か月ほど前の夜を思い出す。俺が昨日より強くなるところを、一番近くで見ていたい。あの時そう言ったニーナは、二日前の夜には、自分も強くなることを選んだ。今では俺の言葉を待つだけではなく、自分が何を望んでいるのかを、はっきりと口にできるようになっている。ニーナ自身が望んでいるのなら、俺が止める理由はない。
「分かった。なら、ニーナも来い」
「はい。ありがとうございます、アレス様」
ニーナのこはく色の瞳が、うれしそうに細められた。
「では、トーマとニーナの二人を連れていきなさい」
「分かりました」
「そして、アレス」
父上の声が少しだけ低くなる。冒険者として活動する上での条件を告げられるのだろう。受けられる依頼の種類か、領都から離れてよい距離か。それとも、一人で魔物と戦うことを禁じられるのか。俺が身構えていると、父上は予想していなかった言葉を口にした。
「毎日、夕食までには帰ってこい」
「夕食、ですか?」
「ああ」
思わず聞き返した俺に、父上は真剣な表情でうなずいた。
「お前の成長を、私の都合や不安だけで止めるつもりはない。冒険者として外へ出ることで学べるものがあるなら、存分に学べばいい」
父上はそこで一度言葉を切り、食卓を囲む家族を見渡した。
「だが、家族全員で食卓を囲む時間まで手放すつもりはない。依頼を受けるのは構わん。ただし、毎日夕食までには屋敷へ戻れ。それが条件だ」
「私も同じ気持ちよ」
母上が優しくほほ笑む。
「本当は、危険なことなどしてほしくないわ。でも、アレスが前へ進もうとしているのを、私の心配だけで止めたくはありません。だから、必ず無事に帰ってきてちょうだい」
「兄さま、冒険者になるの?」
それまで話を聞いていたカイルが、目を輝かせて身を乗り出した。
「魔物を倒すのですか?」
「すごいです、兄さま!」
リリアも満面の笑みを浮かべている。
「兄さまなら、すぐに一番強い冒険者になれます!」
「さすがに、すぐには無理だ」
「でも、兄さまは強いです!」
何の疑いもなく言い切るリリアを見て、俺の口元がわずかに緩む。父上と母上は、家族全員で取る夕食を大切にしている。やり直す前の俺は、それを当たり前のものだと思っていた。
家族が自分を待っていることにも、同じ食卓を囲めることにも、何の価値も見いだしていなかった。失ってから、その重さを知った。外へ出る俺に父上が求めたものは、厳しい制限でも、行動を縛る監視でもない。ただ、毎日無事に帰り、家族と食事をすることだけだった。
「分かりました」
俺は父上と母上をまっすぐに見つめる。
「必ず夕食までに戻ります」
「それならいい」
父上は短く答え、再び杯を手に取った。冒険者として何を成し遂げても、最後にはこの場所へ帰ってくる。そういう生き方も、悪くない。
翌朝。俺はいつもと同じ時間に起き、いつもどおり朝の訓練を行った。冒険者になるからといって、これまで続けてきたことを変えるつもりはない。訓練だけでも、実戦だけでも足りない。その両方を積み重ねてこそ、強くなれる。訓練を終えて汗を流した後、家族と朝食を取る。
「兄さま、今日は冒険者になる日ですね!」
「どんな依頼を受けるのですか?」
カイルとリリアは、朝から冒険者の話ばかりだった。
「今日は登録だけだ。依頼を受けるとしても、その後になる」
「帰ってきたら、全部聞かせてください!」
「ああ」
朝食を終えた俺は、父上から受け取った同意書と推薦状を持ち、屋敷の正面玄関へ向かった。すでに馬車が用意され、その前ではトーマとニーナが待っている。
「お待ちしておりました、アレス様」
トーマは書類を入れるためのかばんを手にし、普段以上に身なりを整えていた。
「アレス様。お出かけのお支度は整っております。馬車の中には、お水と軽食もご用意いたしました」
ニーナもいつもどおり、控えめに一礼する。
「ギルドへ登録に行くだけだぞ」
「はい。ですが、手続きが長引き、お戻りが遅くなることもございますので」
「そうか。助かる」
「はい」
ニーナがうれしそうにほほ笑んだ。
「アレス様が冒険者として歩み始める、大切な日でございますからな」
トーマが誇らしげに胸を張る。
「アレス様の偉業が始まる日です」
「まだ何も成し遂げていないぞ」
二人の中では、すでに俺が偉大な冒険者になることが決まっているらしい。俺たちは馬車へ乗り込み、冒険者ギルドへ向けて出発した。屋敷の敷地を出た馬車は、大通りを進んでいく。
窓の外には、朝の領都の光景が広がっていた。店先に商品を並べる商人。大きな荷物を抱えて行き交う職人。通りの端で楽しそうに駆け回る子供たち。露店から漂う焼きたてのパンの匂いに足を止める者もいれば、町の安全を守るため、周囲へ注意を払いながら巡回する兵士たちもいる。
誰もが、それぞれの一日を始めていた。やり直す前の俺は、こうした光景をまともに見ようともしなかった。領民は税を納める者。兵士は命令に従う者。使用人は自分の世話をする者。一人一人に暮らしがあり、守りたい家族がいて、明日を迎えるために生きているのだと考えたことさえなかった。
その結果、俺は何も守ることができなかった。家族も、領地も、世界さえも。だが、今度は違う。
窓の外を流れていく領都の景色を見つめながら、俺は心の中で誓う。この街を必ず守る。ここに暮らす者たちの平穏を、今度こそ失わせはしない。
そのためには、もっと強くならなければならない。いずれ訪れる災厄に立ち向かえるだけの力と、自由に動ける立場を手に入れる必要がある。冒険者登録は、そのための最初の一歩だ。
「アレス様、冒険者ギルドが見えてまいりました」
トーマの声に視線を前へ戻す。大通りの先に、剣と盾を組み合わせた看板を掲げる大きな建物が見えた。建物の前には武器や防具を身につけた者たちが集まり、絶えず人が出入りしている。馬車は速度を落とし、冒険者ギルドの正面へ近づいていく。
父上は、俺がFランクから始めると思っている。だが、今日受けるつもりなのは、通常の登録だけではない。狙うのは特別試験。そして、Cランクからのスタートだ。




