第44話 商売を始める
「それでいい。人の命を預ける品だ。目先の利益より信用を優先しろ」
ロイドの筆が、帳面の上を走り始める。
「売った金から、まず仕入れに使った分を戻します。そこから店の維持費、十人の食費と給金、被害者への返済を分け、残った利益を次の仕入れへ回します」
「分かっているならいい」
「最初の十二点だけでも、当面の食費は出せます。品質が評判になれば、傷物の買い取りを増やしながら、給金と返済へ回す額も増やせるでしょう」
「一度に買い集めすぎるな。こちらが傷物を欲しがっていると知られれば、値をつり上げられる」
「はい。冒険者と傭兵だけでなく、鍛冶屋で処分される物や、領内の倉で眠る古い武具も探します。町と時期も分けます」
「運ぶ仕事はベッツたちへ任せろ。護衛の訓練にもなる。ただし、脅して安く買うことは絶対に許さない」
「正当な値を払い、次もこちらへ持ち込んでもらえる関係を作ります」
ロイドは、しばらく帳面へ数字を書き続けた。やがて顔を上げた時、その目には、先ほどまでなかった熱が宿っていた。
「アレス様。本当に、十二歳でいらっしゃるのですか?」
「何か問題があるか?」
「いえ。ただ、商人でもない十二歳の方が、品物だけでなく、その先の信用まで考えておられるとは思いませんでした」
「父上やオルド、トーマから学んだこともある」
うそではない。物を一度に買い占めれば値が上がることも、蓄えを古くなる前に入れ替えることも、父上たちから教わった。
《追憶》のおかげで、一度学んだことは細かな部分まで思い出せる。それだけではない。滅びた世界では、食料も薬も武器も、いつも足りなかった。俺はかつての仲間達たちと拠点を移しながら、残された生存者へ物資を届け、何をどこへ回すかを何度も決めてきた。
今日すべてを使えば、明日救えたはずの誰かが死ぬ。残りを数え、必要な量を分け、運ぶ者と守る者へ役目を任せる。その重さは、嫌というほど知っている。
もちろん、俺は商人ではない。この町の相場、仕入れ先、客の好み、帳面の細かな管理は、ロイドの方が詳しい。だから任せる。俺が決めるのは、誰を守るために何をするのか、そして何をしてはならないのかという方針だ。
俺一人の拳で守れるのは、手の届く範囲だけだ。その外まで守るには、人を集め、それぞれの得意な仕事を任せ、金と物が途切れず回る形を作らなければならない。ロイドの武器屋は、その最初の一歩になる。
「アレス様?」
ニーナの声で、意識を戻す。
「どうした?」
「いいえ。少し遠くをご覧になっていたように思いましたので」
「昔、似たようなことを考えたのを思い出しただけだ」
「十二歳の方がおっしゃる昔は、それほど昔ではないと思うのですが……」
「細かいことを気にするな」
ニーナは不思議そうに首を傾げた。その隣で、ロイドが再生した剣を見つめている。
「この店を、もう一度立て直せます」
静かな声だった。
「いえ、それだけではありません。傷んだ武具を集め、アレス様のお力でよみがえらせ、ベッツたちが運び、私が売る。その利益で皆が働き、被害を受けた方々へ償っていく」
ロイドが俺へ向き直り、深く頭を下げた。
「必ず、この仕組みを形にしてみせます。両親から受け継いだ店を、今度は人を守るための店にいたします」
石切り場で膝をついた時よりも、その声には力があった。命令されたから言っているのではない。商人として、自分が進む道を見つけたのだろう。
「まずは、この一本を売れ」
「はい」
「売れたからと浮かれるな。客が使い、次も欲しいと言うところまでが最初の仕事だ」
「必ずやり遂げます」
ロイドは再生した剣を、両手で大切そうに持ち上げた。俺は残る十一点へ目を向ける。
「今日は、あと一つ直す」
「かしこまりました」
ニーナは止めるどころか、当然のようにうなずいた。
「……止めないのか?」
「アレス様が必要だと判断されたのでしょう?」
「ああ」
「でしたら、私がお止めする理由はございません」
迷いのない返事だった。
「ただ、先ほど九人のけがを治されたばかりです。屋敷へ戻りましたら、夕食をもう一品増やします」
「それは助かる」
「使った魔力と体力の分は、きちんと召し上がっていただかなければなりません。今日はお肉を多めにして、卵料理もお付けします。それから、食後には蜂蜜を使った甘いものを」
ニーナはすでに、何を作るか考え始めているようだった。
「分かった。楽しみにしている」
俺が無茶をしないよう止めるのではなく、無茶をしても明日また動けるように支えるつもりらしい。《超再生》の秘密を明かしてからというもの、ニーナの俺に対する信頼は少々厚くなりすぎている気がする。
もっとも、美味い食事が増えるのなら、俺に反対する理由はなかった。俺は残る十一点の中から、へこんだ盾を一枚選んだ。表面へ手を置いて《再生》を使うと、潰れていた金属が押し戻され、亀裂が塞がっていく。壊れていた革ひもも張りを取り戻し、新品だったころよりわずかに頑丈な盾へ生まれ変わった。その様子を見守っていたロイドが、やがてこらえきれず小さく笑った。
「何がおかしい?」
「申し訳ございません。ずいぶんと息の合った主従でいらっしゃると思いまして」
「余計なことを考える暇があるなら、明日からの売り方を考えろ」
「かしこまりました」
「アレス様。甘いものは、何がお好みですか?」
「何でも好きだ。ニーナに任せる」
「はい。腕によりをかけてお作りいたします」
うれしそうにほほ笑むニーナを見て、ロイドがもう一度笑いをかみ殺した。
「アレス様」
店を出ようとした時、ニーナが作業台の剣を振り返った。
「人も、武具も、もう一度やり直せるようになさるのですね」
「傷を治すことはできる。だが、人がやり直すかどうかは、そいつ自身が決めることだ」
「はい。ですが、決めるための機会を、アレス様が与えていらっしゃいます」
昨日まで悪事を重ねていた者たちへ、働いて償う道を与える。捨てられるはずだった武具へ、もう一度役目を与える。そして俺自身も、滅びた未来から戻り、すべてをやり直している。ニーナは何も知らない。それでも、その言葉は不思議なほど胸へ残った。
「奇跡を見せるだけでは、誰も食べていけない」
俺は空いた棚が並ぶ店内を見回した。
「武具を売って金へ変え、その金で人が働き、次の武具を集める。続けられる形にして、初めて大勢の役に立つ」
「はい」
七日分の時間そのものは戻らない。だが、俺が鍛えている間に十人が動き、その働きが次の仕事を生むなら、失った以上の時間を取り戻せる。
始まりは、傷んだ剣が一本。それでも、この一本が売れれば、次の二本を仕入れられる。二本が売れれば、四本、八本と増やせる。その利益で十人が食い、働き、かつて奪った物を返していく。
壊れた武具も、道を踏み外した者も、使い方次第で人を守る力へ変えられる。こうして、俺の最初の商売は、新しい武器を一本も作らない武器屋から始まった。




