第4話 初代と同じ道
立ち上がると、執務室の奥にある本棚へ向かった。そこから古い鍵を取り出し、壁際に置かれた木箱を開ける。中には、何本もの羊皮紙と古びた本が収められていた。父上はその中を探し、一本の巻物と分厚い古書を机へ運んできた。
「これは?」
「アークハルト家の家系図と、初代について記された文献だ」
父上が家系図を広げる。何百年も前まで遡る家系図の最上部に、一人の男の名が記されていた。レグナス・アークハルト。
「初代当主、レグナス……」
「アークハルト家を興した男だ」
父上が古書を開く。黄ばんだ紙に、古い文字で初代の功績が記されている。初代アークハルト男爵、レグナス・アークハルト。剣も槍も用いず、己の拳のみで魔の森を切り拓いた。幾度傷つこうとも立ち上がり、致命傷すら一夜で癒したという。その肉体は戦うたびに頑強となり、晩年には鉄の刃さえ肌を傷つけられなかった。俺は思わず、文献へ顔を近づけた。
「ほう……こんな記録が残っていたのか」
独り言が漏れる。初めて知った。かつての俺は、アークハルト家を継ぐことだけにこだわっていた。だというのに、家の歴史を学ぼうとはしなかった。
後継者の座は欲しい。後継者になるための努力はしたくない。俺は自分の家について、何も知らなかったのだ。
「ここを見ろ」
父上が、文献の一節を指さした。――レグナスは、女神ルミエラの導きを受け、北の森へ向かった。俺は目を細める。体術使い。驚異的な再生能力。
戦うたびに頑強となる肉体。女神ルミエラの導き。偶然と呼ぶには、あまりにも共通点が多い。
「初代も、同じギフトを持っていたのかもしれません」
「可能性は高い」
父上は家系図と俺を交互に見る。
「《超再生》という名前は伝わっていない。だが、この文献を見る限り、レグナス様とお前の共通点は多すぎる」
「アークハルト家の血に眠っていた力が、俺に現れた……」
それなら、女神ルミエラが俺を選んだことにも、何か意味があるのかもしれない。かつての俺は、《超再生》がなぜ自分に宿ったのかなど考えたこともなかった。生き残るために、使い続けただけだ。
初代レグナス。俺と同じ力を持っていたのなら、彼はどこまで《超再生》を理解していたのだろう。残された文献を調べる価値がある。もしかすると、俺の知らない使い方が記されているかもしれない。
「初代レグナス様は、最初から領主だったわけではない」
父上が言った。
「一人の冒険者として各地を巡り、魔物や盗賊から人々を守った。やがて仲間が集まり、北の森を守る砦を築いた。それが、現在のアークハルト領の始まりだ」
父上は文献を閉じた。そして、しばらく俺を見つめる。
「お前が初代様と同じ道へ導かれているというのなら、父親の都合だけで止めるべきではないのかもしれんな」
「では……」
「冒険者を目指すことを許可する」
よし。内心で拳を握る。だが、父上はすぐに人差し指を立てた。
「ただし、条件がある」
やはり、無条件ではないか。
「最初の一年は、領内で鍛えること」
予定どおりだ。
「魔の森へ入る場合は、必ず私へ報告すること」
多少面倒だが、問題ない。
「最低限の領主教育は続けること」
これは少々面倒だ。
「カイルが鑑定の儀を受けるまでは、正式な後継者の変更は行わない」
八歳のカイルが十二歳になるのは、四年後。仕方がない。
「そして、《超再生》の存在を外部へ明かさないこと」
「承知しました」
俺が即答すると、父上が不思議そうに見る。
「……随分と素直だな」
「条件として妥当ですから」
「以前のお前なら、こんな会話にすらならなかった」
「昔の話です」
「今朝までの話だ」
細かい男だ。いや、正論である。
「本当に女神ルミエラ様がお前を覚醒させてくださったのかもしれんな」
父上は鋭い。近からず、遠からずだ。
「屋敷の者には、どのように説明しますか?」
俺が尋ねると、父上は再び考え込んだ。
「本当の力を知る者は、当面、私とエレナ、お前だけにする」
「分かりました」
「女神ルミエラ様の導きを感じたという話も、外では口にするな」
「神殿に知られるからですか?」
「ああ。真偽を確かめるという名目で、お前を調べようとする者が現れる。ギフトの存在まで疑われれば厄介だ」
知る者が増えれば、それだけ秘密が漏れる危険も増える。正しい判断だ。
「ただ、今後お前が修行する以上、傷が急速に治ることまでは隠しきれないだろう」
父上は続ける。
「家内の者には、自分の傷だけを治せる希少な《再生》スキルがあると伝える」
「《超再生》ではなく?」
「ああ。自己回復ができるだけのスキルだ。強化や適応については伏せる」
「他者や物にも使えることも?」
「当然だ」
父上の目が厳しくなる。
「特に他者を治療できると知られれば、利用しようとする者が必ず現れる」
俺も同意見だ。《超再生》を他者へ使った場合、その効果は自己使用時より低下する。それでも、失われた手足を復元したり、耐性を獲得させたりできると知られれば、その価値は計り知れない。王侯貴族が放っておくはずがない。
父上の判断には、一つの隙もなかった。俺には、本当に素晴らしい父がいたらしい。七十年以上生きて、今さら思い知らされている。
「外部へは、鑑定の儀で出た結果だけを公表する」
父上は、水晶に表示された内容を口にする。
「体術、無属性魔法、耐性無し。それだけだ」
世間からは、期待外れの嫡男と思われ続ける。実に都合がよい。ただ、アークハルト家へ悪評が立つ可能性はある。
「申し訳ありません」
「何がだ?」
「アークハルト家の長男が無能だと、世間から思われることです」
父上は一瞬目を見開き、それから静かに笑った。
「気にするな、アレス」
父上は、真っすぐ俺を見た。
「お前の表情を見て、私も覚悟が決まった。お前はお前の道を歩め」
「ありがとうございます」
「ただし、アークハルト家の家訓は忘れるな」
一、森を越えさせるな。
二、民の盾となれ。
三、恐れるな、退くな、諦めるな。
かつての俺は、家訓を口にすることすら嫌っていた。今なら分かる。この言葉が、何百年もの間、アークハルト家を支えてきたのだ。
「当然です、父上」
俺は胸へ手を当てた。
「必ず家訓を守ります」
話が終わり、俺は椅子から下りようとする。大人用の椅子では、十二歳の足でも床へわずかに届かない。格好よく飛び降りるか。普通に下りるか。一瞬迷った末、普通に下りた。
「アレス」
扉へ向かう俺を、父上が呼び止める。
「何でしょう」
「冒険者になることを認めたが、無茶な修行ばかりするな。命は大切にしろ」
「もちろんです」
父上の表情が、わずかに緩んだ。
「では、食事をしてきます」
「待て、アレス」
また呼び止められる。
「何でしょう」
「《再生》があるからといって、傷ついたときに痛みがないわけではないのだろう?」
「はい」
「自分の身体を大切にしろ」
その言葉に、少しだけ返事が遅れた。滅びた未来では、自分の身体を道具として扱ってきた。壊れれば治す。足りなければ進化させる。それだけだった。だが今は、俺の身体を心配してくれる者がいる。
「父上、ありがとうございます」
「ああ。何かあれば、すぐに相談してくれ」
俺は父上へ一礼し、執務室を出た。廊下では、ニーナが待っていた。俺を見ると、少し緊張した様子で背筋を伸ばす。
「お話は終わりましたか?」
「ああ」
「お食事のご用意ができております」
その言葉を聞いた瞬間、腹が鳴った。世界樹が崩壊して以来、五十年ぶりのまともな食事。温かいスープ。柔らかなパン。香辛料を使った肉料理。想像するだけで目頭が熱くなる。危ない。まだ食べてもいないのに泣くところだった。
「ニーナ」
「はい」
「今日は多めに用意してくれ」
「かしこまりました。どのくらいでしょうか?」
再生には大量の栄養が必要だ。今夜から、この弱い身体を徹底的に作り直す。
「可能な限りだ」
「……か、可能な限り?」
ニーナが困ったように瞬きをする。
「明日からは、もっと増やしてもらう」
「は、はい?」
「とにかく頼む」
《再生》を本格的に使い始めれば、食欲が尋常ではないことになる。下手をすれば、俺一人の食費でアークハルト家の財政を圧迫しかねない。自分でも食料を確保する必要がありそうだ。
俺が考え込んでいると、ニーナは不思議そうに首を傾げた。今は分からなくていい。食事の確保が今後何よりも大事だということは、俺が誰よりも知っている。
二か月後に起きる事件についても、まだニーナへ話すことはできない。正確な日時も分からず、根拠も説明できない以上、いたずらにおびえさせるだけだ。
それまでに、強くなる。盗賊ごときが何人現れようと、指一本触れさせないほどに。とにかく今は食事だ。
俺はニーナと共に、食堂へ向かった。
世界を救うための、最初の一歩。
まずは腹ごしらえである。




