第37話 ニーナ様への謝罪
だが、契約を結んだからといって、これまでの罪が消えたわけではない。
「まだ、終わっていない」
安心しかけていた十人の顔が、一斉にこわばった。
「全員、ニーナの前へ並べ」
「アレス様?」
戸惑うニーナの前に、十人を一列に並ばせる。ロイドとゲオルグまで含まれていることに気づき、ニーナが俺の袖を引いた。
「あの、お二人は私を助けようとしてくださいました。それに、ミラさんも……」
「分かっている。罪の重さまで同じだとは言っていない」
俺は十人を見回した。
「だが、ここにいる者は全員、ニーナがさらわれるまでに何かを知り、何かを見て、それでも止められなかった。謝ることが何一つない者はいないはずだ」
ロイドとゲオルグは黙って膝をついた。ミラとセルジュも、それに続く。ベッツたちがためらっていると、俺は低い声で命じた。
「何をしている。全員、両膝をつけ。けがを言い訳にするな。額を床につけろ。土下座だっ!」
六人が慌てて膝をつく。十人全員がニーナへ向かって土下座する中、ドランだけが不満そうに顔をわずかに上げた。
「悪かったな、嬢ちゃん。これで――」
俺はドランを見た。ほんのわずかに《威圧》が漏れる。床板がきしんだように思うほど空気が重くなり、ドランの額が勢いよく床へたたきつけられた。
「誰に向かって口を利いている」
「ひっ……!」
「嬢ちゃんではない。ニーナ様だ」
ニーナが目を見開く。
「わ、私に様など――」
「必要だ。こいつらには、最初に誰を傷つけたのかをたたき込んでおく」
俺は再びドランへ目を向けた。
「それから、何を謝っているのか分からないわびなど要らん。自分が何をしたのか、口にして謝れ」
「ニ、ニーナ様……。売り飛ばす話に乗って、怖がっているあんたを――いえ、あなた様を囲みました。申し訳、ございませんでした」
ひどくぎこちない。だが、今度は誤魔化さず、最後まで額を床につけていた。
「次、ベッツ」
「ニーナ様。私が依頼を引き受け、こいつらに――この者たちに、あなた様をさらわせました。すべて私の命令です。本当に、申し訳ありませんでした」
粗暴な男の口から出たとは思えないほど、慎重な謝罪だった。ミラは床へ額をつけたまま、震える声を絞り出す。
「ニーナ様。父が怖かったとしても、私が人をだまし、この方たちを手伝ったことは変わりません。申し訳ありませんでした」
「ニーナ様。私は山であなたを見張り、眠り草を染み込ませた布で眠らせ、ここまで運びました」
ラグの声から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「火魔法を使われた時も、あなたを人ではなく金として見ました。どれほど怖かったかも考えませんでした。申し訳ありませんでした」
マーク、ノル、ハイムも、順番に自分のしたことを口にした。
「逃げられねえよう――逃げられないよう囲みました。申し訳ございませんでした、ニーナ様」
「止める勇気がなかっただけなのに、頭領に逆らえなかったせいにしていました。申し訳ありませんでした、ニーナ様」
「見張りを引き受け、助けが来ないよう周囲を警戒しました。申し訳ありません、ニーナ様」
三人とも、途中で俺の怖い視線を感じるたびに言葉を直した。ロイドは、ほかの者よりも深く頭を下げる。
「ニーナ様。怪しい荷だと分かっていながら、店を失うのが怖くて従いました。あなたを見てから反対しても、遅すぎました。申し訳ございませんでした」
「ニーナ様。俺は――私は、人を閉じ込める箱だと知るまで仕事を断ち切れませんでした。もっと早く確かめるべきでした。申し訳ありませんでした」
ゲオルグも、不慣れな敬語で謝り切った。最後はセルジュだった。
「ニーナ様。誘拐された方かもしれないと察しながら、私は金を選びました。奴隷契約をすれば、あなたの人生を奪うところでした。弁解の余地もございません。心より、おわび申し上げます」
誰一人、顔を上げない。ニーナは胸元で両手を握りしめ、十人の謝罪を聞いていた。すぐに許せるはずがない。許す必要もない。長い沈黙の後、ニーナが静かに口を開いた。
「皆さん、顔を上げてください」
十人は動かなかった。俺の命令で頭を下げた以上、俺の許可なく上げてよいのか迷っているらしい。
「ニーナ様が顔を上げろとおっしゃっている。従え」
「は、はい!」
十人が一斉に身体を起こした。ニーナは一人ずつの顔を確かめるように見つめる。
「正直に言えば、まだ怖いです。今すぐ皆さんを許せるのかも、私には分かりません」
誰も反論しなかった。
「ですが、今のお言葉が本当なら、もう二度と同じことをしないでください。私だけではありません。これまで傷つけた方々にも、きちんと償ってください」
ニーナは、わずかに震えながらも目を逸らさなかった。
「皆さんが本当に変わるのか、私も見ています」
「はい、ニーナ様」
最初に答えたのはロイドだった。ミラ、ゲオルグ、セルジュが続き、最後にはベッツたちも、それぞれぎこちない敬語で同じ言葉を返した。
俺は十人へ、もう一度だけ念を押す。
「今後、ニーナを『娘』や『嬢ちゃん』と呼ぶことは許さない。全員、ニーナ様と呼べ。俺の大切な専属侍女であり、貴様らが敬うべき相手だ」
「か、かしこまりました、親分!」
ドランが誰よりも大きな声で答えた。先ほどまでとはずいぶんな違いだ。
ニーナはなぜか頬を赤くし、「大切な……」と小さくつぶやいていた。聞こえなかったことにした。
◇
「では、知っていることをすべて話せ」
契約を終えた後、俺はベッツを正面へ座らせた。ほかの九人にも、壁際へ並んで座るよう命じてある。まだ折れた腕や外れた肩を押さえている者もいるが、死ぬような傷ではない。手加減はした。しばらく痛むだろうが、ニーナへ与えた恐怖を考えれば軽いものだ。
「依頼人の名前は?」
「知らねえ」
俺が黙って怖い顔でにらむと、ベッツは慌てて背筋を伸ばした。
「……知りません、大将」
「顔は?」
「顔も見てません。いつも灰色のマントを着て、深く頭巾を被っていました。声も布越しで、男だということくらいしか分かりません」
ベッツはそこで言葉を止め、胸元を押さえた。契約が反応した様子はない。少なくとも、今の答えで俺をだまそうとはしていないらしい。
「なぜニーナを狙った?」
「向こうから指定されました。男爵家で働く、くり色の髪の若い侍女。七日に一度、裏山へ山菜を採りに行く。そう聞かされただけです」
やはり、偶然目についた娘をさらおうとしたわけではない。依頼人は、初めからニーナを選んでいた。だが、火魔法を使えることは知らなかった。魔法の才能が狙いなら、盗賊たちがあれほど驚くはずがない。ニーナの何を知り、何のために連れ去ろうとしたのか。以前の歴史では、二度と見つからなかった。単なる人身売買ではない可能性もある。
「依頼人とは、どう連絡を取る?」
「旧街道の石標です。仕事を終えたら、赤い布を結ぶことになっています。それを見た仲介人が、引き渡しの場所と時刻を書いた紙を置きます、大将」
「まだ布は結んでいないのだな?」
「ああ――ではなく、はい。まだです、大将」
「ならば、連絡方法はそのまま残せ。勝手に動くな。布を結ぶ時はこちらから命じる」
「依頼人まで捕まえるおつもりですか、大将?」
「当然だ」
俺の訓練を七日も遅らせ、ニーナを泣かせた者が、まだほかにいるのだ。逃がす理由がない。
「次だ。これまでに何をしてきた」
ベッツが視線を落とした。盗賊とは名乗っているが、大きな商隊や騎士を襲えるほどの力はない。旧街道を通る旅人から金品を奪い、違法な賭場を開き、借金を作らせた者を脅していたらしい。人をさらう仕事を受けたのは今回が初めてだという。初めてなら許されるわけではない。だが、過去の被害者と奪った物を聞き出せるだけ聞き出し、一つずつセルジュに書き留めさせた。
「この方々へ、すべて返すのですか?」
ニーナが、セルジュの作った一覧をのぞき込む。
「残っている物はすぐ返す。使った分は、今後こいつらが働いて返す」
「足りなければ?」
「足りるまで働かせる」
「一生かかる方もいそうですね……」
「ちょうどいい。二度と悪事へ戻る暇がなくなる」
ベッツたちが、そろって肩を落とした。
ロイドとゲオルグを縛っていた借金の契約書は、その場で火へくべさせた。元から返済させるつもりのない、不正な契約書だ。ベッツが金を貸したのではなく、ミラと仲間を使って偽りの賭けをさせ、最初から負けるよう仕組んでいた。
「これで、店と工房を取り上げられる理由はなくなった」
灰になった契約書を見つめ、ロイドが唇をかむ。
「……ありがとうございます、アレス様」
「勘違いするな。店も工房も、これから俺のために使ってもらう」
「分かっています。それでも、両親の店を残せるなら十分です」
十分ではない。
武器屋を持つ商人。腕の立つ大工。人と契約に通じた奴隷商。そして、戦える七人。
十人はまだ、自分たちが何になれるのか気づいていない。
だが、俺の中では、ばらばらだった十人の力が一つにつながり始めていた。
償いは、奪ったものを返すだけで終わらせない。
ニーナを傷つけた十人には、いつか数え切れない誰かの未来を守らせる。




