第36話 十人の配下を得る
「しゅ、主従契約……?」
セルジュが、床へ擦りつけていた額を恐る恐る上げた。奴隷契約ではないと分かり、わずかに安心したようだ。だが、すぐに俺の顔を見て、また身体をこわばらせる。
「何か問題があるのか?」
「い、いえ。ただ、主従契約は奴隷契約とは違い、互いの合意がなければ結べません。従う側だけでなく、主となる側も、契約で定めた約束に縛られます」
「好都合だ。こいつらは全員、三つ目を選んだ」
縄でつながれた十人へ目を向ける。誰一人、異議を唱えなかった。先ほど《威圧》を受けたばかりなのだから、当然だろう。
「まず、奴隷契約と何が違うのか説明しろ」
「は、はい。奴隷契約を結んだ者は、主人の持ち物となります。命令へ逆らうことはできず、主人が望めば、ほかの者へ売り渡すこともできます」
セルジュは一度言葉を切り、俺の顔色をうかがった。
「主従契約で縛られるのは、あらかじめ互いに合意した事柄だけです。付き人は奴隷ではありません。自ら考え、契約に反しない限り、自分の意思で行動できます。その代わり、契約で交わした誓いを破ることはできません」
「破ろうとすれば、どうなる?」
「契約が身体と魂を通して制止します。軽い違反なら警告として痛みが走り、それでも故意に破ろうとすれば、動くことも話すこともできなくなります。ただし――」
「主が約束を破った場合も同じ、ということか」
「そ、そのとおりです」
なるほど。一方的に服従させるだけの契約ではないらしい。その方がいい。
「俺は、命令されなければ何もできない人形が欲しいわけではない。自分の頭で考え、自分の意思で働く者が欲しい」
セルジュが目を瞬いた。ロイドとゲオルグも、意外そうにこちらを見ている。
「何を驚いている」
「い、いえ……」
「俺は貴様らに、世のため、人のため、そしてこの俺のために働けと言った。考えることまで放棄して、どうやって役に立つつもりだ」
「……やはり最後が一番大切なのですね……」
背後から、ニーナの小さな声が聞こえた。今回も聞こえなかったことにする。
「セルジュ。契約へ入れる内容は、俺が決めていいのだな?」
「双方が同意できる内容であれば」
「ならば、よく聞け」
俺は十人全員を見回した。
「一つ。今後、誘拐、強盗、詐欺、略奪、そのほか罪のない者を食い物にする行為、犯罪を禁ずる。脅しやだましによって、本人の意思へ反する契約を結ばせることも許さない」
ベッツたちの顔がこわばる。お前が今脅しをしてるだろという表情を精一杯隠す。セルジュは、誰よりも深く項垂れた。
「二つ。過去の罪から逃げず、奪った物を返し、傷つけた者へ可能な限り償うこと。そのためにも、今日からは人の役に立つ仕事をしろ」
「奪った金なんざ、ほとんど残ってねえぞ……」
ベッツがかすれた声を漏らした。
「ならば働いて返せ。一生かかるなら、一生働け」
ベッツは口を閉じた。
「三つ。俺の命令に従い、俺を裏切らないこと。今日ここで見聞きしたこと、そして今後知ることになる俺の能力と計画を、俺の許可なく他言しないこと」
時間を巻き戻したことは、契約を結んだ後でも話せない。《時律の禁約》は、相手が秘密を守れるかどうかとは関係なく、時間を巻き戻した事実を伝えること自体を禁じている。
だが、《超再生》や《鑑定眼》、これから俺が進める計画については、この契約があれば隠す必要がなくなる。少人数でも、俺の事情を知ったうえで動ける者がいる意味は大きい。
「俺からは、貴様らを使い捨てにしないと約束する。働く場所と食事を与え、働きに応じた報酬も払う。命令へ従い、役目を果たす限り、貴様らの命と生活は俺が守る」
十人の間に、わずかなざわめきが生まれた。
「もちろん、ただ飯を食わせるつもりはない。役に立たなければ、役に立つまで鍛える。覚悟しておけ」
ざわめきが止んだ。なぜ全員が青ざめるのだろう。殺されないうえに、衣食住と報酬まで保証されるのだ。先ほど提示した二つに比べれば、破格の条件だと思うのだが。
「この内容で主従契約を結べるか?」
セルジュが何度か瞬きをした後、ゆっくりうなずいた。
「はい。契約を交わす全員が、今の言葉と同じ意味を理解し、受け入れるならば」
「よし。最初は貴様だ」
「わ、私からですか?」
「《契約術》を使う本人だけ契約の外にいるなど、認めると思うか?」
「思いません!」
ずいぶんとよい返事だった。俺は《崩刃》で、セルジュを縛る縄だけを切った。セルジュは逃げることも立ち上がることもせず、その場で正座したまま革かばんを開く。中から取り出したのは、白い紙と黒い金属で作られた細い筆だった。
「主従契約は、契約書を二枚作ります。主と従が一枚ずつ保管し、双方が血を一滴落とすことで成立します」
「血が必要なのか……」
誰かが呟く。
「本人の意思と魔力をつなぐためです。大量には必要ありません」
セルジュは俺が述べた条件を、紙へ一字ずつ書き記していく。その手はまだ震えていたが、文字に乱れはなかった。奴隷商として生きてきただけあり、契約を扱う時だけは落ち着くらしい。
同じ内容の契約書が二枚完成すると、セルジュは自分の指先へ針を刺し、血を一滴落とした。俺も針を受け取り、親指の先へ刺す。小さな痛みとともに血がにじみ、紙へ落ちた。
「私、セルジュは、アレス様を主と認め、ここに記された誓いを守ります」
「俺、アレス・アークハルトは、セルジュを配下と認め、ここに記された約束を守る」
セルジュが《契約術》を発動する。二枚の紙に書かれた文字が淡い金色に光り、一筋の光となって俺とセルジュの胸へ吸い込まれた。身体の奥に、細い糸が結ばれたような感覚が生まれる。誰かに一方的に縛られたような、不快な感覚ではない。互いの誓いが確かに結ばれたと、本能で理解できた。
「これで、成立です」
セルジュが大きく息を吐いた。
「では、次だ。ベッツ」
「なぜ俺の名を……」
俺は右目へわずかに魔力を流し、《鑑定眼》に映る名前を順に読み上げる。
「ミラ、ドラン、ラグ、マーク、ノル、ハイム。全員の名は分かっている。余計な時間を使わせるな」
名前を呼ぶたび、盗賊たちの顔から血の気が引いていく。自分から名乗っていない者まで当てられたことが、それほど不気味なのだろう。だが、《鑑定眼》のことを説明するつもりは、まだなかった。
「まさか、俺たちを最初から全部……」
「質問は後だ。順番に契約しろ」
◇
十人すべてとの契約には、半刻ほどかかることになった。ベッツ、ミラ、五人の手下。武器屋のロイド、大工のゲオルグ、奴隷商のセルジュ。一人ずつ契約の内容を読み上げ、意思を確かめ、二枚の紙へ血を落とす。誰か一人でも心から拒めば、契約は成立しない。だが、二つの選択肢を思い出したのか、全員が迷うことなく俺を主と認めた。
契約を進める途中、ロイドとゲオルグの番になった時だけ、ニーナが遠慮がちに俺の袖を引いた。
「アレス様。このお二人も、ほかの方々と同じ扱いなのでしょうか?」
「同じにはしない」
ロイドとゲオルグへ目を向ける。
「貴様らがだまされ、脅されてここへ来たことは分かっている。ニーナを逃がそうとしたこともな」
二人の表情がわずかに緩む。
「だが、何も知らなかったでは済まさない。怪しい仕事だと分かりながら、今日まで従った責任は取ってもらう」
「そのつもりです、アレス様」
ロイドは、真っすぐ俺を見返した。
「私はニーナさんを見て、ようやく自分が何へ加担したのか考えました。もっと早く店も借金も捨てていれば、怖い思いをさせずに済みました」
「俺もです、坊ちゃん」
ゲオルグが続く。
「働いて償えるというのなら、異存はありません」
「ならば契約しろ。貴様らには、ほかの者より多く働いてもらう」
「……軽くなるのではないのですね」
ニーナが小さくつぶやく。
「使える者へ多く働かせるのは当然だ」
ロイドとゲオルグが顔を見合わせ、なぜか苦笑した。
一方、ミラは契約を終えた後も、床に座ったまま自分の胸元へ手を当てていた。父親の命令へ従わされていた女だ。主がベッツから俺へ変わっただけだと、そう思っているのかもしれない。
「ミラ」
「……はい」
「契約した以上、貴様が従うのは俺だ。ベッツが何を命じようと、俺の命令と契約に反することなら従う必要はない」
ミラが顔を上げる。隣でベッツが何か言いかけたが、俺が見ると黙った。
「自分で考えろ。今まで父親に命じられたからという理由で罪を犯してきたのなら、今日からは同じ言い訳を使うな」
「……分かりました」
返事は小さかった。それでも、先ほど父親の前でおびえていた時とは違い、俺から目を逸らさなかった。
やがて、最後の契約書から金色の光が消えると、ベッツが息を吐いた。
「これで、文句はねえだろ」
俺は黙って、怖がらせるようにベッツをにらんだ。《威圧》を放ったわけではない。ただにらんだだけだ。それでも、契約を結ぶ直前の光景を思い出したのだろう。ベッツの肩が跳ね、額から汗が噴き出した。
「……これで、文句はないんですか」
取ってつけたような敬語だった。俺は何も言わず、もう一度だけ目を細める。
「これで契約は終わりで、よろしいですか……大将」
「大将?」
「ア、アレス様ってのは、どうにも俺の柄じゃな――ありませんので。大将と呼ばせていただいても、よろしいでしょうか、大将」
敬語が途中で何度も崩れかけている。だが、俺を主と認めようとする意思は伝わった。
「大将……まあ、かまわん。好きにしろ。だが、今後は言葉遣いにも気をつけろ。貴様らはもう、路地裏の小悪党ではない。俺の配下だ」
「……承知しました、大将」
ぎこちないが、先ほどよりはましだった。横でドランが、小さく舌打ちする。
「面倒くせえ決まりだな……」
俺がにらみつけると、大柄な身体がびくりと震えた。
「め、面倒な決まりでございますな、親分!」
「文句があるのか?」
「滅相もございません! 俺もそうするのがいいと思ってましたっ」
ぎこちないが、直そうとする気はあるらしい。ラグは早くも愛想笑いを浮かべた。
「俺は最初から分かってましたよ、坊ちゃん。へい。これからは、きちんとお仕えいたします」
軽薄さは消えていないが、少なくとも言葉だけは取り繕えている。
セルジュ、ロイド、ミラは自然に「アレス様」と呼び、ゲオルグは職人らしく「坊ちゃん」、マークはベッツをまねて「大将」と呼ぶことにしたようだ。臆病なノルは何度もかみながら「アレス様」と呼び、無口なハイムは短く「若様」と頭を下げた。呼び方までそろえる必要はない。誰を主としているのか、本人たちが忘れなければそれでいい。
十本の細いつながりが、身体の奥で存在を示している。これで、こいつらは俺を裏切れない。俺もまた、従う限りはこいつらを守る義務を負った。十二歳へ戻ってから、初めて得た配下だった。




