第35話 ニーナを泣かせた罪
「もう大丈夫だ」
火傷をした男が、慌てて短剣を抜いた。
「動くな! こいつがどうなっても――」
「《縮地》」
一歩で距離を消した。
「え?」
短剣を持つ手首をつかみ、外側へ捻る。骨が折れる音がした。悲鳴を上げるより先に、みぞおちへ拳を沈める。男の身体が床から浮き、背後の壁へたたきつけられた。意識を失った男が崩れ落ちる。
俺はニーナの前へ膝をつき、右手の指先へ細い闘気を伸ばした。
「動くな」
「は、はい」
短い《崩刃》で、手首と足首を縛る縄だけを切る。立ち上がろうとしたニーナの膝から力が抜けた。倒れる前に身体を支え、そのまま俺の背後へかばい入れる。
「俺の背後から動くな」
「はい……!」
ニーナが小さくうなずき、俺の背後で身を縮めた。これでいい。もう誰にも触れさせない。
「こいつ、男爵家のガキだ!」
「どうやってここまで来やがった!」
「それを知る必要はない」
「子ども一人だ! やれ!」
頭のベッツの怒声と同時に、男たちが武器を抜いた。
最初に動いたのは、大柄な斧使いだった。斧が頭上から振り下ろされる。俺は半歩だけ横へずれた。刃が床板へ食い込む。男が引き抜こうとした腕へ肘を落とし、膝を横から蹴り抜いた。二つの鈍い音が重なる。男は斧から手を離し、床へ倒れた。
左から短剣。背後にはニーナがいる。大きく避けるわけにはいかない。突き出された手首をわきへ挟み、身体を捻る。肩が外れた男の身体を、そのまま次の男へ投げつけた。二人が絡み合って倒れる。
弓のつるの鳴る音がした。俺は頬の横へ迫った矢を右手でつかみ取り、床へ落とす。背後にはニーナがいる。一本たりとも通すつもりはない。床の石片を拾い、弓を構え直す男の指へ投げる。
「ぐっ!」
弓が落ちた。
「《崩刃》」
鋭い刃を飛ばして肩口を切り付ける。
「ぐぎゃーー」
ミラが、震える手で細身の剣を抜く。
「お父さんには……手を出さないで」
「ならば、なぜニーナへ手を出した」
「それは……」
答えられない。ミラが床を蹴る。踏み込みは鋭い。だが、剣先は最後まで迷っていた。俺は刃の腹を二本の指で挟み、進む向きをそらした。空いたみぞおちへ手のひらの付け根を添える。
「少し眠っていろ」
衝撃だけを通す。ミラの身体から力が抜けた。床へ頭を打ちつける前に襟をつかみ、静かに横たえる。
残っているのは、ベッツだけだ。
「ちっ、化け物が……!」
ベッツが幅広の剣を抜く。振り上げる直前まで肩が動かず、切っ先もぶれない。床を滑るような踏み込みから、剣が横なぎに走る。
俺は間合いの内側へ入った。両腕の間へ左手を差し込み、肘を跳ね上げる。切っ先が頭上へ逸れた。
空いたわき腹へ、右拳を添える。内臓は潰さない。だが、二度と同じ真似をしようとは思わない程度には痛んでもらう。
「《破砕》」
鈍い音が響いた。ベッツの身体が横へ飛び、作業台を巻き込んで壁へ激突する。幅広の剣が床へ転がった。
「がっ……」
ベッツが血を吐く。
それでも意識は残っていた。俺はゆっくりと近づき、その胸倉をつかんで持ち上げる。
「分かっているのか」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
「貴様らの行為は今、世界を滅ぼすに値するんだぞ」
「……へ?」
「わかっているのかと聞いてるんだぁーー!」
ベッツが、意味が分からず苦痛も忘れたような顔をした。床に倒れた男たちも、意味が分からないという目で俺を見ている。
当然だろう。こいつらにとっては、十五歳の少女を一人さらっただけだ。
だが、そのために俺は七日もの時間を使った。訓練が遅れた。もし、このわずかな遅れが原因で魔王へ届かなければ、世界は再び滅びる。
そのうえ、毎日食事を用意し、山へ入って山菜まで採ってくれる女神ニーナ様を泣かせた。すべて、こいつらが悪い。
「何より、ニーナを泣かせた」
胸倉をつかむ手へ力が入る。
「その罪が、最も重い」
ベッツの顔が恐怖にゆがむ。俺は拳を振り上げた。
「アレス様……」
背後から、ニーナの声がした。振り返ると、まだ震える脚で立ちながら、真っすぐ俺を見つめていた。
「その方を、殺してしまうのですか?」
「……いや」
初めから、殺すつもりはなかった。怒りのまま全員を殺せば、一瞬だけ胸は晴れるかもしれない。
だが、死体は何も生み出さない。黒幕へつながる情報も聞き出せなくなる。俺はベッツを床へ投げ、代わりに右肩を踏みつけた。鈍い音とともに、ベッツが短い悲鳴を上げる。
「殺しはしない。ただし、十分に反省はしてもらう」
「あ、あの……すでに十分かと……」
ニーナが床に転がる男たちを見回した。
「まだ足りない」
「そうですか……」
なぜか、ニーナまでわずかに青ざめた。
壁際では、ロイドとゲオルグ、最後に来た奴隷商が身動き一つせずに立っている。
「お前たちもだ」
三人の肩が同時に跳ねた。
「事情を聞くまでは、一人も帰さない」
「抵抗はしない」
最初に答えたのはロイドだった。
「俺もだ」
ゲオルグが続く。奴隷商は何度もうなずき、自分から床へ膝をついた。俺は用意していた縄で十人の動きを封じた。これで全員だ。
◇
「ニーナ」
十人の動きを封じ終えた俺は、改めてニーナの前へ立った。
「けがはないか?」
「はい。縄で擦れたところが、少し痛むだけです」
赤くなった手首が見えた。傷と呼ぶほどのものではない。
それでも、自分がすぐに助けなかったためについた跡だと思うと、胸が痛んだ。
「アレス様は、どうしてここへ……?」
問いに答える前に、俺は一瞬だけ言葉を選んだ。
本当は、滅びた世界でニーナがさらわれたことを知っていたから、最初から後を追っていた。だが、滅びた未来の記憶は明かせない。依頼人へつながる者を待つため、すぐに助けなかったことまで今のニーナへ伝えれば、さらに傷つけるだけだ。
だからといって、安心させるための嘘を重ねたくもない。
俺は、実際に沢へ残っていた痕跡だけを選び、口にした。
「昼を過ぎても、お前は屋敷へ戻っていなかった。沢には山菜が散らばり、争った跡が残っていた」
「それで、私を……?」
「三人分の足跡が、石切り場まで続いていた。そのうち一人の足跡だけが、途中から深くなっていた。お前を背負って運んだのだと分かった」
ニーナは、しばらく何も言わなかった。やがて、張り詰めていた肩から力が抜ける。
「間に合って、よかった」
俺がそう告げると、ニーナのこはく色の瞳から、また一粒だけ涙がこぼれた。
「とても……怖かったです」
「ああ。遅くなって、すまなかった」
「いいえ。来てくださって、本当にありがとうございました」
ニーナは俺の袖をつかみ、涙の残る顔でほほ笑んだ。俺が最初から傍にいたことには、気づいていない。その笑顔を見て、胸の痛みがさらに強くなった。
「俺が教えた火魔法を使ったな」
「どうして、それを……?」
「あの男の焼けた肩を見れば分かる。あの状況で、よく抵抗した。立派だった」
ニーナが自分の両手へ目を落とす。
「でも、逃げられませんでした。あの人たちを、喜ばせてしまっただけで……」
「そんなことはない。恐怖に負けず、自分の力で抗った。それは誰にでもできることではない」
「それでも……」
ニーナは何かを言いかけ、唇を閉じた。
その視線が、自分の手から俺の背中へ移る。何を考えているのかまでは分からない。魔眼でも、人の心だけは鑑定できなかった。
「帰ったら、温かいものを用意します」
「今日は休め」
「ですが――」
「命令だ。俺の食事より、お前の身体の方が大事だ」
ニーナは目を丸くし、それからうれしそうに目元を緩めた。
「……はい」
俺は、縄につながれた十人へ向き直った。
領都へ突き出せば、誘拐と人身売買の罪で処刑される者もいるだろう。だが、こいつらを捕らえるために、俺は貴重な七日間を使った。ならば、その時間を無駄にしない働きをしてもらうべきではないか。
ロイドには《算術》がある。ゆがんだ数字を見抜き、人と商品を混同しなかった。武器屋一軒で終わらせるには惜しいかもしれない。
ゲオルグには《建築》がある。二年後に備えるには、食糧庫も避難小屋も、傷んだ道路の整備も必要だ。
奴隷商には《契約術》がある。悪事へ使わせず、秘密を守らせるために使えばよい。
戦える者もいる。鍛え直せば、商売の護衛にも、領民を守る兵にもできる。
偶然にしては、ずいぶんと都合よくそろっていた。
死体は働かない。だが、生きているなら使い道はある。いや、こいつらは使い倒す。
「アレス様?」
「何だ」
「その……とても悪いお顔をなさっています」
「そうか?」
言われて初めて、自分の口元が持ち上がっていることに気づいた。
俺は目を覚ました十人の前へ椅子を置き、ゆっくりと腰を下ろした。
「クククッ……さあ、貴様らに選択肢をやろう」
十人の顔が引きつる。
「一つ。このまま俺から、死にたくなるほどの拷問を受け、最後は全員仲よく殺される」
誰かが息をのんだ。
「二つ。両手両足を切り落とす。男はほかにも一か所切り落として、森へ置いていく」
男たちがそろって青ざめた。もちろん、どちらも実行するつもりはない。だが、こいつらへ教える必要はなかった。
「そして三つ。これからは世のため、人のため――何より、この俺のために働く」
「………それって……ほとんどアレス様のためではありませんか……?」
背後で、ニーナが小さくつぶやいた。聞こえなかったことにする。
「どれを選ぶ?」
沈黙が落ちた。やがて、大柄な斧使いが顔を上げる。
「ふざけるな……。このまま殺しやがれ。やれるもんなら、やってみろ」
「そうか」
俺は男を見た。抑えていた怒りを、ほんのわずかだけ外へ出す。
空気が沈んだ。音が消えた。男の顔から血の気が引き、身体が硬直する。俺の中にあった殺意と支配の意思が、目に見えない圧力となって小屋を満たした。
「ならば、最初は貴様だ」
「ひっ――」
男は白目をむき、口から泡を吹いて倒れた。
ほかの者たちも歯を鳴らし、縄につながれたまま後ずさろうとしている。床へ小さな水たまりが広がったが、誰が漏らしたのかまでは見ないでおいた。
「も、申し訳ございません! 三つ目で!」
「俺も三つ目だ!」
「働きます! 何でもします!」
次々と声が上がる。ベッツも、ミラも、ロイドも、ゲオルグも、我先にと三つ目を選ぶ。
俺は気絶した斧使いの頬を軽くたたいた。
「貴様はどうする?」
「はっ、えっ、み、三つ目! 三つ目にします!三つ目にさせてください」
これで全員だ。
「よろしい」
怒りを収めると、重く沈んでいた空気が元へ戻る。同時に、身体の奥へ新しい感覚が定着した。
俺は自分自身へ《鑑定眼》を向ける。
【名前】アレス
【スキル】《体術》《魔眼》《身体強化》《縮地》《闘気》《隠密》《威圧》
【魔法】無属性
【耐性】《痛覚耐性》《刺突耐性》《打撃耐性》
《威圧》。滅びた未来で何度も用いた力が、今の魂と身体へ再び結びついたらしい。気づかれずに後をつけたことで得た《隠密》に続き、今度は《威圧》まで取り戻した。
俺は鑑定を閉じ、最後に来た奴隷商へ指を向ける。
「おい。貴様、《契約術》を持っているな。こちらへ来い」
「な、なぜ、それを……」
「そんなことはどうでもいい。俺と契約するぞ」
男の顔が絶望に染まり、その場へ額を擦りつけた。
「ひ、ひぃぃぃ! 奴隷契約だけは、どうかご勘弁を!」
「何を勘違いしている」
俺はおびえる十人を見回し、悪人らしく笑った。
「結ぶのは、主従契約だ」
「……へ?」
奴隷商は、口を開けたまま固まった。
ほかの九人も、何を言われたのか分からない顔で俺を見ている。
無理もない。
こいつらはまだ知らない。俺が主従契約に何を定め、その代わりに何を約束するつもりなのかを。




