第33話 七日後の誘拐
三人の男を追い始めてから、半刻ほどが過ぎた。裏山を抜けた先で獣道は二つに分かれ、そのうち一本が、領都から西へ延びる旧街道へ続いていた。今はほとんど使われていない道だ。
崩れた石畳のすき間から雑草が伸び、荷馬車の車輪の跡も途切れている。三人は何度も後ろを振り返りながら、その道を進んでいく。警戒しているつもりなのだろう。
だが、振り返る前には歩調が緩み、木立へ入るたび同じ側へ目を向ける。次にどこを見るのか、手に取るように分かった。俺は視線の外を選び、木々の間を音もなく移動した。
やがて三人は、森の中に残された古い石切り場へ入っていった。岩壁の前には朽ちかけた作業小屋があり、その背後には切り出した石を保管していた横穴が口を開けている。
街道からは木々と岩に遮られ、近くまで来なければ存在すら分からない。人を隠すには、都合のよい場所だった。俺は石切り場を見下ろせる斜面へ回り込み、茂みの中へ身を伏せた。
三人が小屋へ近づくと、中から一人の男が現れた。無精ひげを生やし、左目の上から頬にかけて古い傷が走っている。腰に提げた幅広の剣は、手入れこそ雑だが、柄だけが長く使い込まれて黒ずんでいた。俺は右目へ、わずかに魔力を流す。視界の奥で、赤色の輪が音もなく回った。魔眼《鑑定眼》。
かつて魔族に右目をえぐられ、《超再生》で作り直した際に目覚めた力だ。十二歳へ戻った直後は、相手が持つスキルと魔法、耐性しか読み取れなかった。だが、この一か月で《鑑定眼》もわずかに成長し、今では名前まで見えるようになっている。
見えるのは、名前、スキル、魔法、耐性。年齢も、職業も、身分も分からない。心の内や善悪など、当然見えるはずもない。そして、同じスキルを持っていたとしても、どこまで使いこなしているかまでは表示されない。《鑑定眼》は強さを教えてくれる目ではない。そこは自分の目で見極めるしかなかった。
【名前】ベッツ
【スキル】《剣術》
【魔法】なし
【耐性】なし
男が剣を扱うことだけは分かった。だが、俺が見たのは文字よりも、男の立ち方だった。すきだらけに見えて、右足はいつでも踏み込める位置にある。三人を迎えながら、視界の端では周囲を見張っていた。少なくとも、腰の剣が飾りということはないらしい。
「遅かったな」
「慎重に戻ってきたんだよ、ベッツ。男爵家の坊ちゃんまで、最近は朝から外を走り回ってるらしいからな」
「あんな役立たずのガキはどうでもいい。娘の方は?」
役立たずのガキだと? ふざけやがって。以前の俺に向かってなら、否定はできないが……。
仲間が呼んだ名は、《鑑定眼》に映ったものと一致した。
「今日も一人だった。次も同じ時刻に来るはずだ」
「よし。次の七日目にやる」
「来月じゃなかったのか?」
「依頼人が予定を早めた。買い手の馬車が近くを通るらしい」
歴史が変わった。以前のニーナがさらわれたのは、今からおよそ一か月後だったはずだ。だが、今回は七日後。
俺が行動を変えた影響か。それとも、以前の俺が正確な日付すら知らなかっただけなのか。今は判断できない。ただ一つ確かなのは、今日ここまで追わなければ間に合わなかったということだ。
「契約をする奴隷商は?」
「当日に呼ぶ。娘を受け取ったら、すぐに奴隷契約を結ばせる予定だ」
「武器屋と大工も呼ぶのか?」
「ああ。ロイドには隠し箱を積んだ荷馬車を出させる。ゲオルグには箱を補強させろ。今回の仕事に関わった奴は、一人残らずここへ集める」
「二人とも嫌がってたぞ」
「借金の契約書を見せろ。店と工房を失うだけで済むと思うな、と伝えれば来る」
武器屋と大工。自ら望んで加わった者ではないらしい。もっとも、事情があることと、ニーナをさらう企てに加担したことは別だ。
小屋の扉が開き、若い女が姿を見せた。赤茶色の髪を後ろで束ね、腰には細身の剣を下げている。
「お父さん。本当に、あの子をさらうの?」
ベッツが鋭い目を向けた。
「今さら何を言ってやがる、ミラ」
「だって、まだ十五歳くらいでしょう。それに、ロイドさんとゲオルグさんまで……。二人を酒場へ誘ったのは、私なのよ」
「俺に命じられた通り、ちゃんとやれたじゃねえか。今さら善人ぶるな」
「でも……」
「口を挟むな。俺に逆らった奴がどうなったか、忘れたわけじゃねえだろうな」
ミラは顔をこわばらせ、口を閉じた。
俺は右目の焦点を合わせる。
【名前】ミラ
【スキル】《剣術》《演技》
【魔法】なし
【耐性】なし
《演技》。ロイドとゲオルグをだます時に使ったのだろう。だが、今浮かべている苦しげな顔が演技かどうかは、《鑑定眼》には分からない。それを見極めるには、彼女の言葉と行動を見るしかなかった。
さらに小屋の周囲へ目を向ける。横穴に二人。小屋の中に一人。外にいる四人を合わせれば、今いるのは七人だ。
先ほどニーナを見張っていた痩せた男へ《鑑定眼》を向ける。
【名前】ラグ
【スキル】《隠密》
【魔法】なし
【耐性】なし
《隠密》は、自分の姿と気配を隠して動く力だ。
なるほど。ラグという名らしい。身の隠し方は雑だったが、気配そのものが薄かったのは《隠密》の助けがあったからか。
残る者たちにも順に目を向ける。斧を持つ者。短剣を持つ者。弓を背負う者。それぞれ一つ、武器や追跡に関わるスキルを持っていたが、魔法を持つ者は一人もいない。耐性も、全員がなしだった。七人に、奴隷商、武器屋、大工を加えれば十人。
「依頼人は来るのか?」
「来るわけねえだろ。俺だって顔も名前も知らねえ。指示も金も仲介人を通して寄越してくる」
「なら、俺たちだけ捕まって、依頼人は知らん顔ってことも――」
「失敗しなきゃいいんだよ」
ここにいる七人を捕らえても、ニーナを選んだ黒幕までは届かない。腹立たしいが、今は手掛かりが足りなかった。今ここで動けば、当日にしか来ない三人を逃がす。異変が黒幕へ伝われば、別の者を使ってニーナを狙うかもしれない。父上へ報告し、騎士団を動かしても同じだ。森へ入った兵を見張りに察知されれば、残る三人と黒幕へつながる糸は切れる。
捕らえるなら、一人残らず。俺は石切り場の地形と出入口を記憶し、静かにその場を離れた。
その夜、自室へ戻った俺は、自分自身へ《鑑定眼》を向けた。
【名前】アレス
【スキル】《体術》《魔眼》《身体強化》《縮地》《闘気》《隠密》
【魔法】無属性
【耐性】《痛覚耐性》《刺突耐性》《打撃耐性》
「《隠密》か」
並んだスキルのうち、今日初めて現れたのは《隠密》だった。技術を知っているだけでは、スキルにはならない。実際に気配を殺し、相手の意識から外れ、見つかれば大切な者を失う緊張の中でやり遂げたことで、魂に残る経験が今の身体へ結びついたのだろう。
なお、《破砕》や《崩刃》は《体術》を使って繰り出す技だ。どれほど使いこなせるようになっても、独立したスキルとして鑑定結果へ並ぶことはない。
これなら、七日後はさらに近くでニーナを守れる。喜ぶべき成果のはずだった。だが、そのために彼女へ怖い思いをさせなければならないことを考えると、少しもうれしくはなかった。
◇
七日後。ニーナは、先週と同じ時刻に屋敷の裏口を出た。服装も、背負った水筒も、片腕に提げた籠も同じだった。違うのは、俺が先週よりはるかに近い距離で、その背中を追っていることだけだ。
この七日間、石切り場の周囲を何度も調べた。出入口は正面と、横穴の奥にある狭い抜け道の二つ。抜け道は昨夜のうちに、奴らにバレないように外側から大きな岩で塞いである。
ニーナへ事情を話し、おとりになってもらうことも考えた。だが、戦いに慣れていない彼女が、何も知らないふりをして普段どおり振る舞えるとは限らない。
だから俺は、すべてを一人で終わらせることを選んだ。それが彼女を守るために必要な判断だというのは、俺に都合のよい理屈なのかもしれない。
沢の音が近づいてくる。ニーナは先週と同じ場所で籠を置き、柔らかな若葉へ手を伸ばした。その背後で、三つの気配が動く。一人は沢の向こう。二人は、ニーナが通ってきた道の左右。
俺は木の陰で腰を落とし、右脚へ魔力を集めた。何かあれば、すぐに《縮地》で割って入る。
ラグが、ニーナの背後へ近づいた。手には短剣ではなく、白い布を持っている。風に乗り、青臭さの中へ甘い匂いが混じった。眠り草だ。
滅びた未来では、毒も薬も何度となく使われた。草から取り出した液の濃さまでは分からないが、匂いからして、すぐに命を奪うものではない。だからといって、安心などできるはずもなかった。
男が距離を詰める。あと五歩。四歩。三歩。ニーナの肩がわずかに揺れた。
「誰ですか?」
振り向こうとした瞬間、男が背後からニーナの身体を抱え込んだ。白い布が口元へ押し当てられる。
「んんっ!」
ニーナが籠を振り回した。籠の縁が男の顔へ当たり、山菜が宙へ散る。
「暴れるな!」
男がいら立った声を上げる。ニーナは男の腕へつめを立て、足を踏みつけ、必死に顔を背けようとした。
助けなければ。右脚へ集めた魔力が、今にも弾けそうになる。三歩だ。たった三歩踏み込めば、ニーナをつかむ腕を折れる。
だが、ここにいるのは三人だけ。今飛び出せば、石切り場の者たちは逃げる。黒幕も、残った者を使って別の機会を狙うかもしれない。全員を捕らえるためだ。今後もニーナを守るためだ。そう言い聞かせても、目の前でおびえる彼女を見捨てているという事実は変わらない。
「……すまない」
奥歯をかみ締め、脚へ集めた魔力を散らした。やがてニーナの抵抗が弱くなる。身体から力が抜け、男の腕の中へ崩れ落ちた。胸が上下している。呼吸は乱れているが、止まってはいない。三人が手足を縛る間にも目立った外傷はなく、頭を打った様子もなかった。それを自分の目で確かめても、胸を締めつける痛みは消えない。
「手間かけさせやがって」
「傷はつけてねえだろうな」
「籠が当たったのは俺の方だ」
三人はニーナへ麻袋を被せ、一人が背負って獣道へ入っていく。散らばった山菜だけが、沢の傍に残された。俺はその中から、ニーナが俺のために摘んでくれた若葉を一枚拾い上げた。握り潰しそうになり、慌てて指の力を抜く。
この七日間で、訓練の時間は大きく削られた。石切り場の見張り。出入口の確認。奴らの行動の確認。本来なら、そのすべてを身体と技を取り戻すために使えた。
一日の遅れが……いや、たった一時間の遅れが未来では一人の死につながるかもしれない。わずかに力が足りないせいで、また勇者や聖女を失い、世界を滅ぼすかもしれない。
それだけでも許し難い。そのうえ、こいつらは女神ニーナ様へ怖い思いまでさせている。すべて、こいつらが悪い。粉々にしてやりたい。俺の中で、怒りが静かに膨れ続けていた。




